第111話 竹中半兵衛さん

 二ノ丸に作られた簡素な広場で客人との挨拶を交わし、静かに向かい合っている。


 この客人、名前は竹中さん。

 その名前を俺は聞いたことがあった。竹中半兵衛さんである。

 たぶん、天才軍師系の属性だ。


 救いなのは、何かを交渉しに来たとかそういうことではないらしい。竹中さんの奥様は香さんのお姉さんにあたる人だそうで、義理の妹を心配し、わざわざ雪の中をやって来たのだ。


「お香が元気そうで何よりでした」


 香さんとの挨拶を済ませた竹中さんが、俺を正面から鋭く見据えた。


(おおう、緊張するぜ)


 前日の夜、竹中さんが城下町から知らせを寄こし、今日会う事になってから、俺は香さんにかぶりつくように竹中さんの事を聞きまくった。

 よく知らないが有名な人だと思う。天才軍師だ。俺が知っているくらいだから余程の天才なんだろうと思う。


 元は香さんのお父様である安藤守就さんの家来だったのだが、安藤さんによる稲葉山城を乗っ取りに協力した後、それを返却するタイミングで引退したらしい。

 引退というと年寄臭いが、竹中さんはまだ全然若い。俺とそんなに年齢の変わらないように見える、若き天才軍師である。今は故郷の近江とやらのナンタラ村で晴耕雨読の毎日だそうだ。


 もしかしたらもしかする。

 天才軍師を雇うチャンスかもしれない。


「石島様は評判の良い大将で御座います。お香を通じた縁もあり、某を通じて石島様に会いたいと申すお方もおりましてな」


(頭のいい人と話す時は……と)


 話す時のルールがちらついて、竹中さんの言葉を飲み込む余裕が無い。とりあえず、まずは話す事を頭の中で思い浮かべる事にする。


(それはほめ過ぎですよ、わたしも竹中さんに会いたいと思っていたところですよ)


 なんとなく纏まった感じだ。

 一番大事なフレーズは二つ。


「わたしも会いたいと思っていたところですよ」

「そのように仰って頂けて光栄で御座います」


 竹中さんは軽く一礼し、言葉を続けた。


「石島様に会いたいと申すお方もお連れしようと思うていたのですが、ご多忙故に此度は叶いませんでした」


(やべー緊張するなぁ、どんな会話したらいんだよ)


 俺は緊張しすぎてろくな言葉が思いつかないでいた。


(お越しいただき光栄です、石島家は竹中さんを歓迎致します。様子を見に来て頂いて、お香さんは喜んでましたよ)


 大事なフレーズを抜粋する。


(石島家は歓迎します、様子を見に来て頂いて、お香さんも喜んでいる……よし)


「石島家は様子を見に来て歓迎して頂いてます。お香さんは喜んでいる所で御座います」


(……あれ?)


 緊張の為、支離滅裂な言語になってしまった。伊藤さんの言いつけは実に難しい。

 竹中さんは少し怪訝そうな顔をしている。当然だろう、次は失敗しないようにしないと本物の馬鹿だと思われかねない。


「様子を見に? いやいや、ご挨拶に伺ったまで」


 竹中さんは俺の様子を伺いながら、言葉を選ぶようにして話しを続けた。


「お香とも話せましたし、石島様にもご挨拶が出来ました。長居は出来ませぬ故、此れにて失礼致します」


(帰っちゃう? うちで働いてくれないかなぁ)


 俺は必死に考えた。三フレーズくらいで、雇いたいと言わないといけない。


(お香さんから聞いて昨日知ったのですが、今はご隠居されている身とか。せっかくの縁ですから当家にてお仕事をしませんか宜しくお願いします!)


 並べてみたものの、ここから抜粋が難しい。


(昨日知ったのですがご隠居中とか。せっかくの縁ですから当家でお仕事しませんか、宜しく!)


 整理して言葉にする。


「昨日知ったの……(いや違うな)」


 その前に引き留めて、今日は泊まって貰わないと駄目だろう。

 いきなり雇いたいなどと言い出すほうがどうかしていると思ったので、途中まで出た言葉を一旦飲み込んだ。


(竹中さん、今日は泊まって行って下さい。一緒にお酒でも飲みませんか?)


 大事なフレーズを抜粋する。


(今宵はお泊り下さい、酒を酌み交わしましょう! これだ!)


 言おうと思った瞬間、俺の脳裏に嫌な未来予測が沸き立った。これを承知してもらったら、俺はこれから数時間、ずっとこの状況で酒を酌み交わす事になる。

 精神的疲労は過労死を引き起こすレベルになるかもしれない。


 ゾっとしてしまった。


「で、でわ、城下まで見送り致しましょう!」


 考えた事は全て無駄になった。やたらと時間をかけて考えた割に、弱腰な俺は結局逃げてしまった。


「いやいや、勿体なき事。石島様、近いうちにまた」


 天才軍師とのご対面は、結局なんの成果も無く終わってしまった。

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