第130話 宴の後

◆◇◆◇◆


◇1569年 5月同日

 美濃国

 郡上八幡城 木下の部屋



 郡上八幡でのささやかな宴の後、就寝前の竹中重治は木下の寝所へ呼ばれていた。


 木下秀吉が両手で掴んでいる扇が、みしみしと音を立て今にも折れ曲がりそうになっている。しばらく無言であったが、押し殺した声で言葉を発したのは木下秀吉であった。暗がりの部屋には、その右腕となっている竹中半兵衛重治が着座している。


「まさか決まってもない戦に陪臣の分際で『兵を貸してくれ』などと、恐れ多い事を言い出すとは思わなんだわい」


 まさしく「苦虫を噛んだ」ような表情でいる秀吉は、先程の宴で伊藤が見せた立ち振る舞いに驚きが冷めやらぬ様子である。


「この半兵衛、大誤算でありました」


 石島家を味方につけるため、信長を丸め込んで石島に恩を売るという腹づもりであった。信長が伊藤に目を掛けている事を知っての策であり、事は半兵衛の思惑通りに進んだと言っても過言ではない。


 それがたった一手、伊藤の発した言葉で想定以上の効果を発揮してしまったに過ぎない。

 一門とはいえ養女の婿であれば、周囲はそれほど重要視しないであろうが、肩書というの物は時に大きな力を発揮する事もある。


「半兵衛よ。次の戦がどうなるかわからんがな、恐らく本格的な伊勢攻めじゃ」


 京都を抑えた織田信長は、恐らく足元を固めにかかるであろう。となれば標的は間違いなく伊勢、そして伊勢国司である北畠家である。


「然様で御座りましょうな」


 半兵衛は顎に手を当てると、ゆらゆらと揺れる蝋燭の火をじっと見つめている。


「呑気な事を申すでない。伊藤は北勢に顔が効く。織田家の兵を率いて伊勢に入れば、あっという間に伊藤の旗の元に多くの伊勢兵が加わるのだぞ」


 織田家から貸与される兵数にもよるが、状況次第では伊藤の率いる兵、すなわち石島家の率いる兵が織田家最大の戦力になりかねない。


「織田家一門に推するからこうなったのじゃ。伊勢攻めで大手柄などあげられてはこちらの立場がないぞ、わかっちょるんか半兵衛」


 揺らめく灯りを見つめながら、半兵衛はゆっくりと口を開いた。


「如何にも。なれど、伊藤修一郎の才覚を間近で見れた事は何より」


 その点については秀吉にしても同様である。伊藤に対しては徒ならぬ物を感じていた。


「ほう、どう思うたのじゃ」


 半兵衛の白い肌は、この暗い部屋で漆黒の闇を吸いこみ、蝋燭の炎に怪しく揺らめいている。


「織田家中において、いや、日の本においても稀なる将器。かの者は何があろうとも味方に付けねばならぬ存在で御座います」


 暗がりではあったが、そう言い切った半兵衛の瞳に一点の曇りも無い事を秀吉は感じ取っていた。


「そちにそこまで言わせるかよ……相わかった。そのつもりでいよう」



■1569年 6月初旬

 美濃国

 郡上八幡城 石島家


 季節はすっかり梅雨入りの様子を呈してきた。

 宴が終わった夜、二ノ丸はちょっとした修羅場だったそうだ。


 唯ちゃんに説得されて伊藤さんの部屋へ戻った優理は、皆の目の前で伊藤さんに泣きついたらしい。皆というのは、香さんや陽も含めての話である。


 俺は遅くまで信長さんにお酒に付き合わされて、その場面を目撃していない。


 優理の泣きついた内容は、別に香さんとの婚儀についての文句ではなかったというから驚きである。そもそもあのタイミングで香さんとの婚儀だっていう話に気付かなかったのは俺だけらしく。

 信長さんが伊藤さんに求婚していると思っていたと打ち明けたら、全員から大爆笑されてしまった。


 話を戻すと、優理は伊藤さんに対し、彩さんという女性と重ねて自分を見てくれて構わないし、優理のお父さんの面影を見るのも構わないけれど、自分は一人の女性として伊藤さんの事を見ている、といった内容の事を泣きながら懇々と語ったそうだ。


 俺は何の話かさっぱり分からなかったが、この話を聞いた後で優理から直接教えてもらう機会があった。


 伊藤さんと優理の関係には本当に驚いた。これって運命なんじゃないの?って思う程だ。


 そんな話を聞いたからなのだろうか。俺は優理に対しての想いがすっかり吹っ切れたようだ。

 陽には申し訳ないが、どうもやっぱり優理の事は頭から離れなかった。


 それが、今は伊藤さんとの関係を応援したくなっている。


 そこで問題になってしまうと思われたのが香さんの存在だったのだが。

 実は香さんと優理、俺が思っていた以上に仲良しである。


 唯ちゃんを通じてより深く分かりあえた間柄らしいのだが、確かに二人は何処となく似ている雰囲気を持っている気がしなくもない。

 香さんが正妻として伊藤さんを支えていく事に、優理は驚く程の寛容さを持ってそれを歓迎しているというのだ。


 その上、香さんも実に寛容。


 一緒に住み始める予定の優理と伊藤さんの関係を大事にしたい、とか言い出したらしく、祝言を上げるまでは一切伊藤さんの部屋には立ち入らないと宣言。


 祝言を上げた後も、優理と伊藤さんと三人で生活する事を提案しているらしい。


(なんて羨ましい話だ!)


 この手のハーレムは主人公にこそふさわしいはずなのだが。何故かそれは全て伊藤さんの所へいってしまう。


 今に始まった話ではないが、ずーーーっと伊藤さんがハーレム状態である。やっぱり伊藤さんが主人公なんじゃないかと思い始めた六月初旬。


 信長さんの「温泉つああ」が無事に終了したと木下秀吉さんからお手紙が届いた。


 その手紙とは別に、信長さんからもお手紙が届いた。


 内容があまりにもプライベートすぎるこの手紙は、いつもの手紙と違って文字がだいぶ乱暴だったのだが、伊藤さん曰くこれが信長さんの「直筆」だそうだ。


 普段はお手紙係が文字を書くので、直筆のお手紙は大変に光栄な事らしい。



 で、その内容。


 実はあの子達、将来の織田家を背負って立つ嫡男、次男、それから徳川家に嫁いでいる女の子だそうだ。


 信長さんのお子様は沢山いるが、あの三人の共通点は一人の女性であった。


 類さんという女性のお子さん達。


 伊藤さん曰く、その類さんという女性は後世になって「織田信長の最愛の人だったのではないか」という研究がなされている人らしい。


 信長さんの手紙は、今年がその女性の三回忌にあたったそうで、ちょうど法要で実家に戻っていた徳姫様も一緒に「温泉つああ」に出向く事になったらしく、兄弟揃ってのお出かけは生涯最後になるでろうと書かれていた。


 文末には、俺や伊藤さんに対する感謝の言葉が綴られている。


 あの怖い信長さんも、素直に人に感謝を伝える事が出来るんだなーって考える、俺も見習わないといけないなと思った。

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