第35話 小さなプライド
伊藤さんは少し辛そうにしながらも、誰の手も借りずにベンチから立ち上がった。
「あのね、要介護のお爺さんじゃないんだから大丈夫です! それにね、寝る前になんか食わせろ。腹減って死ぬってば」
そう言って美紀さんと優理の間を抜け、俺達が作った墓へ向って歩き出す。楽に歩ける状態じゃないのは、誰が見ても明らかだ。体も相当辛いはずだ。それでも伊藤さんは「大丈夫」と言って聞かない。
美紀さんも優理も、あの瑠依ちゃんでさえ、どう接したらいいのか分からず、ずいぶんと困惑している様子だ。
「みんな、お墓、大変だったでしょ、ありがとね!」
自分で歩くと言って補助を断っていた伊藤さんだが、その姿はフラフラと危なっかしい。
たまらず金田さんが駆け寄った。
「まったく~、フラフラじゃないですかおじいちゃん!」
大人の男が負傷して、歩くのも辛い状況なのに、強がって一人で大丈夫だと言っている。
この状況はもしかしたら、女の子達には理解が難しいのかもしれない。男ならこんな時、真面目に心配されればされるほど、プライドが邪魔して大丈夫だと言ってしまうものだ。
つーくんも伊藤さんに駆け寄る。
「おじいちゃん! お墓参りですか? 一緒に行きましょう!」
つーくんと金田さんは、伊藤さんには触れないものの、いつ転んでも助けられる距離を保って歩き出した。俺も続けて駆け寄った。
「おじいちゃん、よかったらオンブしましょうか?」
伊藤さんの目の前に回りこみ、背を向けてひざまずく。
「くっそ~~~~ぉ」
伊藤さんは悔しそうに声を上げ、わざわざお年寄りっぽい声音で怒り出した。
「若いモンにの世話にはならん! わしゃ一人でゆくのじゃ!」
さっきよりずっと元気に歩き出す。
「なーんだ、ちゃんと歩けるじゃないっすか!」
金田さんは嬉しそうに言うと、伊藤さんにバレないように美紀さんと優理の所へゆっくりと近づいた。
「反対側は少し下り斜面だからさ、歩けないだろうから助けてあげてね」
金田さんは小声でそう伝えると、伊藤さんを追いかけた。
フラフラしながらもどうにか斜面を登る伊藤さんを、俺達は感謝の眼差しで見守りながらお墓へ向かっている。
「おじいちゃん、もうちょっとですよ」
「そこ、木の根があるから気を付けてくださいね」
俺とつーくんは伊藤さんを先導するように声をかけながら、先に斜面を登りきった。
「お前ら、治ったら覚悟しとけよ?」
「伊藤さーん、ホントに大丈夫なんですか? 瑠依が手繋いであげますよー?」
瑠依ちゃんはピョンピョンと飛び回るような動作で、伊藤さんの周囲をくるくると回りながら器用に斜面を登ってくる。
「瑠依~、邪魔でしょ、どきなさ~い」
唯ちゃんの後ろから美紀さんも追いついてきた。
優理は金田さんと一緒に斜面を登りきっていた。
「あそこっす」
金田さんは、墓の位置を指示して優理に伝えている。登ってしまえばもう見える位置だ。普通に下って行けば二分もあれば十分な距離である。
「先に行っててくれますか?」
優理は笑顔で金田さんにそう言うと、登ってくる伊藤さんを待った。
「了解っす」
頷いた金田さんは、俺とつーくんに目配せすると、そのまま斜面を駆け下りて行った。
目配せの意味は分かった。
つーくんもその意味を理解したのだろう、唯ちゃんに何かを伝えると、わざとらしい声を上げた。
「よおし、競争だ! よーい!」
ちょっと大きな声を出す。
「負けないですよ、石島さん!」
唯ちゃんも少し大きな声で答え、俺に目配せした。
俺は一瞬迷ったけど「ようし! 見てろよ!」と気合を入れ、なるべく自然に唯ちゃんとつーくんに並ぶ。
その直後、目標が釣れた。この競争の狙いが何なのか、俺は察知する事が出来たのだ。
「まって! 瑠依も~!」
瑠依ちゃんが到着する直前。
「どん!」
言うなり、いきなり走り出すつーくん。
「あ! ずるい!」
唯ちゃんも走り出す。
「卑怯だぞ剛左衛門!」
俺も走り出した。
「ずるーい!」
瑠依ちゃんも慌てて追いかけてくる。
緩やかな斜面を駆け下りながら、見ないようにしようと思っていたけれど。どうしても気になって振り返ってしまった。
キャンプ側の斜面を登りきった伊藤さんを出迎える優理は、しんどそうな顔の伊藤さんを突然抱きしめたのだ。
(見なきゃよかった……)
伊藤さんの後ろから登ってきた美紀さんは、その様子をただ見守っている。抱き着いた優理は何かをしきりに訴えているようだった。
その優理に、伊藤さんが渋々頷いているのが分かる。
伊藤さんの反応に、美紀さんは満足そうな笑みを浮かべると、優理と二人で伊藤さんを補助しながらゆっくりと斜面を下り始めた。
伊藤さんが墓に到着した時、空は綺麗なオレンジ色をしていた。墓の前に立ち尽くしている伊藤さんを囲むように、皆は少し下がって沈黙している。
何をどう考えればいいのかさえ、分からない。
ここには、伊藤さんが殺害した人間が埋葬されているのだ。
「あっ!」
声を上げたのは俺だ。思い出したのだ、つーくんが持っていた板の事を。
「つーくん、板! 板! 墓標!」
「やべっ! 忘れてた!」
つーくんは全力で斜面を駆け上り、また戻ってきた時には完全に息が上がっていた。
「なにもそんなに全力で走らんでも」
苦笑する伊藤さんに、つーくんは息も絶え絶え首を振って一枚の板を差し出した。
そこには、達筆で『大森さん』と縦書きに記してある。
だが、伊藤さんはそれを受け取れない。
右手は首からぶら下がり、左手は手先まで包帯でグルグルだからだ。
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