第112話 半兵衛の真意
◆◇◆◇◆
◇同日 郡上八幡城下町
「戻ったか。如何であった」
日が落ちてから城下町の小さな宿に戻った竹中は、小柄な男の待つ部屋へと入った。ぎょろりとした両目を動かし、彼特有の表情で竹中を迎え入れた小柄な男は、じっと返事を待つ。
「物腰柔らかく、温和な人柄に見えます。が、油断なりませぬ」
竹中の報告に、小男は興味を抱いた。
(半兵衛に油断ならぬと言わせるとはな)
石島家の評判は大半がその臣下にある。
金田健二郎、須藤剛左衛門、伊藤修一郎、この三名の評判が先行しており、当主である石島洋太郎についてはあまり知られていない。
「何故じゃ、油断ならぬと思うた訳を申せ」
小男が事前に仕入れた情報では、石島洋太郎という人物は大原の旧石島家に当主として入る際に、臣下に担ぎ上げられた飾り物であるという話であった。
そんな飾り物が、である。
自分が惚れこんで、頼み込んで、ようやく口説き落とした竹中半兵衛に『油断ならぬ』と言わせている。
歳の割に少年のような顔立ちを持った竹中は、薄暗いの灯りに照らされて色白の肌を色を紅に染めていた。細い両目をすっと閉じると、少し考え込むようにしている。
(女子であればこのまま飛びかかる所だな)
後に無類の女好きとして後世に知られる小男は、この時代の権力者には珍しく男色を嗜まない。男色は公家や武家の文化であり、農村出身の小男には理解出来ない物だったのであろう。
しばらくして、竹中が目を開く。
「某が石島家の様子を見に行った事を看破されましてな」
その程度の事であれば驚く程ではないが、次の言葉に小男は動揺する事になる。
「その上、某が殿の手の者であると見抜いておりました」
「んなっ!?」
公式には、竹中半兵衛は隠居の身である。
この小男に根負けして配下になったのはつい先日の事で、竹中にとってはこれが最初の仕事となったのだが、どういう訳か石島洋太郎は既にそれを察知している風であった。
「何故じゃ、何故そう思うた」
小男は身を乗り出して訊ねた。
「出かけた言葉を濁しましたが、あれは間違いなく『木下の』と言いかけました」
「馬鹿な……」
「直前には『会いたい』とも申しておりましてな。誰にかと思うた矢先に『木下の』と申し、慌てて言葉を飲み込んだ様子。某も肝を冷やしました」
(石島の手の者が俺の配下に紛れ込んでいるという事か?)
竹中と対面する小男は、その木下藤吉郎本人である。木下は石島洋太郎という人物が気掛かりでならない。
長い美濃攻めの終盤にひょっこりと現れ、僅かな手勢で斎藤家重臣の要である長井を郡上に誘い出すという離れ技をしてのけた。
その後、配下である金田は織田家の直臣として破格の待遇を以って迎えられ、須藤は美濃三人衆で特に信長が目をかけている稲葉良通に付けられた。
極めつけは伊藤である。
織田家中で負傷した全ての者を差し置いて、信長本人の直訴によって武田領内での湯治を許されたのだ。
木下には面白くない話ばかりであった。
しかし、木下の目には郡上の統治は実に良くその権勢が行き届いているように映る。その上、竹中が『油断ならぬ』とまで言うのであれば、石島家に対する接し方に選択肢は多くない。
「半兵衛、石島と昵懇になる方法を考えよ」
面白くはないが、想像を超える傑物である可能性が高い以上、今後の自分にとって石島家は味方に付けておくべき必要がある。
感情と実利を別にして考える事が出来る合理的思考は、木下の武器であった。
「承知致しました」
小さく頭を下げた竹中を見据え、対石島家については一任してしまおうと決めた木下の頭脳は、既に石島家から離れ始めていた。
「半兵衛は泊まってゆけ。俺は急ぎ岐阜へ戻り、そちを召し抱える義、殿にお許しを貰う」
伊勢への討ち入りが数日後に迫っている。
(金田もだが、伊藤も何やら伊勢方面で動いておる。こりゃあうかうかしてたら出し抜かれるぞ)
不満はある、面白くも無い。されど、主君信長の判断に異論を挟むつもりなど微塵も無い。ただひたすら、己が才覚を以って認められるより他に手立ては無いと思っている。
雪の中を僅かな供回りを連れ急ぐ木下は、既に石島家の事など忘れたかのように伊勢攻めに考えを巡らせていた。この潔さもまた、木下の武器の一つである。
宿に残った竹中は、主君からの言いつけに対して既に一つの答えに行きついてた。
(香を使えば拙者との縁が強くなる、これが最も早く最も合理的か)
まだ見ぬ人物、竹中が内心で最も会ってみたいと思っている人物と、香が夫婦になればいいのである。
(推し進めるか、それがよい)
翌日、竹中は宿を出ると
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