第74話 時間稼ぎ

■1567年 8月1日 夜

 美濃国

 吉田川東岸 石島陣



 この日の夕方に飛騨に帰還するとされていた頼綱さんは、昼過ぎに姉小路軍の皆さんの前に現れて全快を宣言した。

 すっかり元気になって戻ってきた頼綱さんに、姉小路軍の人たちはとにかく嬉しそうで、大騒ぎだった。


 その事はすぐに敵味方に知れ渡る事となり、一時は盛り上がっていた郡上八幡城の敵さん達が、バタバタと慌てだしたとの知らせが入る程だった。


 すぐに別府さんから「好機だから八幡城を攻めよう」という内容の催促が来たのだが、伊藤さんがそれに「待った」をかけている。伊藤さん曰く、別府さんの言う好機の中身が見えないそうだ。


「伝令!」


 本陣に再び、別府さんからの使者がやって来た。


「直ちに郡上八幡城を攻められたし!」


 その使者は先程の人とは違う、少しだけ身分のありそうな人だった。

 先程は「しばし待たれよ」と返事をした伊藤さんだったが、今度は全く違う反応を示した。


「相わかった。これより郡上八幡を我等の物にしようぞ!」


 伊藤さんは勢いよくその使者に声を賭けると、大原兄弟に向って「仕度いたせ。郡上八幡を攻略する」と命を下した。


 その伊藤さんの反応に、使者の人は満足そうに戻っていく。


「伊藤さん、いよいよですか?」


 つーくんが刀を握りしめて伊藤さんに問いかけた。

 伊藤さんはニヤリと笑う。


「こんな夜中にそれは無いっしょ。今来た別府さんの使者、俺を説得するつもりで気合満々だったじゃない? 面倒だから良い返事をしてあげただけ」


 呑気に言い終わると、干芋を片手に晩酌を始めた。


「いいっすね、自分も一杯いただくっす!」


 金田さんもお酒に手を出そうとした時、伊藤さんが意地悪そうな顔で金田さんを静止した。


「昨日いっぱい飲んだろ? その後イイ事もしたろ?」

「ん、そ、それは先輩の差し金じゃないっすか……」


 二人の会話に、俺もつーくんも何も言えない。

 伊藤さんは優しく微笑んで言葉を続けた。


「今日は頑張って働いてくれって事。たぶん一時間くらいしたらまた別府さんの催促が来るからさ」


 言いながら酒と干芋を持って立ち上がる。


「そしたら、今日はもう遅いから明日にしようって言っといて」


 十分理解できた。

 伊藤さんは別府さんを信用していないのだろう。別府さんの言う好機が嘘で、一発逆転を狙った敵の罠かもしれないのだ。


「はい! 伊藤さん、ゆっくり休んでください!」


 少しでも許される時間があるならば、伊藤さんにはゆっくり休んでもらいたかった。


「んじゃ殿、宜しくお願いしますね」


 伊藤さんは優しい笑顔で言うと、自身の寝所に向って歩き出した。伊藤さんが本陣を出てからしばらくすると、大原兄弟が本陣に戻ってきた。


「伊藤様より言伝で御座います」


 綱義くんが一礼し、伊藤さんからの伝言を話してくれた。


 その内容に、金田さんが「ありえるぞ……確かにありえる!」と大興奮している。その理由は、今頃はもう織田信長さんが動いているからだそうだ。


 伊藤さんが俺達に伝えたのは『明け方までに遠藤さんから降伏の使者が来ると思う』という事だった。もし本当に使者が来たらどうするべきかと聞いたら、その答えも綱義くんが預かってきてくれていた。


「郡上八幡城の全兵、及び遠藤慶隆殿ご本人を含めたご家中の方々、全ての方の安全を約束の上、特に条件なく降伏を受け入れてよいとの事で御座います」


 綱義くんの言葉に、俺はとても安心した。


「平和的な解決って感じで、そうなるといいですね」


 金田さんもつーくんも、黙って頷いて同意してくれている。


 ちょうど同じ頃、深夜にも関わらず頼綱さんの陣が多少騒がしくなった。異変に気付いた直後には、頼綱さんの使者が本陣に到着。伊藤さんの指示で別府四郎さんの陣を監視できる形に布陣を変更したとの事だった。


「伊藤先輩、やっぱり別府おじさんのこと信用してないんだなぁ」


 つーくんは松明が忙しく行き来する姉小路軍を眺めながら、独り言を漏らしていた。


「よーし」


 金田さんは気合を入れて立ち上がると、腰に手を当ててぐるぐると体操を始める。


「今夜は徹夜だな! 別府さんの使者の相手は全員で交代しながらやろう!」


 金田さんの読みでは、別府さんからの催促は何回も来るだろうとの事で、簡単にではあるが作戦が言い渡された。


 使者は絶対に本陣に入れず、外で対応する事。

 毎回対応する人を変え、毎回同じ返事をする事。


 先程も同じ答えだったと言われても、さっきは違う人間が対応したから知らないと言い張る事。とにかく誤魔化しながら、政治家のように知らぬ存ぜぬを貫き通し、朝まで粘ろうという訳だ。


「言い訳は得意なので任せてください」


 俺は自信を持って事に当たれる確信がある。


「言い訳が得意って、それ微妙ですよ殿! あひゃひゃひゃ」


 冗談はさておき、一応はこの軍の最高責任者である俺が前言撤回を繰り返すの良くないという話になり、別府さんからの催促への対応については金田さんとつーくん、それから綱義くんと綱忠くんがやる事になった。


 程なくして、予想通り別府さんの使者がやって来た。


 その使者さんは結構な剣幕でつーくんに食って掛かっているのが、本陣にいる俺にも聞こえてきた。使者さんは使者さんで、上司に言われた仕事を忠実にやっているだけなのだ。


 なんだか可哀相に思えてきた。

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