第138話 阿坂城の戦い 参
後方の蜂須賀隊が窮地ではあるが、助けに戻るよりも前に進む事で窮地を脱しようと決意を決めた木下藤吉郎は、ここを勝負所と考え腹をくくった。
「よいな、気合入れろよ! 落とすぞ!」
主の鼓舞に力を取り戻しつつあった木下隊の面々は、次の瞬間、その色を失った。
「いぎゃ!?」
木下藤吉郎の左大腿部に、何処からか飛来した矢が深々と突き立ったのである。
直に藤吉郎を囲むようにして立ちはだかり、自らの体を盾にして主を守らんとする木下隊。矢がどこから放たれた物か見当も付かないでいた。
周囲には自隊が展開しており、鉄砲でさえ当てる事が出来ないであろう距離までは制圧しているのである。
木下隊は瞬く間に動揺に包まれた。
山頂から陣太鼓が鳴り響く。
それと同時に本丸を出た大宮含忍斎率いる四百騎は、わき目も振らずに大手門に展開する木下隊を目指して逆落としを仕掛けた。
逆落としとは、斜面の高所から低所へ向けて行う攻撃方法で、高所から敵を見下ろせるのでその陣容が手に取るように分かる利点があり、その利点を活かして駆け下りる勢いのままに敵へ突入するという荒々しい戦術である。
しかし今この場面では、その荒々しい戦術こそ大きな効果を発揮した。
「我等も行くぞ! 蹴散らせ!」
大宮含忍斎率いる部隊に遅れじと、大宮景連も自隊へ戻って攻撃を命じる。
この波状攻撃に木下隊はなすすべもなく、負傷した主を守ってどうにか撤退する事しか出来ずにいた。
撤退距離は次第に伸び、大手門を追われ、切掘りへ落ち、斜面を転げる。
馬場で混乱していた蜂須賀隊も、本隊が引いてはその戦線維持は難しく、次々と搦め手から転がり落ちるようにして撤退を開始。
この段階で、今回の攻撃は失敗したと言って良いであろう。
木下隊にしてみれば後はどれだけ被害を出さず、更には出来るだけ下がらずに持ちこたえられるかどうかが問題になる。
大宮隊は真逆である。
後はどれだけ相手を討ち取れるか、出来る事ならこの山から敵勢を駆逐してしまいたい。
大手門を少し下った山道でどうにか体勢の立て直しを図る木下隊に対し、こちらも一度体勢を立て直した大宮含忍斎親子率いる部隊が、二度目の逆落としを慣行せんとしたその時。
大宮隊が布陣する上、大手門付近に織田軍がひょっこりと姿を現したのだ。
「敵の隊は乱れておる、好機ぞ! 逆落としをかけよ!」
斜面を登り峰を一つ迂回し、直接本丸を強襲しようと目論んでいた竹中半兵衛の一隊が、蜂須賀隊を襲った一斉射撃の轟音を聞きつけて急遽駆け戻ったのである。
山道の上と下に敵を持った大宮親子の手勢は、織田勢に挟み撃ちされる形となった。
「御味方じゃ、敵は袋のネズミぞ! 挟撃いたす、続け!」
これまで散々追い落とされていた木下隊の中から、血気盛んな一隊が飛び出して大宮隊へ向けて山道を駆け上がる。
先頭を駆ける将が迫りくる矢を刀で叩き落とし、突き入れられる槍を躱して敵を薙ぎ払う。
その勇士に大宮隊が一瞬怯んだ。
「織田家石島臣下、大原十三綱義! 参る!」
木下隊を引っ張り上げるように勇敢に戦う石島隊と、高所より勢いよく仕掛けてくる竹中隊の対応に追われ、大宮親子は思うように攻めきれずにいた。
その上、別口から攻め上がってくる新たな織田勢を発見したのである。
「新手じゃと!? 南の郭からか?」
南側は確かに少数の兵しか置いていないが、任せた将には大宮含忍斎を名乗る様に言い含めてある。
それがこの短時間で北側に兵を回してくるなど、どう考えても説明が付かない。
(策が看破されたか、もしくは内通者か)
流石に新手まで迎え撃つには戦況が不利が過ぎる。
既に挟撃の憂き目にあっている大宮親子は、ここで撤退を決めた。
「引け! 本丸まで駆けよ!」
一度は勝利を確信した大宮親子であったが、勝負を諦めて退路を切り開き、本丸への退却を余儀なくされた。
織田軍を追い散らしながらも最後は挟撃を受け撤退となった大宮親子に、南の郭が陥落したとの知らせが届いたのは日が傾いてからであった。
「早いな。南に寄せたのは誰じゃ」
如何に少数の兵しか置かなかったとはいえ、余りにも早すぎる。まだ開戦から数時間であった。
「ハッ。寄せ手の大将は木下藤吉郎の弟、木下小一郎と申す者であるとの事」
「ふむ、弟か。知らぬな」
薄暗くなり始めた阿坂城で、大宮含忍斎は想定外の事態に頭を悩ませていた。
この当時、木下藤吉郎の武名はそれ程知られていない。
大宮含忍斎にしてみても、木下藤吉郎などかろうじて知っている程度である。なんでも農民の出でありながら、一時的に京都奉行まで務めた人物であるとか。
その程度の知識しか持ち合わせてない彼等が、木下小一郎を知っている訳も無かった。
「父上、南がこうも早く落ちるとは想定外でしたな」
景連にしてみても、南の郭はもう少し持ち堪えると思っていた。
「いや、落ちる物は遅かれ早かれ落ちる。だがな、こちらに兵を回すのが早すぎる。それだけは解せぬ」
竹中隊の行動も不信である。
あの状況下で態々伏兵を準備していたというのは、南からの増援を期待して勝負所を伺っていたのではないかとさえ思えてくる。
さらには木下隊の猛反撃。
決して弱いとまでは言わないが、然程の手応えもなく蹴散らす事が出来た木下隊から、あの状況に及んでようやく骨のある一隊が現れた。
竹中隊の伏兵。
木下隊の反撃。
そして南の郭からの増援。
全てが申し合わせたように足並みを揃えていたようにさえ見て取れる。
この思いが、大宮含忍斎に疑念を抱かせていた。
「景連、主だった将を全て集めよ」
「父上、無用な心配事はなされますな。織田に通じている者などおりませぬ!」
「どうであろうな、話してみなければ分からぬであろうよ」
時に人は、自身の言葉で暗示にかかる事がある。
大宮含忍斎はこの時、まさしく自身の言葉によって身内に裏切り者がいるであろうという確信的な暗示に取り付かれる事になった。
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