幕間 ~魔神襲来【学園医】その②~

 シークとシエット、ヴァルター、ニハルと次々と現れた生徒たちを蹴散らしてきた魔神グレンだったが、ウィルベルの“沼”は次元が違った。


 ニハルを貫いた鋭い尾も、ウィルベルには通じない。ウィルベルや、その側にいたシエットへと届く前に“沼”に飲み込まれ、途中でスッパリと両断されたのも一瞬のことである。


 そしていまや――四肢までもがいつの間にやら沼へとずっぷりと使っており、頭を垂れる始末。一切の抵抗をするヒマすら与えない圧倒的実力差。ずるりと泥を滴らせながら煌めく魔剣を構えることもなく、ツカツカと無造作に歩いていくときにそれは起こったのだ。


「……シエット・エーテレイン。邪魔をするつもりか?」


 本人でさえ、これが正しいだなんて思っていない。このまま魔神グレンを放っておけば、どうなるかということぐらい理解できていた。ウィルベルの見立ては正しい、正しい上で“グレンを殺す”という最良の手を確実に実行できるだろう。ただ――


「グレン様があのままだなんて……。そんなはずはありませんわっ!」


 シエットはそれを黙って見ていることなどできるはずがない。

 大切な仲間が、幼馴染が殺されるなど、納得できるはずがなかったのだ。


「魔物化して元に戻った例など無い。 戻す方法だって世界中探したところで見つかってはいない。あまつさえ、あれだけ強力な魔神となってしまった以上は、期待するだけ無駄だ」


「駄目ですっ、絶対に……!! グレン様なら必ず……お願いします、先生っ!! 諦めるだなんて、そんなことできませんっ!! お願いですからっ!!」


 まるで子供が駄々をこねるかのように縋り付き、懇願こんがんする。


「……グレナカート自身の名誉のためにも、このまま殺すべきだ」


 しかし、ウィルベルは冷たい表情を崩すことはない。まさに冷酷無比。『お前が聞き分けようが、聞き分けまいが、どうでもいいことだ』と告げる。


 このまま学園の外に逃がして、村や街で暴れてしまえばどうなる?

 更に取り返しのつかない事態になるのは明白。


 事例が極端に少なく歴史の影に埋もれているだけで、魔神によって村一つが壊滅するということを、ウィルベルは目にしたことがあった。能力が高く、狡猾で、時には人を惑わし操ることもある。恐ろしい生物だということを、彼女は痛い程知っている。


「腫瘍は早期に切除しなければ、いつか全身をむしばんでいく。こればかりは、『寝ていれば治る』とは言っていられない」


「彼は腫瘍ではありませんっ!! “グレナカート・ペンブローグ”という一人の人であり、私やシークの幼馴染であり、学園の仲間である大事な存在なんです!!」


「魔族が学園に通っているのとは訳が違う。魔神は明確な駆逐対象だ。発生した原因の究明よりも、まずは排除が優先される。このままにしておけば、被害が広がる一方だからな」


「……申し訳ありません、先生。どうしても、殺させるわけにはいきませんの」


 交渉決裂。正しいのはウィルベルの方であり、自身が己の感情で間違った希望に縋りついていることはシエット自身も痛い程理解していた。しかし、ここでそれを認めてしまえば、“何かが壊れてしまう”と感じていたのも事実。だからこそ――彼女は降ろしていた細剣レイピアを構え直す。


 自ら最後の砦として、幼馴染を守る為に。


「……学園だけじゃない、世界を敵に回すことになるぞ。そこをどけ」

「どきませんっ!!」


 魔神グレンを抑えるために魔力を消費してボロボロの状態のシエット。しかし、たとえ万全の状態だったとしても、ウィルベルとの実力差は絶対的なものだった。万が一にも、数秒すらも止められないことは明らかだった。


 これが問題となって、学園を卒業できなくなっても構わない。

 どれだけ大きな覚悟を持ちはしても、覚悟は所詮覚悟でしかなく。


「――話し合いは終わりだ」

「――っ!? そんな……!?」


 詠唱無しでの魔法の行使。全力でウィルベルを捕らえようとした。全身を氷漬けにしてでも、彼女を止めようとした。しかし――氷漬けどころか、氷柱つららの一つも上がることはない。


「私の妖精が……!? ――きゃあっ!」


 魔法の行使が始まるよりもさらに速く、ウィルベルの“沼”がシエットの妖精を飲み込んでいたのだ。妖精のいない妖精魔法師ウィスパーが、どう戦えというのか。勝ち目がないと一瞬で悟るシエット。


 これ以上の猶予はないと、ウィルベルの振るった腕が彼女を脇へと弾き飛ばす。


(そんな……! 私では……私の力では止められない……!)


「待ってください……!」


 ――絞り出された声は、重なって響いた。

 

 シエットの口からなんとか絞り出されたそれと同じく、別の場所から――ニハルが消えた通路の方から現れた、キリカ・ミーズィからも発せられたその言葉に、ウィルベルは足を止める。


「はぁ……はぁ……」

「キリカ……?」


「話は……ニハル先輩から聞きました。グレナカート君を犠牲にするだなんて……そんなこと……させません……!」


 なんとか二本の足で立ってはいるが、息も絶え絶え、四肢には力がみなぎっていないのが誰の目にも明らかだった。一言一言を発しているこの瞬間にも、どんどんとキリカの顔色が悪くなっていく。


「……あの兎ニハルと同じ症状だな。お前も馬鹿なことをしたものだ、魔神の一部を喰ったんだな? 猛毒を身体に取り込んだのと同じことだが……お前の体力ならば、そのまま死ぬことはないだろう。少し辛いだろうが、待っているといい。グレカートを処理した後で治療してやる」


 ほうほうの体でウィルベルの前へと回り込み、両手を広げて立ち塞がる。


「グレナカートは……私たちの大事な学友です。先生、待ってください」

「優秀なお前らしくもない。無理をしたところで得はないだろうに。……引けと言っても聞きそうにないな」


 もう立っているのもやっとの状態で、それでも姿を変えてしまったグレナカートのために戦う姿勢に入っていた。両手の魔法は解いていない。いくらウィルベルともいえど、彼女の魔法に相対してはただでは済まないだろうが――


「――“貪り喰う魔法”。確かに強力だが、もう限界だろう」


 沼から取り出したフラスコをキリカの方へと放り投げ、魔剣で切り割る。中に入っていた液体が一瞬で気化し、紫色をした霧となってキリカの周囲に広がった。


「……毒!? いや、これ――は――」


「状況も分からぬままに闇雲に動くと、かえって危険な状況に陥ることなる。勉強になったな、キリカ・ミーズィ。お前は後で治療するとして――」


 糸の切れた人形のように、受け身を取ることもなく、その場に突っ伏して倒れるキリカ。物理の面では並ぶものなし。どんな魔法であろうと、その両腕は食らってみせる。だが――


「今は


 本人に対しての睡眠作用となると話は別だった。


 これは魔法とは完全に別の作用。魔力に変換して効果を薄めることもできず、キリカの意識は一瞬で昏倒し、このような状態へと陥ってしまったのだ。


 そうして、倒れたキリカをシエットの方へと放り投げようと屈んだ次の瞬間――


「――なにっ!?」


 ウィルベルの剣が、初めて、何者かの刃を受け止めた。


 細く真っ直ぐに伸びた冷たい鋼が、禍々しい柄から伸びた刃とぶつかり火花を散らす。大きく跳びのき、“沼”に絡めとられて動きを封じられたグレンとの間に立ちふさがる、和装束の女生徒。


 ――【銀の星】、最後のメンバーであるムラサキが、姿を現わしたのだった。

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