第94話 山路と金田

 金田と森の行動に驚いたのは、森の家臣達よりもむしろ高岡城側であった。


「織田上総介が家臣、金田健二郎! ご城主山路弾正殿へご挨拶に参上した!」


 城門前で大音声を発した丸坊主の男に、高岡城の守備兵は目を見張った。既に鉄砲の殺傷射程圏内に入っており、守備兵の心次第ではいつでも殺すことが出来るのである。

 この状況でも撃たないのは、守備兵の殆どが山路家の使用人達であり、いわゆる職業「侍」の者達が多かった為だ。いざ戦闘が始まれば、互いに死を厭わない形になるが、そもそも恨みがあって戦っているわけではない。


 この高岡城の場合、あくまで城を守る側と攻める側の立場があるだけで、攻めに来たわけでもない男を撃ち殺すような、単なる殺人を好んで行う者などいないのである。


 だとしても、殺されかねないその場にやって来た丸坊主の将に対し、敵味方共に豪胆さを感じずにはおれず、尊敬の念を抱かずにはいられない。

 その心意気に触れた守備兵は、すぐさま城主山路弾正に報告。

 山路は豪快に笑うと、立ち上がって城門へ向った。


 門が開くや否や、今度は城側から山路の大音声が発せられた。


「山路弾正である! 上総介殿は既に兵を下げられたと聞き及んでおる。背を見せ引くとあらば遠慮はいたさん。思う存分に討ち散らしてくれる故お覚悟めされ!」


 山路が発した追撃宣言に森は表情を固くしたが、金田は余裕の笑みを浮かべると言葉を投げ返した。


「山路殿! 既に御当家の意地は存分にお示しになられたであろう。いずれその見事な意地に相応しい物をお届けに参る!」


 金田は更に歩を進め、山路の顔がはっきりと見える距離まで接近した。もはや鉄砲のみならず、弓でも射殺せる距離で言葉を続ける。


「我等を追撃したところで更なる意地をお示しにはなれませぬぞ! 此度の戦は之にて一旦終いとし、次のお手合わせまで互いの命と意地、大切にとっておこうではありませんか!」


 簡単に解釈するのであれば、見事な抗戦を見せた山路に対しては織田家から何か相応の物を進呈するので、今回は追撃を諦めて見逃してほしい、次回の対戦まではお互いに敵視するのはやめにしよう、という話である。

 何を進呈されるのかも分からずに、これを受け入れるのは馬鹿な話ではあるが、この丸坊主の将の言いを山路は信じてみたくなった。


「金田殿、相分かった! これは当家からの土産じゃ、毒など入れておらぬ故、安ずる事はない。そこな森殿と共に飲まれるがよい! がーっはっはっは!」


 山路は部下に合図すると、その部下は小さな酒樽を抱えてヨタヨタと進み、金田の足元にそれを置いた。


(俺を森可成と分かった上で見逃すと言うのか)


 この時期の森可成は、柴田勝家に次ぐ織田家を代表する武将の一人である。その武将がいつでも討ち取れる距離に、その上は無防備な状況でいるにも関わらず、見逃すと言うのである。


(金田殿もさることながら、山路弾正か。侮れん)


 目の前にいる山路という将は、森の目にその豪胆さや器量においても見事な人物に映った。


 金田は自分の足元に置かれた酒樽を抱えると、山路に軽く一礼して最後の挨拶を交わす。


「お見事! この金田、感服致しました! この土産は有り難く頂戴致す。いずれ御当家にとって良い物をお持ち致します故、しばらくお待ちくだされ!」

「応! 何が来るか楽しみにしておるぞ! がーっはっは!」


 稲葉山城攻略の余勢を以って北伊勢に侵攻した織田軍は、月が替わる頃には再び稲葉山城に到着した。

 最前線に取り残された部隊には多数の被害が発生すると思われていたが、最も善戦した山路弾正が追撃を思い留まった影響で、各城砦の追撃も形式上の挨拶程度で終わる事となる。


 既に北伊勢方面は織田に軍配が上がっており、今更勝負を仕掛けるような事は無益であったのは間違いないが、だとしても殆ど無傷で撤退を成功させたのは奇跡に近い。

 桑名で合流した織田の最前線部隊は、森可成に纏められ稲葉山城へ向けて悠々と撤退を開始。本体に遅れること僅か一日で稲葉山城に到着した。


 良くも悪くも自己責任である。


 この見事な撤退は、当然ながらその自己責任において賞賛に値し、今後の立身出世を引き寄せる結果となった。




――美濃国 稲葉山城跡

 城下町 寺


「丸坊主! 何をくれてやる腹づもりであったか今この場で申せ!」


 仮陣に利用されている寺の本堂にて、伊勢から戻った諸将の報告を受けた信長は、金田が山路に約束した「相応しい物」について厳しく問い詰めた。

 しかしその厳しさに怒気は無く、どんな策を頭に思い描いたかを聞き出そうとしてるのは誰の目にも明らかであった。

 そしてこの日、信長は何時になく上機嫌で、何時になくよく喋った。


(いやいや、それは言えないっしょ……言ったら首ちょんぱだって)


 金田の予定では、山路弾正の主家にあたる神戸家と、織田家の間で将来取り交わされるはずの【神戸家の家督を信長の三男に譲る】という話を持っていくつもりではあるが。

 まさか自分の主人に子供を養子に出せなどと、勝手な事が言えるわけもない。


「ハッ、山路弾正は見事な将故、以後も敵対するは当家に無益。なれば取り込むための交渉事が必要で御座いましょう、その交渉事が何であれ、神戸にとっては良き物かと!」


 金田の言葉に信長の表情が固くなった。


「丸坊主よ、その交渉に何を用いるが最善と考えておる」


 信長の目から鋭い眼光が発せられた。


(ここか? もうワンクッションか? 先輩ならどうしますか)


 金田は焦っていた。まさかここまで追求されるとは思っていなかったのである。しかし、沈黙を長く待ち続けるような主でもない。ここは腹を括るより他に道がなかった。


「恐れながら申し上げます!」


 金田は床に頭が付く程に平伏すと、覚悟を決めて真意を打ち明ける。


「若様方のうち何方かを神戸家の養子とし、いずれ元服の後に家督を相続させる事で神戸家を丸ごと一門衆として迎え入れては如何でしょうか!」


 金田の発した提案に、顔を青くした丹羽長秀が咄嗟に叫ぶと、身を乗り出しながら異を唱えた。


「金田、控えろ! 己が身をわきまえて物を申せ! そのような――


 だが丹羽長秀の言葉は、勢い良く立ち上がった信長の足音で遮られてしまった。


 無言のまま金田に向って歩み始めた信長の左手には、鞘に収められた刀が握られている。こうなってはもう、他の家臣達は黙って行方を見守るより他にない。

 昨日今日織田家に参入したばかりの新参者を、命を張って庇うような馬鹿は存在しない。そればかりか、その場に居た幾人かは金田が高禄で召抱えられた事に嫉妬心を抱いている程なのである。


 金田は内心、「やっちまったか?」とは思いながらも、ここで前言を撤回するような事の方が、主を激怒させると予感。


 一気に全てを言い切ってしまう方に賭けた。


「当家としても北伊勢の名門を無傷で傘下に入れるは良案と心得まする。神戸家にしても、一族の繁栄を考察致さば悪い話ではありますまい!」


 金田が続けた言葉にも、信長が足を止める気配はない。

 信長が足を止めたのは、床に張り付いた金田の頭の先、少しばかり頭を上げた金田の視界に、信長の両足が飛び込んできた。


「丸坊主」

「ハッ!」


(ヤバイヨ! ヤバイヤバイヤバイって!)


 金田の心臓は、今にも口から飛び出しそうな程に激しく脈打った。


「神戸は任す、一益の下につけ」

「……ハッ!」


(お? オッケーって事? マジ?)


 比較的近くにいた森可成が小声で金田に呼びかける。


「金田殿……顔を上げなされ」


 森の声に気付き、恐る恐る顔を上げた金田の眼前に、豪華な装飾が施された鞘に収まる刀があった。信長が無言のままに差し出していたのである。


「くれてやる、神戸には三七を出す」

「勿体無き事! 有り難く頂戴いたします!」


(こここここ、これって俺が全権を持って交渉役になれって事だよね?)


 信長はそのまま立ち去ると、普請工事が始まろうとしている稲葉山城跡の現場へと向った。

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