第29話 命のやり取り
伊藤さんの手には、信吉が手放した槍が握られていた。
そしてその槍の穂先は伊藤さんに操られ、転んだその場で立ち上がった庄吉の胸部を一突きにしたのだ。
「グフッ……ゲッ」
(あ……)
生々しい絵図だ、俺は声も出ない。庄吉は口から大量の血を吐きだすと、そのまま倒れて動かなくなった。
「でえめええ!」
その時、ようやく起き上がった最初の相手、稲助が再び襲いかかろうとした。
しかし、稲助は最初に頭を打ち抜かれたダメージだろうか、足元がフラ付いてマトモに立っていられない状況だった。それを見た金田さんが、自身の身長よりも長い棒を片手に走った。
「おおお!」
気合と共に、長い棒をまるで剣道の竹刀のように背負うと、無理やりスイカ割の様に上から振り下ろす。金田さんに操られる長い棒は綺麗な曲線を描き、稲助の頭部めがけて振り下ろされる。
しかし、僅かに届かなかった。
空を切った棒が地面を叩いた音と、ほぼ同時。
それとは全く違う嫌な音がした。
金田さんに気を取られていた稲助は、真後ろから伊藤さんの槍を受けたのだ。
槍は稲助の腹部を貫通している。
稲助は叫び声をあげる事もなく、鼻、耳、目、口、全てから血を流しながら倒れた。
「銀蔵!」
稲助が倒れこんだ直後、山賊の親分が野太い声で叫んだ。
「承知」
言うのと動きはほぼ同時、銀蔵の動きは早かった。さっきの三人とは比べ物にならない。
銀蔵は腰に差してあった刀を引き抜くと、一瞬にして伊藤さんとの距離を縮めた。
「がああ」
銀蔵が襲い掛かる直前、頭突きを食らった信吉が飛び跳ねるように伊藤さんにしがみ付く。
「チッ」
伊藤さんの舌うちが聞こえた気がした。
信吉に掴まれた伊藤さんは倒れこむような体制で左足を振りぬくが、それは銀蔵が飛び込んでくる間合いにはずいぶんと早かった。
ところが、まったく届かなかった伊藤さんの回し蹴りに、何故か銀蔵の速度が緩む。
それを見たつーくんが走り出した。
動きが緩やかになった銀蔵は、それでも止まる事はなく、伊藤さんめがけて刀を振り下ろす体制に入る。
直後、今度は銀蔵の胴体が後方に弾かれた。
つーくんの投げたバットサイズの棒が見事に命中したのだ。
「グッ」
銀蔵はそのまま数歩後ろに飛び退くと、しきりに顔を拭っている。伊藤さんの蹴りは当てる為ではなく、地面の砂を蹴り上げる為の物だったようだ。
まともに砂を被った銀蔵が動きを急に鈍らせたのを、つーくんが見逃さなかったのだろう。
俺は見ている事しか出来ない。
銀蔵の初撃が失敗に終わったのを確認した信吉は、一度伊藤さんから離れて体制を立て直そうと、屍になった庄吉の手から刀を取り伊藤さんに向けて構える。
信吉の手は震えていた。
遠目に見ても判別が出来るほど、刀の先はガクガクと左右に揺れている。
「信吉ぃ! 憶すな!」
親分の野太い声が信吉を叱咤する。
目に入った砂がどうにか落ち着いた銀蔵も、改めて刀を構える。
「庄吉さんと稲助さんね、忘れないよ。俺にとって一人目と二人目だ」
伊藤さんはそう言うと、信吉を無視するように銀蔵に向い言葉を続ける。
「光栄に思え、お前らはその他大勢じゃない。最初の犠牲者だ」
(迫力がすげぇ……あれホントに伊藤さん?)
今までも凄味程度の物は感じてきたけど、今のはそれとレベルが違う。まさに覇王色の覇気といった感じだろうか、相当な手練れと思われる銀蔵がじりじりと後退している。
「銀蔵! それ以上下がったら殺すぞ!」
親分の罵声が飛んだ。
刹那、動き出したのは銀蔵でも信吉でもなく、伊藤さんだった。
さっきまで向き合っていた銀蔵から一転、刀を構えて震えていた信吉に数歩寄ると、槍の柄の末端を持つようにして横に大きく振り回した。
その穂先は、信吉に当たるか、当たらないかの距離だ。
「ひぃぃい」
軽く後ろに飛び退くか、思い切ってしゃがみ込んでしまえば避けれるであろう穂先を、信吉は避ける事が出来ない。恐怖の為に両足が動かないのだろう。
どうにか上半身をのけ反らせた。
直後、乾いた音と共に、信吉の右手首から先が跳ねた。
刀を握ったまま、手首から先だけが宙を舞ったのだ。
信吉の右手から噴水のうよに血が吹き上がる。
そして吹き上がる信吉の血を大量に浴びながら、伊藤さんはその左胸を槍で一突きにした。
(嘘だろ、そこまでしなくても……)
真っ赤に染まった伊藤さんは、倒れる信吉には目もくれずに銀蔵と再び向き合う。
「感謝してるよ、どうしても必要な覚悟だったんだ。お前ら相手なら遠慮なくやれるわ」
「銀蔵ぉ!」
親分の雄叫びに銀蔵が反応した。
手に持った刀を勢いよく伊藤さん目がけて投げ込むと、自身の腰にあったもう一本の小ぶりな刀を抜いて突進する。
大きく避けて体制が崩れれば危険な状況だが、避けなければ飛んでくる刀の餌食となる。
伊藤さんは少しだけ身を捻り、大げさには避けなかった。刀はどうにか後方に流れたが、確実に何処かに当たったと思われる。
だが、体制の崩れていない槍を相手に、脇差程度のリーチでは銀蔵が圧倒的に不利だった。
伊藤さんが冷静に繰り出した一撃は銀蔵の左胸に突き立ち背中に貫通。伊藤さんがその穂先を引き抜くと、胸部から噴水のように血が噴き出した。
伊藤さんの修験者の服は、もう赤染めのような状況になっている。
「やるじゃねーか、デカイだけじゃねーようだな」
ここでようやく親分が一歩踏み出してきた。
「俺の子分にならねーか? そしたらよ、ここの男も女も、お前に任せるさ。俺は何もしねえ」
親分の体格は、背丈こそ伊藤さんとほぼ同等か少し高い程度だが。横幅は伊藤さんの倍くらいある巨漢だ。
「どうだ? 助かるんだよ、お前も、お前の仲間もだ」
これだけ伊藤さんが奮戦しても、親分は余裕たっぷりだ。親分と対峙した伊藤さんがこちらへ向かって叫ぶ。
「石島くん、小屋に! 金田くん須藤くん、下手に突っかからないようにね!」
それだけ言うと、親分と無言のにらみ合いに入る。隙を見せたら危ない状況なのだろう。
小屋に向うのを躊躇している俺の所へ、金田さんとつーくんがやってきた。二人とも表情が硬い。
そんな二人に、俺は無意識のうちに問いかけていた。
「伊藤さん……どうしちゃったの?」
答えたのはつーくんだ。
「この時代を生き抜くのに必要な事、生きる術になる物。そして、皆を守るために絶対に必要な覚悟、それがさ……」
そこまで言うと、伊藤さんの周囲に血まみれで倒れている山賊達を見回し、再び俺に向き合い言葉を続けた。
「それがさ、人を殺す覚悟なんだよ。この時代、人を殺さないといけない場面なんて山ほどあるはずなんだ。それを生きる術にしている人間だって沢山いる時代だからね」
人殺しが生きる術、漠然とではあるが分かっていた事なのに、いざ直面すると心が受け入れない。
俺とつーくんの会話を聞いていた金田さんが、今度は短いほうの木の棒を持ちながら、俺の目を見て口を開いた。
「ま、平和な時代に育った俺達にゃさ、死ぬ覚悟より難しいかもって話よ」
俺達三人が見守る中、ついに親分が動き出そうとしている。
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