第17話 続・狂った季節
1.社会福祉法人
退院し、20億円を手にした俺だが、まずは住むところに困った。実家は他人の家になっていた。住むところがない。家財一式まるごと無くなった。俺はホテル住まいを余儀なくされた。
俺は、バーのマスターに紹介され、社会福祉法人(社福)信念会の理事長、佐藤大作に会った。医師免許を持つ有名人のようだ。厚みのある人物だった。話は流れるように進んだ。私はこの社福に、5億円を寄付することにした。そして、私は理事になる。理事は無報酬だ。金ならある。肩書が欲しかった。
すぐに、1億3千万円で、駅前のマンションを買った。家財一式を買った。マスターが実に親切に手伝ってくれた。お礼に、100万円渡した。
社会福祉法人の理事の仕事は、予想に反して大変だった。この社福は、いろいろな事業をしていた。人手不足だった。問題は山積していた。
名前だけの理事のつもりが、そうも行かなくなった。しかし、いまさら働く気はしない。俺は遊び尽くした。
毎朝、喫茶店でアイスコーヒーとサンドウィッチ、それにケーキ。昼は高級中華でランチ。夜は飲み会。そして、クラブへ。ママさんとは良い仲だ。何人も女の子を連れて中華のフルコースに行ったこともある。帰り道、みんなにチャイナドレスを買ってあげたこともある。しゃぶしゃぶ、ステーキ、焼肉、寿司、海鮮。このクラブだけで、1億円は使っただろう。いわゆる太客だった。
マスターは親切だが根っからの詐欺師だった。二人で高級ステーキハウスに行くはずが、いつのまにか女性二人が付いて来た。支払いは俺だ。4人で25万。高いワインを遠慮なく注文していた。皆、既婚者なので、これは「キコンパ」だと笑っていた。
10万円単位で、金を貸して欲しいと何度も言われた。断ることもせず、貸していた。返ってくることもあれば、返って来ないこともあった。そのうち、返ってくることは無くなった。気にしていなかった。10万円は小銭だった。
2年が過ぎた。私の贅沢癖は治らなかった。気が付くと現金残高が1億円を切っていた。株に3億円割り当てていたのだが、例のピーマンショックで、時価は1億円を切っていた。不動産も下がり、いまでは3千万円と言われている。俺は焦った。それでも生活態度は変わらなかった。
2.大妄想
暑い夏だった。遂にお金が無くなろうとしている。俺は「次世代文明の誕生」を緊急出版した。そのうち、寝られなくなった。朦朧としていた。
毎週日曜日に趣味で行っているサークルに行けば、餞別として30万円は集まると妄想した。友達と電話が繋がらなくなり、友達は私の身代わりに、ライフルで撃たれて死亡したと妄想した。春には大学の学長に就任すると妄想した。大手某社の社外取締役に就任すると妄想した。そして、空き巣が入ったと妄想して警察を呼んだ。
女性警察官が来た。俺は散らかった部屋の中で熱弁をふるった。1時間ほどして、女性警察官が、話を聞くから荷物を持って署に来いという。俺は、ワゴン車で警察署に行った。そこでも、1時間ほど熱弁をふるったらしいが記憶がない。俺は再びワゴン車に乗せられた。向かった先は、山奥の精神病院だった。
俺はいきなり、スーパー隔離に入れられた。ナースステーションの裏にある、ガラス張りの部屋だ。特別な保護室である。
主治医は、南川というブラックジャックのような二枚目の医者だった。南川ドクターは私に言った。
「環境調整が必要ですね」
環境調整? 聞きなれない言葉が出て来た。
「どういうことですか?」
「貴方は贅沢をして破綻した。まずは、家賃の安いところに引っ越してください。それが、退院の第一条件」
俺は頭が混乱した。俺は破綻などしていない。引っ越す理由などない。こんな精神科医療など聞いたことがない。環境調整。医療がそこまで介入するのか。
病院の公衆電話から弁護士に電話した。医者にそんなことを言われる筋合いは無いが、入院していたのでは話にならないと言われた。
区役所にも相談したが、医者に従えと言うだけだった。
入院は8ケ月におよんだ。妄想は消えていた。長期の外泊許可も取れた。俺は入院中にマンションを売り、アパートに引っ越した。引っ越しが終わって、やっと退院になった。帰宅する電車で、私は正常な人間だと感じた。
3.自己破産
書いていて苦しくなってきた。とっとと書き上げてしまえ。
区役所の相談員が、社協から金を借りて引っ越せというので、その通りにした。しかし、予定していた生活保護には着地できなかった。ローン。病院代。借金の総額は300万円を超えた。月々の支払いが5万円以上。弁護士に相談すると、自己破産しましょうというのでええ、そうした。免責決定がおりるまで、4ケ月かかった。
自己破産の手続きをすると、区役所の相談員は激怒して口をきかなくなった。弁護士にこの話をすると「ここは日本だ」と言ってやれと言われた。
1ケ月200万円の生活から、障害年金の月額15万円の生活に落とすのは至難だった。大勢の友達から、10万円単位でお金を借りた。もちろん、返せないことは友達も分かっている。手切れ金だと言って、お金を振り込んでくれた女性もいた。
行動半径が狭くなった。電車にも乗らなくなった。世捨て人か浮浪者か、そんな感じになっていた。
近所のクリニックの医者の命令で、就労継続支援B型事業所に通所するようになった。地域活動支援センター、通称、地活にも顔を出すようになった。訪問看護が来るようになった。一般世界から精神障害者世界へ、俺は大きく戸惑った。
頼みの綱だった、佐藤大作氏は急逝した。
4.生活保護
自己破産から2年が過ぎ、ようやく生活保護の申請が通った。これで病院代は怖くない。そう思ったのもつかの間。半年もしないうちに病状が急変した。30万円の障害年金を、1週間で使い切ってしまったのだ。記憶がない。躁状態に解離性障害が混じったようだ。また、友人に電話して、お金を振り込んでもらった。医者は、後見人を付けろと言った。弁護士は無理だと言った。障害者支援センターから、社協がやっている金銭管理サポートを紹介された。契約まで、2ケ月かかった。通帳と印鑑を預け、別口座に週1回8千円振り込んでもらうことで話がまとまった。家賃や通信費、光熱費などは金銭管理サポートがやってくれる。最低限の生存が保障されたのだった。
5.ハイボール天国
地活で知り合ったM君が毎日家に遊びに来るようになった。いつも、ハイボールを奢ってくれた。その頃から、毎日飲むようになった。この頃には、借金を行政に返したので、週1万2千円になっていた。
遂に、俺はアルコール依存症にもなった。シアナマイドという抗酒剤が処方された。それでもハイボールをのむので、呼吸困難になり救急車を呼んだこともある。パニック発作、頻脈発作で救急車を呼んだこともある。喘息でも呼んだし、歩行困難でも呼んだ。都合20回は救急車に乗っただろう。それでも点滴止まり、入院になったことはない。
γーGTが3000を超えた。基準値の20倍である。内科医は焦って精神科医に手紙を書き、俺は専門病院に入院した。そこで知り合ったのが玲子である。ここから先の話は、小説「ハイボール天国」に詳しい。是非、読んでください。
6.最後に
貧困は苦しい。まず、本が買えない。喫茶店に行けない。100円の缶コーヒーを買うかどうかで迷う。まさか、こんな状況になるとは思ってもみなかった。
20億円は10年で消えた。
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