第30話 精神科医事情

私の精神科初診は、芦屋の野津クリニックだ。その時の診断名は神経衰弱。すぐに産業医である志水彰のクリニックに移ったのが、1999年。志水彰がいる阪大病院にも行った。ここではダメだと大阪医大に移ったのが、2000年。米田博教授と出会い、10年以上の付き合いになった。


2011年、私は寛解との診断を受け、会社をやめた。それからが事件の連続だった。


2011年7月、母の陰謀で湊川病院に入院。主治医は山口道彦になった。障害年金、障害者手帳取得。これではダメだと、東灘区のクリニックに移ったのが、2013年だ。佐々木医院に行った。いきなり、あなたは精神病ではないと言われてぶったまげた。薬の作用機序を聞いても、そんな難しいことは分かりませんで終わり。2014年には、最悪の躁転をして宝塚三田病院に4ケ月入院。退院後も佐々木医院に行ったが、「追い詰められたら、どんな仕事でもできるでしょ」と言われたので、見切って転院した。


次に行ったのが、灘区の村上医院。生活保護が良いと言われた。お金がないなら、一日家で瞑想しろと言われた。名言は「医者でも一日1万円は使わない」。驚いた。ミスター・ストイックと呼ぶことにした。ここでも、どうしようもなく躁転し、転院。


東灘区の服部晴起先生のところに行くことにした。数年前に「まさか貯金が100万円もないんじゃないでしょうね」「いったい、いつクビになったんですか」などと失礼な発言のあった医者だが、他に選択肢が無かった。診察時間の長い熱心な先生だった。しかし、またも躁転して転院。


そして行ったのが、橋村匠医師の橋村メンタルクリニック。最初は抗うつ剤を出す勇気あるドクターだと思ったが、眠剤の選択で話にならないことを言うので転院を決意した。


次に行く病院は決まっているが、秘密だ。まあ、精神科医なんて、そんなもんですよ。言いなりになってはいけない。


ジャンジャン。

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