第139話 阿坂城の戦い 四

――阿坂城 木下陣


 左大腿部の矢傷は当たり所が良く、動脈を傷つける事なく矢を引き抜く事が出来ていた。


「いたたた、全くもって難儀な事よ。それにしても、洋太郎殿のご家中にはかような猛者がおったのか。もっと早う言うてくれれば前線で働いてもらったものを」


 そうは言うが、例えどれ程評判の猛者であっても、木下家以外の者を前線に立たせる気など毛頭なかった木下藤吉郎である。

 しかし事ここに及んでは、奮戦してくれた事に礼を述べるより他にない。


「勿体なきお言葉、何なりとご命じ下され」


 大原綱義が小さく頭を下げる。


(こりゃ良き男じゃな、洋太郎殿は本当に良い家臣を持っておる)


 木下とて良い家臣を持っている自信はある。

 現に、先程入った報告によれば、家臣の代表である弟小一郎があっという間に南の廓を制圧してしまったのだ。

 その上、武勇に優れた宮田喜八に五百騎の手勢を付け、北の廓攻略に助勢まで買って出ているのである。


「半兵衛よ、此度の小一郎の働きは神がかっておるな」


 言いながら大げさに笑う木下であるが、既に次の攻撃の事で頭がいっぱいであった。


(今日中に落とさねばならんて、どうするかの)


 例えどれ程の犠牲を払おうとも、ここで落とせずに引くなどあってはならない。

 この城攻めの大将を任せてくれた主君織田信長に対し、満足のいく結果を持ち帰らなければならないのだ。

 そんな心配をしている木下に対し、竹中が声をかける。


「もうしばらく。城側から降伏の使者が参りましょう」

「なんじゃ!? なにをした!? いたた」


 身を起こして竹中に詰め寄ったみたが、負傷した大腿部の痛みが尋常ではない。油薬を塗り込んで止血してはあるが、戻り次第医師に診せなければならない程の傷である。


「小一郎様のご活躍を少々頂戴致しましてな。城側が自ら崩れ去るように仕向けておきました」


 言葉の途中でその視線を木下から外し、山頂の阿坂城を見つめるようにした竹中は、そのまま言葉を続けた。


「仕上げをして参りますので、殿はここでお待ちくだされ」


 そのまま陣を出る竹中を、木下はじっと見つめていた。自分が必死に頼み込んだ策士の腕前を、いよいよ見れるのである。

 そしてもう一人、竹中の背を見つめている人物がいた。


(どのような策を用意なされたか気になるな。後程伊藤様にもご報告申し上げねばならんだろう。こうしていても仕方がない、直接見てくるか)


 大原綱義は伊藤への報告の必要性を口実に、己が興味を満たすべく竹中の後を追った。




――阿坂城 本丸

  大宮軍


 日はゆっくりと傾きを見せ、西の空が橙色に染まり始めている。

 主だった将を呼びつけて直接尋問した大宮含忍は、確証を持てる材料を得ることが出来ずに苛立ちを隠せない程になっていた。


(父上がこうも狼狽えるとは)


 長年に渡って北畠家の軍事を引き受けてきた歴戦の勇士である父が、これ程までに動揺を表に出している姿を景連は見た事がない。

 逆を言えば、それ程までに自信のあった渾身の一手が上手くいかなかったという事であろう。


 そして、この大将の狼狽が阿坂城の崩壊を導いていた。


 大宮親子が本丸に引き上げ、阿坂城側の将兵が各所で守りを固めて行く中、竹中半兵衛は将兵四名との接触に成功。

 それぞれにその武勇を称え、織田家からの賞賛であるとして、木下藤吉郎が部下への褒美用に準備していた刀や槍をくれてやったのである。


 その上で「此度の働きを大宮含忍斎が認めてくれないようであれば、当家で召し抱えるので申してまいられよ」と言い含めたのである。

 竹中はこの時、偶然ながらも戦況が優位に傾いた経緯について、切れ者である大宮含忍が疑念を抱かぬはずがないと睨んでいた。


 そして竹中のその予見は敵中。


 大宮親子と共に奮戦した将兵は、その手柄を認められて賞賛されるどころか、織田に内通しているのではないかとの疑いを向けられ、問い詰められるという扱いを受けていたのである。


 この扱いに、一人の将兵が不満を爆発させた。


「織田方に知らせよ。城側の鉄砲は全て使い物にならなくなったとな」


 その将兵は、城に搬入された鉄砲用の火薬や火縄に水をかけ、全て使い物にならなくしてしまったのである。

 その上で大手門の西側の山麓に入って反旗を翻し、織田軍が攻め寄せれば大手門を挟撃出来る体制を整えた。


 せっかく用意した百丁の鉄砲も、火薬と火縄が無ければ正に無用の長物である。更には将兵が寝返り、その寝返りに同調しかねない者もいる。


 こうなっては抵抗は難しい。


 その状況になって、竹中半兵衛率いる三百騎が大手門に姿を見せた。竹中隊と同調するように、喜八率いる五百騎も搦め手を突破し、難なく馬場を占拠。


 日が落ちる前に大宮親子は降伏を宣言。

 城兵の命と引き換えに己が身を指し出した。


「斬れ、首を弾正忠様に届けるんじゃ!」


 木下にしてみれば、自分の足に矢を付き立てた親子である。感情が優先し、この両名を召し抱えようという余裕は全く以って持ち合わせていない状況であった。


 これまで何度か織田の攻撃を凌いできた難攻不落の阿坂城は、木下藤吉郎隊の猛攻の前に僅か半日で落城した。

 しかしそれには多くの犠牲が伴い、この辛勝は木下藤吉郎の今後の城攻めに一つの大きな大方針を決定付ける事になる。


(力攻めはいかんな、犠牲が多すぎるわ)


 豊臣秀吉生涯たった一度の戦傷を受けたと言われるこの戦は、木下藤吉郎が独力で挑んだ最初の城攻めであり、後に城攻め名人と言われるまでになる初めの一歩となった。

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