第132話 織田九郎信治さま

■1569年 7月末

 美濃国

 岐阜城 石島家屋敷


 伊藤さんと香さんの婚儀は華やかな物になると思っていたのだが、意外と質素な雰囲気で執り行われた。


 相手が石島家の臣下である伊藤さんだからであろう。

 それでも織田家重臣の方々から送られてくる祝いの品々は、豪華絢爛を絵にかいたような宝の山となった。



 俺達はそのまましばらく岐阜城に滞在を許され、七月も終わりを迎えようとしている。


「織田家御一門となられた伊藤殿を臣下に持つという事じゃ、洋太郎殿も身が引き締まる思いであろう! うらやましき事よ!」


 相変わらずの猿笑顔で木下さんが楽しそうに笑っている。


 もう数えきれないくらいこの人と話しているが、どこから話題が出てくるのか不思議なほど、本当によく喋る。

 そして凄いと思うのは、これだけ毎日会っていて毎日話しているにも関わらず、この人との時間は一向に飽きる事がない。


(キャラは濃いけど濃すぎない感じだなぁ)


 どうしても気になってしまうこの人の右手に関しては、触れない事にしている。

 木下さん自身が一本多い親指を笑いのネタにしてしまう程度だからあまり気にする事も無いのであろう。この時代は障がい者に対する扱いもかなり雑なようで、木下さん曰く、昔はこの指の事で散々な目にあって来たそうだ。


 半月を超える岐阜滞在期間中、俺は実に色々な方々と顔見知りになった。


 伊藤さんの勧めもあって、織田家の武将さん達とお酒を酌み交わしたり、馬に乗って走り回ったり、時には城下町に出かけては陽には言えないようなお店に入ったりもした。


 そんな中、特に仲良しになった人がいる。


 立場上【伊藤さんの義理の叔父】にあたるのだろうか、そんな関係があって話し始めた所、何かと意気投合してしまった。


 織田九郎信治おだくろうのぶはるさん。


 織田信長様の弟さんで、歳は俺と同じくらいで本人は二十五だと言っていた。


 実に快活で物事に頓着しない性格の持ち主である。

 現在は野府城という尾張のお城を任されている立派な城主さんで、動員兵力は二千騎を超える有力武将さんだ。


 俺達が郡上へ戻る日。


 態々挨拶に訪ねて来てくれたから驚きである。なんせ織田家当主の弟さんな訳で、どう考えても俺が仲良く出来ちゃうような人ではないのだが。


「洋太郎よ、早うくつわを並べて戦陣に立ちたいものだな」


 そう言って俺の肩をがっちりと抱えている。


「九郎様? 俺には伊藤さんという優秀な臣下がおりますので、戦陣に並んで立てば俺の方が良き働きをするに決まってます!」


 俺は組まれた肩を組み換えし、脇腹を肘でグリグリやりながら言いかえしてやった。

 仲良くできるような立場ではないが、めっちゃ仲良しである。


「おお、言いおるのう洋太郎。ならば伊藤殿はこの九郎が臣下として貰い受けるよう兄上を説得しようかの、ならばこの九郎のほうが良き働きをするであろう?」


 九郎様も俺の脇腹をグリグリしながらやり返してきた。 


「や、そ、それは九郎様、あまり冗談になってませんからやめてください! 絶対だめですよ?」

「ハッハッハ、どうだかの……ハッハッハ」


 冗談の言い合いではあるが、伊藤さんを取られたら洒落にならない。冗談でも認める訳にはいかないので奥の手を出す。


「ああそうだ、伊藤さんに手出しするようでしたら、城下での事を弾正忠様に申し付けますぞ」

「んなっ!? それは卑怯ぞ……それは無しじゃ、な? な?」


 立ち場の低い俺に対し、困った顔で拝みながらペコペコし始めた。


 こんな可愛い所がたまらなく好きだ。


 城下での事というのは、遊女屋の事である。


 俺は九郎様と一度だけ遊びに行ったのだが、九郎様はその遊女屋の常連さんだったのだ。別に悪い事ではないのであろうが、仮にも野府城の主が岐阜の城下町にある遊女屋で遊びほうけているなど、信長様の耳に入っていいような話ではないだろう。


 その後も他愛もない会話が盛り上がり、すっかり準備の事など忘れて九郎様と話し込んでしまっていた。


 そんな俺の所へ優理がやってきた。


「九郎様、失礼を致します。殿、そろそろ出立の刻限で御座います」


 白地に薄紫の刺繍が施された美しい衣を纏っている。

 たぶん香さんに貰った服なのだろう。今までの優理とは全く違う雰囲気に見え、幻想的な美しさがあふれ出ていた。


「あ、うん」


 あまりの美しさに言葉を失った俺の横で、九郎様は目を丸くして優理に見とれていた。


「こ……なんと美しい……名は?」

「伊藤様にお仕えしております、優理と申します」


 恭しくゆっくりと頭を下げて挨拶した優理に、九郎様のほっぺは面白い程に赤くなっていた。


「なんと。伊藤殿は大層なお人じゃの、生まれは堺か? 平戸か?」


「伊藤さんの出身ですか? どこだろう、たぶん東京じゃないかな? ああ、江戸です江戸」

「江戸!? 聞かぬな。優理と申したか、その美しさ、美濃のような田舎では理解出来る者はおらぬであろうよ」


 よく分からない事を言う九郎様に、優理はニッコリとほほ笑んで言葉を返す。


「九郎様、わたくしは伊藤様にお仕えする身で御座います。ご容赦を」


 それだけを言うと美しい所作で挨拶を済ませ、そのままくるりと背を向けて屋敷に戻って行った。


(すごいなぁ、この三週間ですっかりこの時代の人みたいだ)


 ぼんやりと優理の背中を眺めていた俺の背中に、九郎様の肘鉄が突き刺さった。


「おい洋太郎よ、奥方といい今の侍女といい、その方の周りは西方美女の多き事よの。洋太郎は上方の生まれなのか?」


 肘鉄をもろにくらった俺は少し咳き込みながら会話を続けた。


 九郎様が言う事から判断すると、この時代と俺の時代とでは美的感覚のズレというものが確かにある。


 ただ最近になって、目鼻立ちがクッキリとしてい小さい顔で凛とした眉は、西洋の美女と似ている為に人気があるらしい。特に外国との交易が盛んな地域では、美人と言えば目鼻立ちがくっきりとした小顔の女性を指すそうだ。


 それまでの日本は、天井眉というあのマロ眉と、のっぺりと自己主張の薄い地味なお顔が人気だそうで、田舎では未だに美人と言えばおかめ納豆のパックのような人を指すらしい。


 九郎様に「今度必ずや西方美女を紹介してくれ」と頼み込まれてしまったが、まあそれはそれとして美的感覚のズレの正体が何であるかを知る事が出来て俺は満足している。


 木下さんは比較的先鋭的な好みの持ち主という事だろう。


 すっかり忘れていた帰還の準備は、陽が色々と済ませてくれていた。

 大変だったろうと思って平謝りしたのだが、どうやらこの屋敷はこのまま俺の物として扱われるらしく、荷物は全部置いて行っていいらしい。


 お蔭でかなり身軽になって帰路につけた。

 皆んな揃っての帰り道、俺は優理の変貌っぷりに仰天している。



「だってね? 伊藤さんったら祝言の直前になって『優理、ごめん、俺、トイレ!』とか言い出していなくなっちゃったんですよ!? ありえます!?」


 あのお淑やかな薄紫の優理さんは何処へ行ってしまったのでしょうか。


「まぁ……それで伊藤さまは遅れて参られたのですか」


 陽はとても楽しそうに優理の暴露話しを聞いている。


「優理~、あんまし色々バラしてくれるなよ」


 伊藤さんは少々気まずそうにしているが、その斜め後ろを歩く香さんが優理を援護した。


「優理、もそっと言って結構です。待たされた私の恨みを晴らしてくださいな」


 香さんもやたらと楽しそうだ。

 天候にも恵まれ、俺たちは楽しい時間を過ごしながら郡上へと戻る事が出来た。

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