第62話 挑発文

 遠藤の臣下にしてみれば、その金田の主である石島という人物程、得体の知れない存在はない。


「ですがあの坊主頭の申す事、信用なさるおつもりですか?」

「その方、流言の出所を掴めぬ故、そのような事を申しておるのではあるまいな」

「け、決してそのような」


 項垂れる家臣に対する遠藤の指摘は、当たらずも遠からずである。この家臣、流言をどうにか食い止めようと、日夜必死に関所や番所、果ては飲み屋に至るまでとにかく足を運んだのだ。


 それでもこれといった確証を得られない出所に、半ば言い訳で「流言ではないかもしれない」と言ったに過ぎない。


「よい、下がれ!」

「ハッ」


 その時、廊下をドタバタと走る音が聞こえると、その音は一気に広間まで突き抜けてきた。


「も、も、申し上げます!」

「なんじゃ騒々しい」


 遠藤の頭に嫌な予感がよぎる。


「別府四郎殿が挙兵、ご謀反! 北は鶴佐、下津原、吉田の砦が同調! 吉田川流域は既に別府四郎殿の手に落ちております!」

「なんじゃと! 別府のクソじじいめ!」


 遠藤は勢いよく立ち上がる。


「陣触れじゃ!」


 家臣に兵を集めるように指示すると、自身も仕度を整えるために自室に戻る。ほら貝が鳴り響き、郡上八幡一帯に住む家中の面々に陣触れが発せられた事が伝わっていく。


 自室に戻った遠藤は不機嫌なまま、侍女達に戦の用意をするように命じた。


「殿、此度はいかがされたのです」


 遠藤の妻が若い夫を心配しながら、侍女達に的確な指示を出すと、侍女達が遠藤の上着を脱がせ、新しい戦用の服に着替えさせていく。


「別府のクソじじいが兵を挙げおった、そのほうの父上から何の知らせも無いのか?」


 遠藤は着替えさせられながら、妻に尋ねた。

 遠藤の妻は美濃三人衆の一人である安藤守就あんどうもりなりの娘である。


「何を申されますか。流言飛語など信じてはなりませぬ」


 この妻は遠藤より若干年上であり、若く気苦労の多い主人をよく支えていた。


「もしも父上が裏切るような事があれば、斉藤は終いでございましょう」


 確かに妻の言う通りだが、飛び交う流言に別府の挙兵、こうなると美濃三人衆が織田に寝返る可能性を無視できなくなってくる。


「美濃三人衆が後ろ盾であれば安藤殿から知らせがあるはず、そうではないのか? だとすれば……」


 用意された湯漬けを口の中に掻きこむと、想像力を働かせる。


(飛騨の助力で石島が動く可能性があるのか? 別府のじじい、まさか石島が後ろ盾か?)



「殿! 殿~!」


 遠藤の戦仕度が終わろうとしている頃、ドタバタとやってきたのは先程流言の報告に来ていた家臣だ。


「い、石島より書状が!」


 その家臣は、部屋の前まで来るや書状が届いたと叫んだ。


「……?」


 遠藤は無言のまま、家臣からそれをむしり取る様に奪うと、急いで目を通す。


「お、おのれ……おのれぇえええええ!」


 遠藤は怒り、書状を持つ手がわなわなと震る。そのまま家臣に向きなおると、矢継ぎ早に命令を下した。


「関の父上に援軍を乞え! うぬが直接行くのだ! この書状を持っていけ、関の父上にお見せするのだ!」

「ハッ!」

「おのれ石島!」


 興奮で息が上がった遠藤を、妻が鎮める。


 遠藤が受け取った書状は、石島家臣伊藤修一郎からの物で、概ね内容は以下の通り。



 一、受けたご恩は返し難いが、これも乱世の慣わしと大目に見てもらえると助かる。


 一、先だって金田某がお約束した通り、婚儀の際に頂戴した金品はお返しする事にする。


 一、お返しする金品は、受取に参られた別府様にお渡ししたので受け取ってほしい。


 一、流言飛語にご苦労の様子であるが噂ではなく本当の話だ。出所は当家なので間違いない。


 一、これより郡上八幡城を頂戴しに参るので、出来れば宴の用意をしておいてほしい。


 一、もし城を捨ててお逃げになるのであれば、掃除くらいはしてから逃げ去ってもらいたい。


 石島臣下 伊藤修一郎




 その日の夜、手紙を受け取った長井道利ながいみちとしは激高していた。


 既に老人の域に達しようとしている長井は、遠藤慶隆の父が戦死した後、その妻である遠藤慶隆の母を妻に貰い受け、郡上遠藤氏の後見約を引き受けている斎藤家の重臣である。


 この老人、元は関城の城主であったが、前年に居城を織田方に攻め落とされ、現在は関城から長良川を挟んだ北側に移り、大矢田一帯を支配しながら織田に抵抗を続けているのだ。


「すぐに出せる兵はいか程か!」

「ハッ! 八百程!」

「ようし、儂も行こう、目に物見せてくれようぞ!」


 七月二十七日、夜遅く。

 長井道利は手勢約九百騎を率いて長良川沿いを北上、翌二十八日早朝には郡上に到着していた。


「父上! 御自らご助力とはご苦労をおかけいたします」

「なんの、イシジマだかウシジマだか知らんが、目に物見せてくれようと勇んで参ったわ」


 郡上八幡は流言飛語の影響もあり、あまり多くの兵が集まらなかったが、それでも約七百騎を集めるに至った。長井の手勢を合わせれば千六百騎の軍勢となる。


「敵はいか程か」


 城の広間では軍議が開かれており、遅れて到着した長井が敵の情報を求めている。


「ハッ、別府四郎の手勢に二百、姉小路の手勢に凡そ六百、石島洋太郎の手勢は多く見積もって百、合わせても一千騎に届かぬ数でございます」


「はん! たかが百騎の手勢も用意できんような石島の下人に……これほどまでに扱き下ろされるとはな。捕らえて指を一本一本ずつ切り落としてくれよう!」


 長井はわざわざ持ってきた伊藤の書簡を握り潰し、その老体に血をたぎらせていた。

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