第154話 金ヶ崎の退き口 弐


■1570年4月28日

 越前国 敦賀郡

 織田軍後詰 石島隊


 日も暮れ始めた頃になって俺達に急報が寄せられた。

 北近江の浅井長政さんが裏切ったという知らせは既に届いていたが、それよりも驚いたのが間もなく信長様がここら辺を通るという事である。


(金ヶ崎の退き口か……)


 正月に話していた信長様の大逃走劇が始まったらしい。


 もっとも、伊藤さん曰く「言われてる程凄惨な撤退戦にはならない筈」との事だが、その伊藤さん本人がここに来ていないのだから、その言葉もあまりあてにしないほうが良いだろう。

 急報を受けた森さんの命令で敦賀郡に展開した俺達後詰め部隊は、信長様が何処を通過しても安全に通れるように各所を警戒中である。


「殿、仕度が整いまして御座います!」


 吉田くんの知らせに、俺は無言で頷いた。

 もし、俺が受け持っているこの場所を信長さんが通った場合にすべきことを手配したのだ。


 まずは替えのお馬さん。なるべく駿馬と呼ばれるいい馬を整えた。お供の方の分まで駿馬は揃わなかったが、それでもなるべく元気な子を十頭ばかり選んで待機させている。それから綺麗な水。きっと一目散に駆けてくるのであれば喉が渇いているだろう。簡単な食事も用意させているが、それを食べる余裕があるかどうかはわからない。無駄になってもいいからと準備させている。


 一口に敦賀郡と言ってもかなり広い。


 俺が主人公であればここで信長様が通るのは間違いないが、もしかしたら主人公は伊藤さんかもしれないので、そうなると信長様は通らないかもしれない。

 そんな事を考えていたら、十五くんがかなり遠くから叫び声を上げた。


「殿! 兵団が参ります!」

「わかった!」


 流石にもう着慣れた甲冑をがしゃがしゃと揺らしながら、俺は最前列へと足を運んだ。その兵団から、一人の武者が単騎で先行し、こちらへ向かっている。


「どうどう、これは石島様ではありませぬか。斎藤利三で御座る」

「おお、斎藤さん!」


 つーくんばかりを重用する稲葉さんと喧嘩して、今年から明智さんの部下に転職した斎藤さんだった。


「流石は石島様、良き陣立てよ」


 俺は丹後街道から少し南、小高い地点に陣を張っていた。

 別に俺が選んだわけじゃなく、森さんから割り当てられた地域の中から十五くんがこの場所を選んだ。当然この場所から割り当てられた地域全般に兵を出して警戒中である。


 斎藤さんとご挨拶を交わしているうちに、後方から明智光秀さんがやってきた。


「石島殿、この陣所、我らにお譲りくださらんか」


 その事が何を意味するのかよく分からないが、とにかく余裕のなさそうな緊迫した空気に俺はただ頷いて了承するしかなかった。


「有難き事、この場は我等が抑えます故、森殿と共に退かれませ」


 明智さんはそう言うと、直に振り返って部下達に指示を出し始めた。

 結局、用意した馬と食事は無駄になってしまったが、それはそれで良しとしなければならない。


 俺達は陣所を明智さんに譲ると、割り当てられた担当地域の別の場所へ移動した。先程の地点よりも若干金ヶ崎城方面、丹後街道の北側へと移動。

 街道を横切るのは若干大変だったが、味方の撤退の切れ間を縫ってどうにか渡る事が出来た。


 北側は海。南に丹後街道が走る。

 十五くんと地図を見ながら、ああでもないこうでもないと話しているがらちが明かない。


 俺達のいる地点と、後詰めの他の部隊が展開している位置関係が全く掴めていないのだ。先程、吉田くんが森さんの陣に走ってくれて、他部隊の位置を情報収集してくれている。


「このまま夜通し撤退が続けば、明日の朝には我等も引く事になりましょうな」


 十五くんの読みが正しいとするならば、今日はちょっとでもいいから兵の皆さんを休ませないといけない。明日からは俺達も急いで撤退しなければならないのだ。



◆◇◆◇◆


◇1570年4月28日 夜

 越前国 木の芽峠

 朝倉軍


 織田の軍旗が押し並べられた木の芽峠は、既に朝倉軍で満ち溢れていた。


 池田勝正と金田正利率いる殿軍は、撤退の順番を待っていた織田本隊に別経路からの撤退を進言。北陸街道を迂回する形での撤退に導き、見事に撤収せしめたのである。


 単純な話だけをすれば「遠回り」ではあるが、狭所が続く北陸街道の越前口を大軍で通るのは時間がかかる。

 待っているくらいならば遠回りさせよう、という事で、とにかく朝倉軍の眼前に織田の本隊が晒される事態を避ける狙いであり、見事に成功。正しく一兵も損ずる事なく、木の芽峠からの撤退に成功していた。


 肩透かしを喰らった形となった朝倉軍は、織田の状況を掴むべく情報収集に躍起となっていた。


「申し上げます! 織田勢、金ヶ崎城の守りを固めておる様子!」

「情けなき事よ。南北朝の時代より堅城で知られたる金ヶ崎城をたった二日で諦め、あげく敵に用いられるとはな」


 知らせを受けた朝倉軍の大将、朝倉景鏡あさくらかげあきらは、這う這うの体で逃げ帰って来た金ヶ崎城の守将、朝倉景恒あさくらかげつねに冷徹な視線を送った。


 朝倉景恒は朝倉家の軍の中核を担っていた将で、足利義昭が越前へ下向して来たときには出迎えて歓待し、足利義昭から朝廷官位の中務大輔に任じられた程の人であり、足利義昭が織田信長を頼った際には軍を率いて近江まで護衛を務めている。


「いかな堅城とて後詰め無しでは抗しがたい。府中を動こうとしなかったのは御貴殿ではありませぬか」


 景恒にしてみれば、当然来るであろう筈の援軍が来なかったほうが悪い、といった所存であるが、問題は守将とその後詰めの間柄が冷え切っていた事だ。朝倉家の軍事執行権は、現在の所この両者の間で揺れに揺れているのである。


 景鏡は援軍の立場から、金ヶ崎を守りきれなかった将として景恒を貶めたいと思っている。

 景恒は城の守将として、金ヶ崎への援軍が遅くなった景鏡の責任として追及するつもりでいる。


 要するに、援軍はその足をわざと遅らせ、待っていたいほうは少し遅くなった事を口実に敢えて早めに開城してしまったのだ。


「ふん。たった三日も耐えれんとはな。朝倉の恥辱よ」

「おのれ!」


 この景恒と景鏡、現在の軍事執行権を争うだけでなく、浅はかならぬ因縁を持ち合わせている。


 景恒は当初、敦賀朝倉家の二男であった為に僧体となって寺に入っていた。しかし、加賀出陣中の兄が陣中で景鏡と口論となり、その場で自害するという事件が発生し、急遽敦賀朝倉家を継いだ。


 いわば、景恒にしてみれば、景鏡は同族ではあるが兄の仇である。

 景鏡は、怒りに震える景恒を一瞥し、馬に跨って号令をかけた。


「味方の尻拭いぞ。者共、今夜中に金ヶ崎へ取り付くぞ!」

「応!」


 後日、朝倉景恒はこの時の事が元で失脚。一族の恥じと誹られその力を失い、永平寺に遁居すると失意のうちにその生涯を閉じる事になる。

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