第122話 火力
翌日、早朝。
武田の陣太鼓が鳴り響くと、一斉射撃を合図に城攻めが開始された。
城に向けての一斉射撃は殆ど威嚇でしかないが、当時はその威嚇こそが最大の目的とされていた。
どんなに狙ってみた所で命中率は高くなく、射程圏ギリギリからの射撃など「当たるかもしれない」程度の代物だ。当たりさえしなければどうという事もなく、火矢と違って火災の心配も無い。
その反面、矢のように視覚で捉えて避けるような事は出来ず、当たれば負傷させる事が出来るし、当たり所次第ではそのまま絶命する恐ろしい武器である。
一斉射撃による轟音、見えない弾丸、当たると危険だという恐怖心。この三点を威嚇として使用しているに過ぎない。
実際に戦果を挙げることもあるが、それは矢や乱戦におけるそれと比べれば大した事ではなかった。
「ヨシオ、いくぜ」
「んだな」
北条軍は既に城攻めを行う武田軍の背後を突くべく動き出している。迎え撃つ山県隊の面々は村上を先頭に斜面を下りると、比較的見通しの良い平地に展開した。
(馬鹿な……四倍の敵を相手に態々平地を選ぶのか?)
城攻めを行いながら後方に気を掛けていた穴山は、山県隊に背後を任せた事を後悔し始めていた。
(結局は我らが備えねばならぬのか)
昨日までと違って全力で城攻めに当たれている為、攻城のほうは上手くいっている。とは言え背後を突かれては元も子もない。
(どうする……どうすべきじゃ)
攻め手を緩めて背後に備えるか。背後を守る山県隊を信頼して攻めに徹するか。
穴山は緊張で背中にびっしょりと汗をかいていた。
その頃、北条軍は前方に展開した山県隊へ接近しつつあった。
「申し上げます、前方に赤備え!」
武田勢の背後に向けて行軍中の北条軍は、歩みを止める事無く、報告も進みながら行われる。
「数は!」
「ハッ! 一千程かと!」
「侮りおって、目にもの見せてくれる」
そう呟いた老練の指揮官が率いる隊の近習は、背に『八幡』の文字が掛れた旗指物を掲げていた。
「者共! 押し通るぞ!」
『応!』
『応!』
「正面突破じゃ!
『応! 鋒矢の陣!』
伝令が駆けまわり、たちまち陣形が変わっていく。
移動中の陣形変更は困難を極める。ましてや敵の眼前で行うとなれば不測の事態を招きかねない危険な行為である。しかし、北条軍随一の練度を誇るこの部隊には、移動中の陣形変更など朝飯前であった。
(態々平地へ降りてくるとはな、山県三郎兵衛は来ていないという報告は真であったようだな)
如何に屈強で知られる赤備えとて、大将が不在であれば恐れる事はない。風魔忍からの報告によれば、山県昌景は現在駿府方面で指揮を取っているという。
この北条軍を率いる老練の将も、相手が山県昌景であればこのような突撃を慣行する筈も無かった。だが、相手がそうでないのであれば恐れる必要は無い。
「赤備えを見れば誰しもが臆すると思うたか! 大きな間違いぞ!」
鋒矢の陣とは、先頭を行く中央の部隊を矢じりの先端に見立てて両翼に先駆けて突出させ、敵陣に深く突き刺さっては両翼が左右に押し広げ、そのまま敵陣を突破する陣形である。
その突き刺さる役割の先頭を行くのは、総大将である北条綱成本人が率いる部隊。
黄色地の布に「八幡」の文字を染め抜いた旗指物を背負い、数々の敵を蹴散らしてきたこの部隊は「地黄八幡」と呼ばれ近隣諸国から畏怖の対象となっている。
「赤備え何するものぞ、地黄八幡がお相手致す! 者共かかれや!」
眼前に広く展開する赤備えの中央へ向け、一点突破をすべく采を振るった。
(寡兵を広く展開するとはな……この勝負もらったぞ)
千二百騎を広く展開した山県隊に対し、北条軍はその四千騎を全て中央に集中させ、一気に突き崩す構えに入った。
一方、武田側。
山県隊を指揮する村上はこの状況を良しとしていた。
「来た来た、予想通りの鋒矢」
村上はこの勝負に絶対の自信を持っていた。
実はこの山県隊、赤備えを着用してはいるが、僅か一年前に雇われた新兵であり、屈強で名を知られる赤備え隊とは性質が大きく違う。
その上、これが初陣であった。にも関わらず、自信は村上本人だけでなく千二百騎それぞれが抱いている。誰一人として疑う事無く、目の前に迫る北条軍四千騎を打ち破るつもりでいるのだ。
「火蓋を切れぇええええ!」
『火蓋をきれ!』
合図と共に各所で火蓋を切れという激が飛んだ。
「構よ!」
『構ぇぇぇ!』
『かまえ~!』
北条軍の戦闘部隊は既に殺傷距離に突入している。
「地黄八幡か……ご苦労さん」
呟いた村上の口元がニヤリと笑った。
直後。
「撃てぇ!」
『撃て!』
――バリバリバリバリ
大地を切り裂く轟音が大宮城一帯を包み込んだ。
この日、山県隊が準備した鉄砲の数は二千四百丁を超える。
兵六百に対し一丁づつ。残りの兵六百に対しては一人につき三丁の鉄砲が貸与されている。
この一年間、六百騎はひたすらに射撃訓練に励み、残り六百騎はひたすら弾込めを始めとした装填訓練に励んできた。
装填が終わり発射準備の整った鉄砲を、射撃兵に受け渡すための「砲掛け」なる装置を開発。
ひたすら弾を込め「砲掛け」に鉄砲を置く。
射撃兵はその「砲掛け」から準備の整った鉄砲を受け取り、打ち終わった鉄砲を「砲掛け」に戻す。
特に圧倒的なのはその初撃であった。準備の整った鉄砲が三丁用意されているのである。
北条軍を襲った最初の一斉射撃から、五秒と待たずに次の一斉射撃が行われた。
「撃て!」
――バリバリバリバリ
そして更にその五秒後。
「撃てぇ!」
赤備えは白煙に包まれ、北条軍からはその姿を目視するのが難しい程となった。
だが北条軍の先頭を進んでいた部隊は、例え白煙がなくとも赤備えを目にする事が出来なくなっていた。
一斉に襲い掛かった六百発もの鉛玉に次々と倒れたのである。
実に凄惨を極めた。
幾つもの鉛玉が同時に突き抜けていく。
場合によっては「撃たれる」等と言う状態ではなく、鉛玉の波に薙ぎ払われるような状態になった者もある。その者の体は胴を境に上半身と下半身が離れ離れになる程に、大量の鉛玉が身体を貫通していた。
さらに五秒後。
「撃て!」
――バリバリバリバリ
最初の射撃と、用意されていた三丁を撃ち終わる。ここまでに要した時間は僅か三十秒にも満たない。
訓練を重ねてきた弾込め部隊は、三十秒かかると言われている装填をそれよりも早く終わらせられる程に訓練されている。
となれば、次の射撃準備は既に整っており。
数秒後には。
「撃てぇ!」
北条軍は僅かの間に五回もの一斉射撃を受る形となり、完全にその勢いを止められてしまっていた。
弾数で言えば、合計三千発に及ぶ鉛玉を撃ち込まれたという事である。
前線部隊は「蒸発」という形容が当てはまる程、瞬時にその戦力を崩壊させた。
そして息を付く間もない、自分達の置かれた凄惨な状況を知った頃には次の一斉射撃が襲ってくる。
五回目の射撃からそう時間のたたぬ間にである。
「撃てぇ!」
――バリバリバリバリ
完全に前進を止めてしまった北条軍は、直にでも下がらなければ鉄砲の餌食になり続ける。
しかし、前代未聞のこの状況に素早い反応を取れるはずの老練の将兵が既に銃弾に倒れていたため、北条軍はその指揮系統が混乱に陥っていた。
鉛玉の雨を浴びながら、負傷した大将をどうにか担ぎ上げ、北条軍が撤退を開始する。
「ヨシオ、出番!」
「んだな、者共続けや!」
ヨシオと呼ばれた曽根家の養子に入ったこの人物は、先程まで弾込めや射撃を行っていた自軍の兵卒を置き去りに先頭を駆ける。
それを追うように、赤備え隊は鉄砲を惜しげもなく地に投げ捨てると、槍を手にして後に続いた。
決して乱戦に向いた部隊ではないが、一斉射撃を受けて戦意を喪失した相手ならば話は別である。
この日、歴史が変わった。
歴史上であれば、鉄砲隊の組織運用が本格的に行われるのはまだ先の話である。
更に、武田信玄の駿河侵攻は、北条軍の影響力によって不首尾に終わり、第二次、第三次によってようやく完了するはずの物であった。
だが、山県隊の活躍により北条軍は撤退を強いられたことで、武田信玄による駿河平定は滞りなく完了。
組織的運用が行われた鉄砲隊は、瞬く間に近隣諸国へその名を轟かせたのである。
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