第13話 到着
真っ暗な世界へ飛び込むと、一瞬にして明るい世界に飛び出した。
(イテテ……)
「うぅぅ、最悪だ」
「きもちわるっ」
男連中の情けない声が耳に入る。
俺は「きもちわるい」と言う声を出す余裕もなく、地面に引っくり返っていた。
(なにがトンネルより優しいだよ。違いが全然わからん)
その場所はなだらかな斜面になっている。大きな木は少ないものの、一面に広がる景色は緑一色だった。
(どっかの山の中か?)
転送された先が何処なのか、見当も付かないでいた。
「あらあら……ゲートなのに情けない。半分くらい引っくり返ってるわね」
俺の頭上から、女性の声が降ってきた。地面に仰向けに引っくり返ったまま、声の主を見あげてみる。
(おお、もうちょい)
少し高い位置に立っていたのは栗原美紀さん。もう少しでパンツが見えそうな角度だったから、このまま引っくり返っている事にした。
「やはり三半規管の訓練も取り入れるべきじゃないでしょうか」
栗原美紀さんの近くに寄ってきた別の子が、そんな事を言いながら引っくり返っている連中を見渡している。
後ろで一つに纏められた黒髪が、風に揺られてパラパラと靡く。可愛くて、とても優しくて良い子だ。
(ぉ、唯ちゃんのも見えそう! もうちょい右向いて!)
そんな俺の欲望をぶった切るように、栗原美紀さんが怒鳴り始めた。
「候補者の皆さん、これから最終説明に移ります!」
そこまで言うと、更に大きく息を吸い込んだ。
「シャキッとしろぉぉぉ!」
吸い込んだ勢いのまま、引っくり返り組みに罵声を浴びせた。
ピーンと空気が張りつめた。別に怒られるような立場じゃない気がするんだけど、美人上司に怒られたような気分になった。
これでは流石に地面とお友達になっているわけにもいかず、しぶしぶ立ち上がる俺を含めた引っくり返り組。そんな引っくり返り組が立ち上がり切る前に、以前にも聞いたことがある笑い声が聞こえてきた。
「ギャハハ! おなかいてえぇえぇ、美紀ちゃんコワっ!」
伊藤さんだ。いい大人のくせに、あの時のようにゲラゲラと大笑いしている。
栗原美紀さんは結構怖い。
メディカルチェックを受けている間も、列がどうとか、順番がどうとか、私語を慎めとか、あれこれ指摘してくるキッチリ派の美女なのだ。そんな栗原美紀さんの怒鳴り声に、爆笑で返事をするとは恐ろしい事をする。
「伊藤さんっ! 茶化さないで下さい!」
凛としたその姿勢は、笑われたくらいでは勢いを失わない。
(やっぱ怖いは栗原さん!)
俺は正直びびっちゃう方だ。
「いや、だって、いやいや、ごめんごめん」
そういって一旦笑を収めた伊藤さんだったが。
「ぐぷっ!……ご! ごめ、ぐははは、だめだぁ、ギャハッハ」
思い出し笑が堪え切れない様子で吹き出すと、またゲラゲラと笑い始めた。
(この人、考えてる事も笑いのツボも、全く理解不能だ)
でも一つ分かったのは、この笑で張りつめた空気が緩みつつあった事だ。
(あの時もそうだったな……)
ぐしゃぐしゃに泣いていた優理を思い出すと同時に、俺の目線は優理を捉えていた。栗原美紀さんのすぐ横で、るいちゃんと呼ばれていた子と並んでいる。
優理と、るいちゃん、二人の表情は、必死になって笑を堪えている様子だった。栗原美紀さんも、そんな優理とるいちゃんに気付いた。
「優理、瑠依、お前ら後でお説教だからな!」
当然「えー」とか「げぇ~」とか言いながら嫌がる二人。
その様子を見ていた伊藤さんが、もうほとんど笑いながらの状態で二人をかばった。
「いやいや、美紀ちゃんごめんごめん、俺が悪いから二人は許してやって!」
笑ながら言う台詞でもない気はしたが、別にそんな深刻な話でもないのでお説教もどうかと思う。
そんな事より気になったのは、伊藤さんが栗原美紀さんの事を「美紀ちゃん」なんて親しげに呼んでいる事だ。
「もう……伊藤さんもいい加減に笑うのやめて下さい! 最終説明が進みません!」
俺を含む候補者は、もうすでに栗原美紀さんの前に集まっている。静かだな~と思って金田さんを見てみたが、青い顔でげっそりしていた。
「ごめんなさい! 美紀ちゃんがあんまりにも可愛かったものでさぁ……ぐぎっ、ぐばははは、ダメだ、ちょっとタイム! お腹痛い死ぬ!」
何がそんなに可笑しいのか、この「化け物」の笑のツボに完全にハマりこんだらしい。
「なっ!? か、かわっ*шД☆Ю?」
栗原美紀さんは耳まで真っ赤にして、最後は言葉になっていなかった。
そんな栗原美紀さんの様子に真っ先に反応したのは、るいちゃんだった。
「だー! だめですよ? だめだめ! 絶対だめです! ダメです! 本気でダメです!」
そういって栗原美紀さんと伊藤さんの間に割って入る。
「はいはい、伊藤さん早くこっちで並んでお話し聞いてくださいね!」
そのまま、まだひーひー言いながら呼吸を整えていた伊藤さんの腕を掴み、栗原美紀さんから遠ざけた。そんなるいちゃんと伊藤さんの様子を、優理は唇を尖らせて観察している。
「石島ちゃ~ん」
青い顔の金田さんが幽霊のような声で話しかけてくる。金田さんも優理を見ているようだ。
「やっぱ、先輩と勝負するの無理っすかね」
(ホントだよ、なんだろうあの人は……)
俺は返事こそしなかったものの、完全に同意してしまっていた。
「伊藤さーん、うちのサポートまで落とさないでくださいよ」
第八班の人から伊藤さんをからかう声が上がった。
「いやいや、そうじゃなくてさ、ごめんごめん、美紀ちゃんどうぞ! 最終説明とやらを初めてください!」
笑顔でペコペコ謝っている姿は、別に卑屈さもなければ横柄さもない。この人の自然体が織りなす見事なまでの雰囲気は、男から見ても魅力的な部分だ。
「コホンっ」
栗原美紀さんはまだ頬を赤く染めながら、わざとらしく大きな咳払いをする。
「そ、それでは始めます。各候補者の皆さんにはこの説明が最後になりますので、しっかりと聞いてください!」
気を取りなおしてそう語りかけると、場の空気が引き締まった。
この説明が最後になる。その実感が、いよいよ高まってきた。一人で緊張していた俺は、突然右から肩をガッツリと組まれた。
「……? つーくんか、びっくりした」
「最後の説明、一緒に聞こうぜ相棒!」
俺もつーくんの肩をガッツリと組み返した。
「おう、相棒!」
右手に感じる心強い相棒を実感しながら、俺の視線は優理に釘付けになっていた。
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