第127話 混乱の始まり
■1569年 5月末
美濃国
郡上八幡城 石島家
俺の頭はパニックに継ぐパニックで崩壊。
既に発狂寸前である。
昨日、伊藤さんが女の子四人を引き連れて郡上へやった来た。
一応は俺が主であるため、伊藤さんをはじめ女の子達も揃って広間で挨拶をしたのだが。形式上の挨拶を済ませた直後、伊藤さんの隣に優理がちょこんと座ると、伊藤さんから爆弾発言が飛び出したのだ。
「今日から優理と一緒に住みますので、郡上八幡でも部屋を用意して頂けると助かります」
シレっとだ。
それはもう当然のようにシレっと言い放った。
陽はなんだか嬉しそうにルンルンなご様子だけれども、俺はかなり複雑である。理性では理解しているし、それでいいんだと言い聞かせている自分がいるが、そう簡単に割り切れるものでもない。
伊藤さんの住まいにと思って二ノ丸で用意してあったお部屋をそのまま使って頂く事になったのだが、そこで伊藤さんと優理が生活する事になるのだと思うとなんだかモヤモヤする。
なんて思ってた直後、今度は岐阜城から木下秀吉さんがやって来た。
「郡上八幡城の
開口一番そんな女ったらし発言。
何をしに来たのか尋ねると、これもまた爆弾発言が飛び出した。
「明日の昼頃には弾正忠様がお忍びで参られる。故にな、それとな~くさりげな~く城下の警護を強化しておいて頂きたいのよ」
満面の猿笑みでとんでもない事を言い出した。
もう。
「ファッ!?」
である。
目的はどうやら「温泉つああ」らしい。
(本気だったんだ信長様……)
という訳けで。
昨日の大混乱を経て今日は朝から大掃除だ。
「昼までにはある程度片付くでしょう、皆頑張ってくださいね!」
言ってる俺も雑巾がけ中である。
「殿~! はやく~♪」
瑠依ちゃんに呼ばれて廊下の端へ向かう。
雑巾がけ競争だ。
「よーい! どん!」
ドタバタとすさまじい音を立てながら、綱忠くんと瑠依ちゃんの先頭争いが行われている。俺はその後ろを進んでいるが、視界は瑠依ちゃんのお尻をしっかりと捉えている。
(いいな~、素足ってやっぱいいね。足の裏とかプニプニしてるんだろうなぁ触りたい……ああ触りたい)
昨日一日で俺の脳はストレスによって崩壊している。
なので瑠依ちゃんのお尻で回復しようと必死なのだ。
決して邪な考えを持って後ろを進んでいる訳ではない。
そんな俺に向って、まだ幼さの抜けない少年のような声が投げかけられた。
「殿~! 大事! だ~い~じ~!」
伊藤さんに会いに郡上へ来ていた遠藤慶胤君が、顔面蒼白な状態で後ろから追いかけてくるではないか。
(……くそう、仕方ない、止まるか)
せっかく瑠依ちゃんのお尻を追いかけていたのだが、断腸の思いで雑巾がけを辞め、その場に立ち上がって慶胤くんの報告を聞く事にした。
「どうしました? そんなに慌てて」
(なぜもう少し待てなかったのだ!)
罵りたい気分を心の内にしまい込み、笑顔で尋ねた。
「ハッ! だだ、だっだだ」
もうまるで漫画の世界かのように口ごもっている。
「だ、だ、弾正のの、の、弾正忠様がご到着です!」
「へ?」
まだ朝である。
(お昼くらいって言ってたじゃん!)
岐阜からここまで来るのにどんなに急いでも半日はかかる事を考えると、信長さんはまだ夜が明ける前か、夜のうちに出発した事になる。
「そ、それが、昨夜は関にお泊りになられたとの事で!」
「はい?」
(おいおい頼むよ木下さん…)
関からここまでなら、思いっきりのんびり歩いても半日である。夜明け頃に出発していれば、当然のように今頃のご到着であろう。
「みんな! お掃除終了! すぐに片付けて!!」
まさか慌てて掃除している姿なんか見られるわけにもいかない。とりあえず主だった面子は正装に着替えないといけないし、急に大忙しである。
慌てふためいている俺達の耳に、聞き慣れない女性の声が飛び込んで来た。
「
可愛い足音が聞こえてくる。
――ドテッ
(こ、こけた?)
直後、今度は男の子の声が響いていた。
「ハハハハハッ! 茶筅、転びおった! ハハハッ」
しばらくすると、またパタパタと可愛い足音が響く。
どうやら再び走り出したらしい。
「茶筅! 待て! 兄が食ろうてやるぞ、まてまて~」
「もう、奇妙丸さま、茶筅丸さまをお止め下さい! 茶筅丸さまっ!」
何だか賑やかなので、誰なのか確認しようと思って廊下の角から覗こうとした時、その角から一人の男児が飛び出してきた。
十歳くらいであろうか。
その男児と俺は目が合ってしまい、数秒見つめ合う形になってしまった。
先に口を開いたのは男児のほうだった。
「誰じゃ」
(おいおい、こっちの台詞だってば)
一応、城の主である俺に向って、十歳くらいの男児が会うなり『誰じゃ』とはけしからん。
これはもう教育的指導が必要なレベルで、少々世の中の厳しさってやつを教えてやらなければならないだろう。
「あのね、ここは郡上八幡城、俺はその城主の――
「茶筅っ! 捕えたり!」
俺の説教が始まる前に、目の前の男児に別の男児が飛び付いてきた。飛び付いて来たほうはもう少し年上に見える。
(……くっ、くそう、二人まとめて説教部屋行きだ!)
俺は腕を伸ばし、二人の服の首根っこをむんずと掴もうとしたが、またまた邪魔が入った。
「はぁはぁ……ちゃ、茶筅丸さま、奇妙丸さま、あまり走り回られては困ります」
後から追いかけてきたのは歳の頃二十歳くらいのお姉さん。
子供等は息も切らすことなく元気いっぱいだが、お姉さんのほうは完全に息切れしていまっていた。
(もお、信長さんが到着したってのに、この忙しい時に誰だよホント!)
流石にお姉さんを怒鳴り散らすわけにもいかないし、何よりちょっと可愛かったのでここは大人な対応で紳士を演じる事にした。
「どうされました? ここは郡上八幡の本丸でございます、わたくしは当城の主である――
俺の紳士決め台詞も、言い終わる前に邪魔が入った。
廊下の角から姿を見せた存在にドデかい声で呼びかけられたのである。
「毬栗小僧!」
「んげっ!?」
思わず漏れた驚きの声、しっかりとこの子らに聞かれてしまった。
「んげっ? ハハハハハッ」
「んげっ、んげっとは何じゃ、兄上、んげっとは何じゃ」
(もうだめ、何コレどういう状況? 頭真っ白っす)
どうすればいいのかサッパリ分からない俺に向って、普段より軽装であるにも関わらず相変わらず派手ないでたちの信長さんがズンズン接近してくる。
見ると、ひとりの女児を抱えていた。
「あにうえがた、徳をおいてゆくとはなにごとですか」
信長さんの腕からひょいと飛び降りたその女児は、ペタペタと可愛らしく歩きながら男児二人の所へやってきた。
こちらも十歳前後に見えるお嬢ちゃんだ。
(これ三兄妹か?)
さっきまでやたらと煩かった男児二人は、信長さんの接近に道を譲り、年嵩の男児が片膝を付くのにならって小さく体を纏めた。
少年少女が片膝を付く姿はなんとも愛らしかったが、こんな子達でさえそういった文化が染みついているこの時代を恐ろしくも感じた。
俺も当然片膝をつき、思いつく限りの挨拶を述べる。
今更ながら、この少年少女が三兄妹で、末の妹を信長さんが抱っこして歩いていたという事は、だ。馬鹿でも想像が付く話である。
とりあえず広間にお通しして、陽が慌ててお茶を用意してくれた。お付きの女性から、今回はお忍びなので質素で構わないと言われたが、織田家当主の来訪にそういう訳にもいかない。
勿論、情報の漏洩に関しては細心の注意を払っている。
本丸の掃除には、本丸で働く人しか使っていないし、城下の警護はもちろん、大原から桜洞にいたるまでの警護についても抜かりなく、さりげなく、信長さんが通るなんて事は絶対にバレないように手配済みである。
もちろん、手配したのは伊藤さんだが。
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