幕間 ~魔神襲来【学園医】その③~
「ムラサキっ!!」
他所の魔神を片付けて全速力で馳せ参じた物言わぬ従者。
彼女は一瞬で今の状況を把握し、そして片付けるべき対象を定めた。
「……主人を守る為に出てきたか」
形としては
ウィルベルの場合は学園医であるため、科や学年に関わらず接する機会はあるのだが、ムラサキが負傷することなどほぼ皆無に近かった。唯一の例外が森林エリアでのグループ対抗のサバイバル訓練だったが、その時だってウィルベルの手を借りることなく自己で治療をしていたのだから尚更である。
シエットのような好意とは違う。完全なる忠誠心。
それが分かっているからこそ、ウィルベルには最初から説得の意思はない。
「その心境が分からないわけじゃない。だから、敵に回るなりなんなり好きにすればいい。――束になったところで、私を止めることなどできないのだから」
「――……っ」
ギリリと奥歯を噛みしめるムラサキ。
不意打ちだった初撃を止められてしまったのは手痛い失態だった。
隙を突いたわけでもない攻撃が通じるほど、ウィルベルは甘くはない。
もう魔剣で受け止めるどころか、“沼”を越えることすらできなかった。
一度は肉薄したが、そこから先は難攻不落。
幾度奮おうとも、刃が“沼”を越えることはないあ。
振り抜くことさえできない刃を引いては、新たな一撃を放つ。
背後で身動きができない状態のグレンと、限界を超えて耐え続けるシーク。
二人の姿を一瞥したムラサキの脳裏に、過去の約束が思い出される。
――――――――
それはグレンたちが学園へと入学するずっと前のこと。
学園に入学することすらまだ考えてもいない頃のこと。
『――君のその力は絶大なものだ。問題はどう扱うかということだけど』
グレナカートの父親であるエルクリードが拾ってきた
奴隷のような状態で迎えられた彼女を、グレンとシークの二人はひとりの人として接し続け、ようやく意思疎通が取れるようになったところで――彼女の“能力”についての話となったのだった。
『将来、お前が俺の右腕となれば、父を打倒することは絵空事じゃなくなる。だが――お前自身のために、その力は表に出さないことを誓ってくれ』
『…………?』
道具として使われるために無理矢理に連れてこられたのに、その主人となった少年は力を使うなと言う。意味がわからず困惑するムラサキだったが、二人の表情は真剣そのものだった。
『知られることで危険を呼ぶ秘密だってある。君は自分が考えているよりも、ずっと特別な存在だということさ』
『この力が原因となり、お前自身の身に危険が及ぶことは望まない。それに――力をただ振るうだけでは能がないだろう。力を持ち、なおかつそれに頼らないこともまた一つの強さだ。ただ力を誇示するだけでは、父となにも変わらない』
『――――』
『不満そうな表情をしているね。僕としては、元々の身体能力も十分だし、普通に生きていく上で何も問題はないと思うのだけれど』
『……別に頼りにしていないわけじゃない。そうだな……お前の命が危ない時か、お前の大切な者が危ない時には迷わず使え。もっとも、そんな状況には俺が絶対にさせはしないがな』
――――――――
――――っ!
ザワッ、とムラサキの纏う空気が変わり――ウィルベルの背筋に、初めて悪寒が走った。その直感は違うことなく、彼女の想定の外にある現象を目の当たりにする。
沼に沈むだけで決して通ることのなかったその刃が、“沼”を斬り抜け、鎧を貫き、ウィルベルの胸元へと突き刺さった。あらゆる攻撃も呑み込む絶対の防御と思われた“沼”が、
間髪入れずに追撃、刃が下から上へと袈裟斬りに、まるで紙のように軽々と鎧を切り裂く。その斬撃は、内にあったウィルベルの身体まで達していた。
場合によっては即死も有り得る一撃。しかし、決して手加減などできるはずもなく。その光景をすぐそばで見ていたシエットも、『やった』と『やってしまった』が混ざるなんとも言えない感情が胸の内に湧き出てくる。
グレンを救う為に、教師を殺してしまうことが正しいのか。
もしも奇跡が起きてグレンが助かったとしても、この罪を償う必要があるだろう。
混沌とした心中に口元を覆うシエットだが、すぐさまその目を見開くこととなる。
「――――っ!?」
ムラサキが大きく飛び退く。その次の瞬間に奔る魔剣の刃。通常ならば到底動けるはずもない重傷を負い、それでも何事も無かったかのように剣を振るうウィルベル。何から何まで異常だが、その一番の原因となっているのが、彼女の身体である。不思議なことに傷口から血が噴き出すどころか、一滴も零れていない。
「まさか……こんなところでお目にかかるとは」
大したことでもないかのように、やれやれと溜め息を吐くも、その異様さにシエットは顔を青くしていた。これはいったいどういうことだろう。今の一撃で死んでいないのか。それとも、死んでもなお、動いて喋っているのか。
しかし、ウィルベル自身はそんな周りの反応など意に返さない。
集中すべきは、目の前の敵ただ一人と言わんばかりだった。
「オオオォ――――――――ォォン!!」
周囲の空気を吹き飛ばすような、大きな大きな遠吠えが一つ。
学園の隅から隅まで届くような。学園中の者の耳に届くような。
ムラサキの、着物から覗かせた腕や脚が、白い体毛に覆われている。黙々としたこれまでの彼女の面影は殆ど残っておらず。同じく白い体毛に覆われた、面長の顔面と、頭頂部に生えた三角の大きな耳が、彼女をただの人ではないことを主張していた。
「ムラサキも……
「……なるほど、これは面白い。所詮は伝承や言い伝えでしか残ってないものと思っていたが――伝説の存在とやらは“沼”を斬り抜くか」
薄黄色の瞳は真っ直ぐにウィルベルを睨みつけ、大きく開かれた口からは鋭い牙を覗かせている。いつの間にやら、白くフサフサとした尾までも飛び出していた。地域によっては神聖なものとして奉られることもあるという、その存在は――
「――白狼の
その身から溢れんばかりの気迫に、見る者全てに畏れの与えるその姿に、ウィルベルでさえもが思わず後ずさる。
(……“爪を隠している”程度の認識だったんだが、少しだけ改めようじゃないか)
これまでは陰に徹し、その牙も爪も見せることのなかったムラサキ。
観察力には一家言あるウィルベルでさえ、これまで全く気付かなかった。学園長を初めとした、その他の教師でさえも同様であろう。この真実を知っていたのは、学園の中でもグレナカートとシークのみだった。……唯一の例外として、入学の時に少なからず恐怖心を抱いたテイルを除けば。
「ここまで私に殺意を突きつけるか。だが――白狼の剣であろうと、私を殺すことはできなかったらしい。……残念だったな」
ぬぢっと、肉と肉が離れていく、嫌な音がした。
他でもないウィルベル自身が、袈裟斬りにされた傷口へと手を差し込んだのだ。
それは攻撃のためのものではなく、ただ圧倒的な差というものを見せつけるだけのただの行為。まるで袋を開けるかのように、ガバリと傷口を押し広げ、その内側を見せつけたが――
「か、空っぽ……!?」
――何もない。胸の内は
肺や胃どころか、心臓までも、あるべき臓器が存在しない。
「……やれやれ、しばらくの間は禁煙だな」
剥き出しとなった肋骨は、内臓を守るためのものではなく。
ただ、ヒトとしての身体の形を保つためにすぎないものとなっていた。
「このままでは傷口から煙が漏れ出てしまう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます