第85話 満身創痍

◆◇◆◇◆


◇同年同刻 飛騨国

 大原村 遠藤胤俊軍



 この日、日中から三度の攻撃を試みていた遠藤胤俊の手勢は、夜になって四度目の攻撃に取り掛かろうとしている。


 遠藤軍の将兵にしてみれば、わざわざ大原まで足を運び、何の成果も上げずに帰るわけにはいかない。その思いが本日四度目となる攻撃を決意させるに至ったのだ。


 好材料は揃っている。


 複数の大原の農民に金を握らせて調べた所、夕刻の姉小路軍の士気は、既に戦闘集団としては致命的な程に低下している状態だと判明した。

 更に、日中の三度の攻撃を見事に防いで見せた大原綱義という若い将兵は、何やら少数の兵と共に山中に入って行ったと言うのである。


(郡上から山狩りが行われておる。夜となっては助けようにもそうは行くまい。たった数人でなど到底無理な話よ)


 遠藤軍の将は、刀を硬く握りしめ、勝利を確信していた。


 しかし、いざ兵を進めて大原に入ろうとすると、眼前に布陣した姉小路軍は嘘のようにその士気を取戻し、陣容は生気に満ち溢れ、その気概は天に立ち昇るが如く沸々としている。


「……たばかられたか!?」


 既に両軍は睨み合いに入っており、容易く下がれる状況ではない。

 金を握らせた大原の農民達が、揃って虚報を流してくるとは思えない。だとすれば、奇跡的に姉小路軍に士気が戻ったという事か。


(いかんな、伸るか反るかの勝負となったわ)


 遠藤軍の将兵のこの思いは、希望的観測に過ぎない。既にその威勢は圧倒的に姉小路軍が上回っており、遠藤軍は徐々に恐怖に支配され始めている状況にあった。





□同年同刻 美濃国

 大原村 姉小路軍


 姉小路軍は隊列を鶴翼に構えると、遠藤軍の襲来を待った。


「隊列を整えよ! 此度も撃退してくれようぞ!」


 士気の低下が著しかった姉小路軍は、一人の将の登場にその士気を大いに取り戻していた。先程まで愚痴を漏らし、もう桜洞に帰りたいと思っていた面々は、打って変わって闘志を滾らせている。


「今は泣き言を申すな。あの世でゆっくりと語り合おうではないか!」

『応!』

『応!』


 姉小路軍の面々は互いに鼓舞し合い、目の前に展開しつつある遠藤軍を睨みつけていた。


 その鶴翼の陣の中央、両翼の起点となる箇所に、不思議な格好をした将兵が鎮座している。その将は体の半分近くを白い布で巻かれ、四名の兵が肩で担ぐ板の上にどっかりと座っている状態であった。


(へへっ、道雪になった気分だぜ)


 担がれた板の上に座り、少し高い位置から闇夜に展開する全軍を見渡したその将兵は、大きく息を吸い込むと、力いっぱいの大声で叫んだ。


「やられたらやり返す!」


 更に大きく息を吸い、痛む胸元を気にせず魂の限り大音声を発した。


「倍返しだ! いっくぞぉぉ!」

『応!』

『応!』


 姉小路軍の雄叫びが、漆黒の闇夜に包まれた狭い大原に木霊する。


『進めやぁ!』


 板の上の将兵が号令をかけると、姉小路軍はドっと動き出した。


 この夜もまた、月明かりが眩しい程に輝き、闇夜に敵勢を照らし出している。その様は見る側に異様な緊迫をもたらし、両軍はその緊迫を抱えたまま血で血を洗う乱戦に突入した。


「おいおい、何してんの! ほら、行って行って!」


 将は板の上から、担いでいる兵に進むように促した。


 言われた兵は目を丸くして驚く。


「金田様、このまま行くのですか?」

「そうだよ、とにかく前線に行け! ここが勝負所だ!」


 板を担ぐ兵達は互いの顔を見合わせて悩んでいる。

 当然の事ながら、板を担いでいる所を敵に狙われては、抵抗出来ない自分達は死を待つのみであるからだ。


(よーし、ここは雷神道雪の台詞を頂くしかねーな)


 金田は少しだけニヤリと笑うと、大きく息を吸い込んだ。


「よし! お前らさ、命が危ないと思ったら俺を捨てて逃げろ。それで構わない。だから今すぐ前線に行け!」


 姉小路軍の兵にしてみれば、この金田という将は英雄である。


 先日、郡上からの撤退の折り、殿しんがりを務めた矢島隊が突破された姉小路軍は、敵の追撃を真面に受けながらの撤退戦となった。


 その撤退戦の最後尾を受け持ったこの長身の将兵は、満身創痍の状況ながらも味方を鼓舞し、助け、一人で敵に向っては敵を討ち、走って追いついてくる。

 そしてまた鼓舞し、助け、一人で戻って敵を討ち、走って追いついてくるという、正に一騎当千の働きを見せた。


 そうして味方の命を多く救った英雄に「自分を捨てて逃げろ」などと言われて、「はいそうですか」と逃げる訳にはいかない。


 板を担ぐ兵の覚悟が決まった。


「そこまで申されるのであれば、我等は金田様の手足となりましょうぞ」


 先頭を担ぐ兵の声に、周りの者も頷いた。

 金田は、板を担ぐ四人の兵と、その周りを守る数名の兵に囲まれて前線に飛び出して行く。


(きたきたきたー、立花道雪ぽいっ!)


 この状況に、金田は抑えきれない興奮を覚えた。


 既に押しまくっていた姉小路軍は、とんでもない状態で前線に飛び出してきた金田の姿に仰天した。遠藤軍も同じく仰天したのだが、問題はその仰天が産む精神的影響である。


 姉小路軍は「金田様を討たれてなるものか」と必死に守りながら戦い。


 遠藤軍は「金田を討つ好機!」と捉えて必死に攻める兵も少数いたが、大半の兵はそうまでして戦う金田の気迫と、それを取り巻く姉小路軍に圧倒されて戦意を消失させていった。


 遠藤軍のこの日四度目の襲撃は、満身創痍の状況で無理矢理に前線復帰を果たした金田健二郎によって大いに潰走。その戦闘は四半刻に満たない時間で終了し、それほど多くの死者を出す事も無く終結した。

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