第65話 剥き出しの野心
◆◇◆◇◆
◇1567年 7月28日午後
美濃国 郡上八幡城
遠藤家
石島軍が稚児山麓に陣を築き始めてから程なくして、郡上の遠藤軍にもその知らせが届く。
「長期戦に持ち込む気か」
知らせを受けた遠藤は焦りを抱き始めていた。
ただでさえ情勢不安定になっている郡上で、長期戦になれば次なる離反者が出かねない。ましてや美濃の情勢を考えるに、義父である長井を長期間に渡り郡上に留めておく訳にはいかないのだ。
「父上……」
経験の浅い十七歳の遠藤にとって、老獪な義父は頼みの綱である。
「ふむ、乗ってやろうではないか」
長井はニヤリと笑った。
「虚実の真は変わらぬ。どれ程見せかけようともその真は変わらぬものよ」
長井は立ち上がると、部下に兵を纏めるように指示を出した。
「ひと当てしてくれようぞ、ただし儂のやり方でな」
夕方に差し掛かろうという時間になって、長井の兵が動いた。
長井軍は郡上八幡を出て東進すると、姉小路軍を吉田川対岸に見ながら悠々と通り、その少し北側の山腹に陣を構えた。郡上八幡の遠藤軍が東進してくれば、北と西から石島軍を挟撃出来る形に布陣したのである。
「ふん、石島とやら、その首洗っておくがいい」
山腹に構えた陣から姉小路軍を見下ろす長井は、その更に奥にいるであろう石島に対して並々ならぬ執着心を見せ始めている。
長井は主だった部下を集めた。
「今宵、夜襲を仕掛ける、石島の手の者で伊藤という輩がおるらしいが、そ奴を捉えた者には褒美を出そう、励めよ!」
『応!』
長井軍はそのまま陣をしっかりと構築すると、日が落ちる頃には夕餉の仕度に入り、陣から炊事の煙を発たせ始めた。
「申し上げます、姉小路の物見がしきりに郡上八幡城方面へ行き来しておるようすです」
長井の部下が姉小路軍の現状について報告する。
「そうじゃそうじゃ、気にするがいい。慶隆の軍がここへ来れば袋のネズミぞ」
遠藤軍と長井軍の挟撃を警戒し始めた様子の姉小路軍に対し、長井は今夜の夜襲が成功すると確信していた。
■1567年 7月28日夕刻
美濃国
稚児山麓 石島軍本陣
俺達は今、地図とその上に置かれた凸型の将棋の駒みたいな物体を睨みつけている。長井さんの軍が夕方に布陣した地点が問題なのだ。
「絶妙な位置取りだな」
沈黙を破るように、つーくんが改めて感想を述べる。もう何度もやり取りされた話なのだが、どう考えてもやはり絶妙だ。
このまま長期戦にも持ち込めるし、郡上の遠藤さんの軍と連携して俺達を挟み撃ちにも出来る。敵の布陣を見た伊藤さんは、大急ぎで頼綱さんと一緒に前線へ行ってしまった。
「ここでこうしておっても仕方ありませんな、某はこれにて持ち場に戻りまする」
別府さんが立ちあがって一礼する。
「はい、指示があるまで持ち場でお待ちください」
俺は別府さんに失礼の無いよう、立ち上がって一礼を返した。
別府さんが立ち去ると、つーくんが呟くように声を漏らした。
「長期戦になれば願ったり叶ったりなんだけどなぁ」
不安そうに地図を眺めている。
俺達はもちろん、綱義くんも綱忠くんも初陣だ。姉小路さんから貰った新兵さん達も当然、初めての戦場になる。
はっきり言って、どうしたらいいのか分からない。
「動かざる事山の如し……か」
金田さんが呟きながら席を立つ。
「夕餉の仕度を見て来ますね」
伊藤さんが戻るまで待つしかないのだが、どうも座っているだけでは気が鎮まらない。
「大原兄弟、殿のお側を離れないでね、俺は少し見回り行ってくる」
つーくんも席を立って本陣を出る。
綱義くんも綱忠くんも緊張の面持ちだ。
「ふ~、なんか緊張するよね」
俺は二人に声をかけ、二人の生い立ちなんかを聞いて時間を過ごす事にした。
俺達の夕餉が終わった頃、伊藤さんが一人で戻ってきた。全身から緊張を滾らせている感じで、それは俺達にも伝染する。
「伊藤様、夕餉は」
綱義くんが伊藤さんに白米と汁を運んで来た。
「おお、ありがとう。頂くよ」
伊藤さんはまだ何かを考えているようだったが、伊藤さんが思案している時は俺達は黙ってそれを待つ。
米と汁を胃袋に掻きこむようにあっという間に完食した伊藤さんは、簡単ではあったが今後すべき事を伝えてくれた。
「十三と十五はそれぞれ、射手五騎、槍五騎を以て下山。姉小路軍北側に柵が設置してあるからそこに移動して」
「ハッ」
大原兄弟がその場を立つ。
「剛左衛門はこの下の坂のところ、んー、仮に『登り口』って名前にしとこう。あの急な坂に柵立てた場所ね。あの場所を新兵十騎と一緒に守って欲しい。最終防衛ラインになる」
「……了解です!」
つーくんは頷いて、大原兄弟の後を追うように陣を出る。彼らと新兵の割り振りをしなければならないのだろう。
「村で軍役に応じてくれた十五名に関しては金田君が指揮して、一応は本陣にいてほしいんだ」
伊藤さんはそう言うと「これは後でコッソリ剛左衛門に伝えてほしい」と言って俺と金田さんを手まねきする。
俺達は手を伸ばせば届く距離に移動した。
伊藤さんは小声で話し始める。
「たぶんね、今夜、夜襲をかけてくると思うんだ。もう待ち伏せの手配は出来てるから、こっちが待ち伏せしてるのバレないようにしよう」
俺と金田さんは驚いて顔を見合わせてしまった。
◆◇◆◇◆
◇同時刻 別府四郎陣所
夜、石島に加勢している別府四郎の陣に一人の男が訪れていた。
「叔父殿、水臭いではないか」
到着した男は別府四郎を叔父と呼び、文句を言いながらも出された酒を一口に煽った。
「未だ賽の目はどう出るかわからぬ。甥を巻き込まぬようにした叔父を責めるな、まだこれからぞ」
別府四郎はニヤリと笑うと、同じく一口に酒を飲み干す。
「このまま石島に付き従った所で利は少なかろう。やるなら我が郎党も加勢するぞ」
別府四郎を正面から見据え、睨むように言い切った甥は、その瞳の奥に底知れぬ欲望を滾らせている。
「弥平治よ、今しばらく大人しゅう若殿の側におれ。その方がいざという時に都合がよい」
そう言って杯を置くと、その杯に甥である弥平治が酒を注ぐ。
酒を注ぎながら、弥平治は面白くない思いでいる。
(美味しい所を全て掻っ攫うつもりだな……そうはいかんぞ)
弥平治はこの叔父をあまり信用していない。
乱世を生きる男であるこの叔父は、その変わり身の早さを以て今まで生き延びてきた。
今日の自分が置かれている立場と、明日の自分が置かれている立場が真逆になったとしても、生き残れば勝ちだと思っている。
そんな叔父を信頼していては、自分の身が持たない。
その叔父が言葉を続けた。
「弥平治よ、戦がひと決まりするまで待とうではないか」
注がれた酒を口に運びながら、四郎はまたニヤリと笑う。
「いつ決まるのだ。俺は石島の当主に会うているがな、これと言って際立つ何かを見たわけではないぞ」
この甥は、石島洋太郎の祝言に際して祝いの品を届けた鷲見弥平治その人である。
「領民からは慕われておる様子ではあったがな、その程度だ」
弥平治は自らの杯に酒を注ぎながら言葉を続けた。
「だが此度の戦差配は鮮やかすぎる。叔父殿は伊藤という者には会うたか」
別府四郎は小さく頷く。
「あれは油断ならぬ。事を起こすつもりであれば、あれは始末せねばなるまい」
「そうかよ、まぁ叔父殿のする事に邪魔立てするつもりはないさ。助けが欲しくば言うてまいられよ」
弥平治は杯を一口で空にすると立ち上がり、「馳走になった」と言い残して闇夜に消えて行く。
「危うい危うい……なんというむき出しの野心。あれが我が甥とは信じられん」
残された別府四郎は、小さく独り言を漏らしていた。
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