ゲームチェンジャー

犬のニャン太

第1幕 大原編

未来からの使者

第1話 屋上の風

■2015年7月

 東京


 見上げる空はコンクリートで無機質に切り取られ、極端に狭い。

 子供の頃に見上げていた何処までも突き抜けるラムネ色の空は、この場所では見る事が出来ないようだ。


 こうしてみると空を見上げるという行為も、随分と久しぶりな気がする。

 視線を下げてみたところで、この小さなビルから見下ろせる範囲などたかが知れていた。錆び付いた柵に両手をついて身を乗り出せば、ジオラマを眺めている程度の世界がそこにある。

 その狭い都会に、ため息を一つ落としてみた。


 学生の頃は珍しく面白かった都会も、慣れてしまえば退屈な日常である。むしろ田舎育ちの俺にとってはどうにも息苦しい。


「東京なんて大っ嫌いだ」


 思わず独り言が漏れた。


 飛び降りる勇気なんてありはしない。

 けれど全てが嫌になってここへ来たのは確かだ。


 わざわざ部屋の片づけまで済ませ、田舎の両親に向けた遺書めいた文書まで用意して、この場所にいる。


 もう少し身を乗り出して下を見る。

 高所恐怖症ではないが、それでもぞっとする高さだ。


 その時、不意に後ろから呼びかけられた。


「お兄さん、飛び降りちゃうの?」


 驚いて振り向くと、とても可愛い女の子がこちらを見つめていた。

 屋上特有の少し強めの風が、淡い栗色の髪をふんわりと美しく浮かせる。


「いや、どうしようかなーって」


 どうしようか真剣に考えていたわけではないが、思わず口から飛び出したのはそんな台詞だった。


 天使様が降り立ったのかと思う程、その女の子は神々しい美しさだ。


 無駄な表現を一切必要としない。

 とんでもなく可愛い、の一言である。


 どことなく近未来風な、タイトなワンピース。宇宙戦艦のクルーのユニフォームみたいなそんな服。

 小脇には見慣れないタブレット端末を抱え、抜群のスタイルと天使過ぎる容姿。ふんわり軽いセミロングは、陽の光を浴びて淡い栗色に光り輝く。


 今日このビルでは、コスプレ大会でもあるのだろうか。


「お兄さん、少しお話し、しませんか?」


 一歩、また一歩と接近しながら、女の子は優しく微笑んだ。

 俺を自殺志願者と勘違いして、説得しようとしてくれているのかもしれない。


(こんな子に説得されたら思い留まっちゃうよね、仕方ないよ)


 俺は邪な発想をバネに、屋上からのダイブを思いとどまる事に成功した。

 いや、そこまでは考えていなかったけれど、そういう事にしておかないとこの子と話す理由がなくなってしまう。


「うん、そうだね。有難う」


 何に対する礼なのか自分でも分からない。

 だけどあのまま一人だったら、俺は本当に飛び降りていたかもしれない。そんな気がする



 ――ッッツツー ッッツツー



 気のせいだろうか、妙な電子音が聞こえる。


 すぐ隣まで歩み寄った女の子は、柵に背を預けて俺と横並びになった。

 春の風に吹かれて、こんな可愛い女の子と二人きりで空を眺める。なんだか胸が高鳴る状況だ。

 

「あ、確認なんですけど、石島洋太郎さん二十四歳であってますか?」

「え? ……そうだけど、なんで?」


 俺の人生に、こんな可愛い子は絡んでいない。

 いったい何者なのだろうか。


 妙な緊張を隠すため、俺も柵に背を預けて大きく背伸びする。


 その時、金属の弾ける音がした。


(あ……これやばいね?)


 思った時にはもう遅い。


 錆びてボロボロだったのだろうか、柵は勢いよく弾けるように壊れ、俺の身体を屋上の外へ放り出した。


 女の子は柵にしがみ付き、どうにか落ちないで済みそうな雰囲気である。


(巻き込まなくてよかった。最後に可愛い子と話せたからいいか)


 落下体勢に入った俺は、女の子を巻き込まなかった事に安堵しながら、スローモーションの世界に突入していた。


 覚悟は中途半端だったけれど、幸いにも身辺整理を済ませて来てある。

 しいて言うのであれば、歴代彼女が揃って貧乳だった事が心残りだ。


(天国に巨乳天使ちゃんいたらいいなぁ)


 そんな馬鹿な事を考えているうちに、体は完全に落下に入った。


 そして気になって屋上のほうを見た俺は、自分の両目を疑った。


「ちょっとまって~!」


 女の子が俺を追って来た。

 いや、俺を追って飛び降りてきたと表現したほうが正しい。


「なっ」


 そして俺は両目を疑った事を恥じた。


 俺の両目は、死の間際に実に良い働きをしてくれている。


 これが現実か、幻覚か、そんな物はどうでもよい。いま俺の脳が認識している。それが重要なのだ。


(パンツ、白だ)


 俺を追って飛び降りた女の子は、何故か両手でタブレット端末を操作しており、無防備になったタイトなワンピースの中身が俺の視線を釘づけにした。


 女の子は空中でバランスを崩しながらも、手早くタブレット端末を操作している。



 ――ッッツツー ッッツツー



 辺りは聞きなれない電子音に包まれた。


 どうやら先程から聞こえていた音は、女の子が持っている端末の物だったらしい。


「どう考えても時間ありませんから! 問答無用です!」


 俺と女の子を置き去りにして、景色は空へ向かって打ち上げられていく。女の子の声も心なしか聞こえにくい状態であったが、どうにか聞き取る事が出来た。


 次の瞬間。



 ――ィィィィリリリリ



 電子音が急に速度を上げたというか、高音になって体に纏わりついてくる。


 それと同時に、俺の身体も同様に渦巻き状の何かに絡め取られるようになっている。


(体が……ねじれる?)


「お先に~!」


 女の子はその声を残し、渦巻きの中に完全に吸い込まれていった。


 地面が接近する。


(何コレ、気持ちわるい)


 体が伸び、ねじれ、裏返っていく感覚に襲われる。


 痛みは無い。痛みが無いにも関わらず体中の感覚は嘘みたいに敏感で、あり得ない形状になって闇に吸い込まれていく感覚は本当に気持ちが悪かった。


 闇に呑まれた俺は、何かを感じる間も考える間も無く、一瞬にして光の世界に飛び出した。


「イテテ……」


 吐き気がする。


 目が回って体が言う事を聞かない。自分が五体満足でいるのかどうかさえ分からない。そして何より、自分に何が起こったのかがサッパリ分からない。

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