第16話 もう、私はいない
「続・狂った季節」を書きかけていた。行政の相談員に主導権を握られ、ずるずると精神障害者世界に引きずり込まれたこと。4連続で、ヤブ医者にあたったこと。自己破産から生活保護、さらに金銭管理を委託するという転落の軌跡など、を書くはずだった。しかし、筆が進まない。苦しくて書けないのだ。
20年間、抗精神病薬を飲んできて失った最大のもの。それは自分自身だろう。もう、熱狂と興奮を楽しんだ昔の自分はいない。ドパミンを遮断し続けているからだ。昔の自分。それすら、思い出せなくなっている。もう、私はいないのだ。
これを書いているのが、2021年4月27日。10年前は、まだ私がいたように思う。1ケ月毎日麻雀。実に私らしいと思う。すべてを変えた2014年の入院。2015年には、生きるために全てを捨てた。
自分が自分であるとは、どういうことなのか。自分らしさが消えるとは、どういうことなのか。精神疾患を抱え、抗精神病薬を飲んでいるすべての人に関わる問題だ。自分が自分でなくなって、それでも生きる意味はあるのか。
数年前まで、私は自身の躁エピソードを面白いと思っていた。今は、ただ不快なだけだ。惨めさに包まれるだけだ。
アイデンティティの喪失。いま、私は消えている。これからどう生きるか。まったく気力が生まれない。早く死にたいくらいだ。
精神科の薬を飲むには、よく損得勘定を考える必要があると言ったのは、オリバー・サックスだ。2012年には、リスパダールが1日、2ミリだ3ミリだと細かいことを言っていた。2014年の入院時には12ミリ飲んだ。今でも、インヴェガの9ミリを飲んでいる。
飲まないとどうなるか。破滅だろう。もっとも、飲んでいても破滅はする。厄介な病気なのだ。気が重くなる。そこに、私がいない。
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