第121話 変革に挑む者

◆◇◆◇◆


◇1569年 3月

 駿河国

 大宮城 武田家



 足利将軍家の縁戚として権威を振るい、東海道の支配者として長きに渡って繁栄してきた今川氏が、滅亡を間近に控えた風前の灯となっている。


 信濃での上杉家との抗争に決着をつける事を断念した武田家は、その外交方針を大転換。北上政策を一転させ、南下政策に切り替えたのだ。


 今川家の本拠地であった駿府は既に武田軍の占領下にあり、当主である今川氏真は家臣である朝比奈泰朝を頼って掛川城に落ち延びていた。


 この駿府落城は大大名の滅亡に相応しくない哀れな最期となった。当主自らが真っ先に逃げ出した為、城内は大混乱に陥り、暴徒化した今川の敗残兵による城内の金品、女の争奪戦が繰り広げられたのである。


 甲相駿三国同盟の証として今川氏真へ嫁していた北条氏康の娘「早川殿」は、当主の妻であるにも関わらず逃げ遅れる形となり、僅かな供回りに守られながら輿さえ用意されず、徒歩で逃げださなければならない程の地獄絵図となった。


 その実態に激怒した北条氏康は、武田家との同盟を破棄。


 既に利害関係が破綻していた甲相駿三国同盟は、ここに正式に破却された事になる。


 この状況を武田信玄は若干軽視していた節がある。

 信義などという物が通用しない戦国時代に、北条氏康が滅亡しかけている今川家への支援を買って出るとは思っていなかったのであろう。


 人間と言うものは欲に、利に忠実であり、であるからこそ、その忠実さに対して巧みに付け入る事が出来る。


 武田信玄の権謀術数には、人と言うものがある程度「欲に忠実である事」という大前提があり、その定義に当てはまる相手には神業ともいえる調略を何度となく繰り返してきた実績があった。


 しかし、北条家は違った。


 鎌倉期の執権北条家と同様の姓を名乗る北条氏は、後北条氏と言われ区別される別の一族ながらも、その姓、家紋を使用する事を朝廷に奏上して認められたと推察される「成り上がりの名家」である。


 北条氏を名乗り始めた数年後には高位官職である左京大夫に任命されており、北条家に対しての朝廷関与は疑いようがないであろう。

 そしてこの後北条家三代当主である北条氏康は、相模の獅子と恐れられる程の剛勇さと、広く民から慕われる民政家という両面を持ち合わせた名将であった。


 元は北条早雲を祖とするこの一族は「伊勢氏」が始まりであり、甲斐武田氏や駿河今川氏と比べると格下の家柄であった。


『北条氏の名を汚すような振舞いは決してしない事』


 仮初めの名家であるからこそ、その振舞いには留意したのであろうと思われる。

 下剋上が常となり始めていた戦国時代初期。後北条家2代目当主である北条氏綱は、当時としては類稀なる「義」についての家訓を遺している。



一、大将から侍にいたるまで、義を大事にすること。たとえ義に違い、国を切り取ることができても、後世の恥辱を受けるであろう。


一、侍から農民にいたるまで、全てに慈しむこと。人に捨てるようなものはいない。


一、驕らずへつらわず、その身の分限を守るをよしとすべし。


一、倹約に勤めて重視すべし。


一、いつも勝利していると、驕りが生まれ、敵を侮ったり、不行儀なことがあるので注意すべし。



 それは三代当主である北条氏康にも受け継がれ、南関東支配において広く領民に慕われた善政の元となった。


 北条氏康は武田信玄の行いを不義理であると非難し、すぐさま兵を挙げると今川支援に乗り出して伊豆地方を中心に睨み合いが始まっていた。



 駿河国、大宮城。

 今川方に属する富士氏が立て篭もるこの城を、武田菱の軍旗が取り囲んでいた。

 既に何度かの攻撃を仕掛けているが、その都度北条軍が横槍を入れてそれを食い止めている状態である。


 城攻めの総大将、武田信玄の娘婿である穴山信君の元に、武田家の政治最高職位である「職」を預かる名将、山県昌景から二名の侍大将が派遣されてきた。


 その二名のうち、年嵩の男は村上と名乗ると、次の攻撃では妨害してくる北条軍を自分達が引き受けると言い出したのだ。


「北条の手勢は四千を数えるぞ、いか程の兵を率いて参られたのだ」


 大宮城の包囲には、穴山は自身の手勢三千と、今川から寝返った名門葛山氏の手勢三千の計六千騎で挑んでいる。


 その自分達が苦戦を強いられている北条の援軍に、どう見ても然程の手勢を率いてきたとは思えない侍大将ごときが「任せろ」と言うのだ。


 到底、信じられる話ではなかった。

 そんな穴山に対し、村上は平然と答える。


「我が主、山県様よりお預かりした千二百騎で御座います」

「うむむ……」


 余りにも自信のある回答に、穴山は困惑していた。


 敵勢四千に対して千二百騎で挑むというのは、山岳地帯であるこの場の状況を考えればそれほど奇抜な発想ではない。狭所を利用してしまえば、少ない兵でもどうにか防げなくもないであろう。

 山県昌景が貸し与えたという兵であれば尚更の事、近隣諸国が震え上がる「赤備え」ならばやってやれない事もない。


 そして目の前にいるこの二人。


 武田信玄が目を掛けて山県昌景の手元に置かせている奇妙な二人組である。得体の知れない何かを持った両名が、屈強の兵を連れてきたというのだ。


 年嵩の村上は実によく弁の回る男でもある。

 傍らに静かにたたずむもう一人は、寡黙な男ではあるが実に腕の立つ人物であり、既に家中の評判になっている男だ。甲斐の名門曽根氏が是非にと懇願し、曽根の名跡をその男に継がせている程である。


(任せるか……それも良い)


 特に根拠など無い。任せてみようと思える何かを、この両名は持っていた。


「相わかった、北条への備えはお任せしよう」

「承知!」


 答えた村上の表情は、なんとも形容しがたい怪しい笑みを浮かべていた。

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