幕間 ~魔神襲来【銀の星】その①~

 リーダーであるグレナカート・ペンブローグを先頭にして、中庭に飛び込んだ先の光景は異質極まりなく。中庭の噴水そばで暴れている魔神は他の個体に比べて倍近い大きさをしていた。


「なにをしてるの! 早くお逃げなさい!!」


 そう声を上げたのは【銀の星】、妖精魔法科ウィスパー三年のシエット・エーテレインだった。彼女の視界に入ったのは逃げ遅れている生徒たち。他の場所で魔神の対処にあたっているのか、教師の姿はない。


「ひ、ひどい状況です……」


 そんな状況で、負けるまいと必死で抵抗していたのだろう。その有様はボロボロに崩れた中庭の石壁を見てもはっきりと見て取れた。そこに現れたグレナカートたちは、まさに救いの光ともいえるものだった。


『グレナカート先輩が来てくれた……!?』

『やったぁ! これで助かる……!!」


 一角で防衛魔法を展開してなんとか耐え凌いでいる生徒たちが声を上げる。


 学園でも指折りの優秀な生徒であるグレナカートならば、きっとこの化け物を倒してくれる。期待を背負うグレナカート本人たちは、少なくとも彼らよりも正確に目の前の魔神の“強さ”を感じ取っていた。


「グレン……あれは“魔神”だ。ただの魔物と同じに考えてはいけないよ」

「あぁ……分かっている」


 この場に駆け付けているのは現状【銀の星】のみ。それも、グレナカート・ペンブローグ、シーク・スクアード、シエット・エーテレイン、ルナ・ミルドナットの四人。最も機動性に長けたムラサキは“特別な事情”があり、先に一人で行動していた。


 メンバーを欠いた今の状態で勝てるのか。

 こうしている間にも、他の生徒たちの消耗は大きくなっていく。


 ずるずると芋虫のような体を引きずりながら移動する魔神は、その外見からして一筋縄ではいかないように見えた。ヤギのような頭からは捩じれた太い角が伸び、横長の瞳孔はいったいどこを見ているのか分からない。上半身は毛むくじゃらだがヒトのようで、芋虫のような身体とはアンバランスだった。


 そして一際不気味に映るのは、背中から伸びる幾つもの黒い腕。五指の揃った“それ”の本数はまばらで、長さも方向も統一感などは一切感じられない。ギチギチと動くさまに、『まるで悪い夢を見ているようですわね』とシエットが呟く。


「……止めるぞ」


 剣を抜くグレナカート。それに従うように、他の三人も武器を構えて陣形を整えた。前衛二人に後衛二人。攻撃を見切りながらも切り込めるグレナカートが敵の注意を引きつけ、ルナが空中を飛び回りながら機石斧マシンアックスでまとめて腕を薙ぎ払う。


 数度繰り返し、果たして腕の数は減っているのか。

 戦っている本人たちには全く実感が湧かない。


 魔神による攻撃の手は衰えることなく。後方で魔法によって援護しているシエットやシークも、焦りによって冷や汗を頬に伝わせて。もしかしたら、切り払った腕も新しく生えているのではと疑っていた。


 その腕の一本一本が驚異的であり、直撃を受ければただでは済まないだろうと誰もが直観していた。その威力だけではなく、得体の知れない“何か”があると。濃い魔力を帯びており、中庭の端の方では昏倒して倒れたままの生徒がいる。


「シエット、ルナ。隙を見て生徒を逃がせ」

「で、でも――」


 四人で今の状況なのだ。できることなら助けに行きたいが、この状況で自分たちが救助に回ればどれだけ戦いが厳しくなるのか。シエットもルナも、それは十分に把握できており、すぐには賛同することはできない。


 グレナカートの一番の理解者であるシークも、同じ意見のようだった。


「……無茶だ。どれだけ魔法を撃ちこんでも決定打にならない。このまま拮抗した状態を続けて教師が来るのを待――」

「俺は父とは違うっ……! 目の前で倒れたものを見捨てはしない。グレナカート家の次期頭首として、救えるものは全て救ってみせる……!」


 ――どれだけ無茶なことであろうと、決して曲げられない意地というものがある。


 グレナカートの父、エルクリード・ペンブローグは優れた戦士であったが“暴君”でもあった。領主としての才能もあったが、常に力による解決を望み、そうしてきた。その下に虐げられた者たちが積み上げられたとて、領地を拡大して豊かにできるのならば一切の躊躇いを持つことのない男だった。


 グレナカートはそんな父に対して尊敬よりも恐怖が上回った瞬間から、反面教師として別の形での優れた領主となることを志したのである。


 邪魔する者には容赦はしないが、むやみに力は振るわない。必要な時にだけ抜くからこそ、剣は輝きを保っていられるのだ。血錆の付いた刃など、赤黒く濁った領主の座などは求めない。正しく人の上に立つ者を目指す。


 パンドラ・ガーデンに入学を決めたのだって、父を超えるためだった。『こんなものに頼るのは軟弱者だけだ』と笑い父が切り捨てた“魔法”。その価値を、グレナカートは見逃さなかった。必ず身に付け、真の強さを証明してみせるのだ、と。


 誰かを虐げるための力ではない。

 自分ならば、何倍にも有効活用してみせる。

 誰かを救い、誰かを護る。父が選ばなかった道を俺は往く。


「ここで他の生徒を助けられないで、何が領主だ……!」


 グレナカートが全力で魔力を回す。魔神の足元に広く広げられた魔法陣は、一瞬にして眩い光を放っていた。一定範囲における重力操作。魔神の巨体を完全に押さえつけることはできなくとも、その動きを鈍らせることはできる。


「――二人とも、行くんだ!」


 それに加えてのシークの魔法。何本もの光の鎖が覆いかぶさるようにして魔神に積み重なっていく。その両端は同じく光の杭によって地面に縫い付けられていた。


 魔神の動きは完全に封じていないが、その標的は完全にグレナカートたちへと移っている。今ならば、とシエットはルナを連れて倒れている生徒たちの方へと走る。


(流石はグレン様ですわ……。いつの間にか“道”が空いている……!)


 戦いの最中さなかの立ち回りによって、自然と生徒達から距離を離していたことにより、救助は迅速に進んでいたのだが――


「――っ!?」

「シエットっ!」


「お嬢様、危ないっ!!」


 幾重も網のように張り巡らされた鎖の“目”を潜り抜け、二本の腕がシエットへと伸ばされる。ガリガリと地面を抉るその後を追うように、周囲の芝が見る見るうちに枯れていく。死の臭いを纏ったその腕を、すんでのところで止めたのはルナだった。


 突発的に核機石を暴走させ、水色だった髪の毛は橙色に染まっている。魔神の腕を両脇に抱えて、なんとか主人に被害が及ぶのを防いでいた。


「ルナ、あなた……!?」

機石人形グランディールの私なら、他の人よりも影響は少ないです……お嬢様、早く!!」


 ゴォッ――と空を切る音がする。

 さらに別の腕が、今度はルナへと襲い掛かる。


「だからって――全員が無事でなければ意味がないのよ……!!」


 いくら魔力の影響を受けにくいとはいえ、直接に叩きつけられてはひとたまりもない。シエットは逡巡し、妖精に命じて魔法を使用した。地面を押し上げて出現した氷の壁がルナが掴んでいた腕を押し上げる。氷の壁が次第にドーム状へと変化し、次の瞬間には重たい衝撃が走った。


「ん……んん――。ここは……!? 私――」

「目覚めたところ悪いのですけど、残念ながらまだ危機は去ってないですわ」


 咄嗟に発動した氷の防壁は、なんとか魔神の攻撃を防いだものの――ルナの暴走による消耗は激しい。ここから無傷で脱出するのは難しいように思え、シエットは唇の端を噛んで次の手を考える。


(このまま防御に徹するべき……? けれど、今度はグレン様たちに危険が――)


 そうしている間にも、更に大きな衝撃が氷のドームを襲っていた。


「キャアアアア――!!」


 どうやら魔神は完全にシエットたちを狙うことにしたらしく、徐々に氷も軋んでヒビが入り始めていた。振動がピークに達し、ついには耐えかねて女子生徒が悲鳴を上げる。


 この状態でどこまで抵抗できるのだろうか。


 氷が完全に崩れてしまったら終わり。ルナも無茶を押して暴走状態を維持しており、シエットも全力で魔法を唱えるために魔力を全開状態で流していた。


 ――最後の一撃。ビキビキという音が鳴り、一気にドームの天井部分が崩れた。


 氷がシエットたちに当たらないようにルナが庇い、魔法が溶けてドームが完全に消え去る。魔神の追撃に対処するために身構えたシエットたちだったが――


「ど、どういうことなの……!?」


 そこにあったのは、地面に倒れ伏した魔神の姿だった。

 半身が吹き飛んでいる。

 

「グレンっ、君は何故……!! 、それでもいいのかい!?」


 逼迫したようなシークの叫びに、いったいなんのことだと問おうとした次の瞬間、シエットたちの頭上を何かが通った。大きな黒い影。それは――新たな魔神。


「グ、グレン様……!?」


 ――ではなく。


 全身を黒に落とし、尾を生やしたグレナカートの姿。


 彼が亜人デミグランデでないことはシエットはよく知っている。あれが生まれつきの姿でないということは、何らかの原因によって変貌してしまったということだった。


 徐々に侵食していく装甲のような皮膚。

 その気配は――魔神のものとそう変わらなかった。

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