第61話 出陣の時

◆◇◆◇◆


◇1567年 7月27日

 飛騨国

 大原村 姉小路軍


「申し上げます、姉小路頼綱様、着陣なされました!」


 山深い大原の地に、飛騨守護の軍勢六百が到着した。

 知らせを受けた石島は、義兄として慕う義父を迎えるため陣を出る。


 煌びやかな軍足を纏う兵団の先頭に、大柄な騎馬に跨った頼綱を見た。


義兄上様あにうえさま! ご助力感謝いたします!」


 馬上から石島を見下ろす形になった頼綱は、あえて馬から降りる事はせず、そのまま馬上から声をかけた。


「なんの、義弟の頼みだ。して伊藤殿は?」


 頼綱の知る限り、石島家の面々は戦を経験した事が無い。この戦で戦闘があるとすれば、質量共に姉小路軍が戦力のほぼ全てになると睨んでいる。


 とはいえ総大将は目の前の石島である。

 人柄は申し分ないが、その柔らかい物腰で総大将が務まるとは、到底思えないでいた。


「はい、既に大原の兵を率いて国境の砦の調略に当たっております」

「なに、大原の兵でだと?」


 頼綱は愕然とした。


 平時の調略とあればそれでも構わないが、戦時の調略となれば話が違ってくる。圧倒的兵数を以て対象に挑み、その圧力を以て交渉を有利に進めるのが基本だ。


「我らも参ろう!」

「はい!」


 頼綱は石島を促し、すぐさま出陣の合図を執り行わせた。太鼓が打ち鳴らされ、僅か十名程の供回りを連れた石島が陣を発つ。


(伊藤殿も所詮は実戦を知らぬ男か……)


 頼綱の頭には、良くない予感ばかりが浮かび上がる。


(斎藤に義理立てする手筈も残さなくてはいかんか)


 尾張の織田信長が動いたという知らせは無い。この出陣が石島の独り相撲に終わった場合、姉小路としては隣接する斎藤に対して義理を立てる手段を残さなくてはならなくなる。


「陽……すまぬ、兄の人を見る目の無さよ」


 頼綱は一人呟くと、ひとまずは石島の総大将に従って兵を進めた。姉小路の兵は丸一日歩いて大原まで到着したのだが、休む間もなく再開された進軍に、少しばかり士気を落としている。


(負けるぞ……このままでは負ける)


 頼綱は伊藤を買被った己を恥じていた。


 妹のように可愛がった養女と、その夫である石島。展開によってはこの二人を同時に失う事になりかねない。そんな予感に苛まれ、浮かない顔で馬を進めた。



◇1567年 7月27日

 美濃国

 郡上八幡城 遠藤家


 作家司馬遼太郎に「日本で最も美しい山城」と評される郡上八幡城ぐじょうはちまんじょうだが、この当時は砦を多少改築した程度の簡素な城である。


 この日、郡上一帯の領主である遠藤慶隆は、数日前から収まりが付かない城下の混乱に頭を悩ませていた。


流言りゅうげんの出所はまだわからんのか!」


 郡上八幡の城下ではとある噂話が飛び交い、城下から逃れる商人が後を絶たない。

 ついにその日の朝になると、城の警備に当たっていた兵までが脱走を始めたのだ。


 遠藤の家臣が現状の報告を行う。


「ハッ……恐らく織田の手の者。しかしながら全てを流言と受け取るのは危険かと」


 遠藤慶隆は露骨に嫌な顔をした。

 実はこの領主、家臣達との関係が上手くいっていない。


 その原因は遠藤家の過去と本人の若さにある。


 今年でまだ十七歳の若い当主には、父の代で併合した東氏の家臣団を含む猛者達を纏める力は無く、配下の勢力には隙あらば遠藤氏に取って代ろうという野心を露骨に示す連中までいる。


 流言の出所など、想像するだけでいくつも心当たりがあるのだ。


 数日前から飛び交う流言は、美濃三人衆が既に織田方に内通しているという内容だった。そうなってしまえば斉藤家が終わる事など、城下の少年でさえ分かっている。


 さらにその流言には尾ひれが付き、ついには再興を援助した石島家が織田に付き、姉小路の援軍を引き連れて攻めてくるという内容に発展したのだ。


(美濃三人衆が寝返るわけなどない)


 ましてや、織田と国境を接していない石島が織田に付く場合、完全に孤立してしまう危険性がある。


(それほど馬鹿な連中とも思えん)


 目の前にいるこの家臣は、つい前日「石島が本当に兵を挙げれば一大事だ」と諌言してきたばかりである。


「噂を聞きつけて態々弁明にくる石島を疑うと申すか。金田とやらは頭を丸めて来たのだぞ」


 二日前、石島再興の折りに使者として訪れた金田という男が再び訪れ、噂話の弁明に来たばかりである。


 万が一にも流言の通りになるとすれば、その前に頂戴した品々は必ずお返しすると言い切り、「斬るならば今この場でお斬りくだされ!」と大見栄を切ったのだ。


 要するに、金田を信じるのであれば、先だって石島家当主と姉小路頼綱の養女の婚儀に進呈した祝いの品を返してこない以上、石島は裏切らないという事になる。

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