幕間 ~魔神襲来【黄金の夜明け】その②~

(まったく……遠慮もなにもあったもんじゃない!)


 まるで弾丸ストレート。タミル・チュールに全力で投げ飛ばされたニハルは、ぷんすかと怒りながらも目の前の魔神へと意識を集中する。


 相手までの距離、周囲の状況、外見から判断される攻撃手段。

 どういった魔法なら、一番効果的にダメージを与えられるのか。


 学園一の秀才と名高いニハル・ガナッシュは、他の生徒たちのように一撃に秀でた魔法を持っているわけではない。強いて言うなれば、その圧倒的な頭脳が唯一の武器だった。


 誰よりも多くの魔法を。誰よりも使いこなせばいい。少し学べば誰だって使えるような魔法でさえ、彼にかかれば数段の威力を発揮する。これも亜人デミグランデとしての能力の恩恵と言ってしまえば身も蓋もないが、ニハルの魔法の技術はそれを考慮しても別格だった。


「ふっ――!」


 一瞬で魔法陣を展開し、魔力障壁が広がる。その強度は、魔神の口から放出される炎にびくともすることなく、ぐいぐいと押し返すほど。魔神のすぐ近くへと接近したその瞬間まで、後輩たちのいる背後へと漏れることもなく。そして覆い包み込むように障壁は形を変えていた。


 小さくなっていく魔力障壁の内側で、炎がどんどんと圧縮されていく。その末には、元通りに魔神の口元へと押し込まれる始末。己の炎では傷つくことがないにしても、虚を突くような反撃に慌てて魔神は太い腕を振るおうとしていた。


「おっと、大人しくしていてもらいますよっ!」


 もちろん、魔法で炎を防御したぐらいでニハルの動きが止まることはない。

 誰もが把握するよりも先に次の手は打たれていた。


 いつの間にやら廊下中に現れていた小さな魔法陣の群れは、まるで夜空に浮かぶ星のようで。その一つ一つから、鋭い棘のついた魔力のワイヤーが勢いよく飛び出していく。


 床から、壁から、天井から。

 縦横無尽に伸びる光の有刺鉄線。


 それは首元や脇腹、股下などありとあらゆる場所を通り、ガリガリと魔神の身体を削っていた。一本や二本ならば引きちぎることも可能だったかもしれないが、その魔法を行使しているのがニハルである以上はそれも叶わない。


 十、二十、さらに倍――。


 肉片を散らしながらも、魔神がその太い腕をニハルへと伸ばそうとした刹那。ぱちんと鳴らされた指の音と共に、急速に有刺鉄線が《巻き上げられていく》》。右回転、左回転、更に別の方向へ。バラバラの速度で動くそれは、魔神の身体を雁字搦めに絡め取り、締め上げていく。


 ギチギチと万力のように力が加えられていく。

 身体の至る箇所に有刺鉄線が沈み込み、体液が噴き出そうとも止まらない。


 なおも動こうとする魔神だったが、それは逆効果だった。爪先はニハルに掠るどころか、関節という関節が逆に捻じ曲げられていく。そんな様子を哀れに感じたのか、ニハルは『ふぅ』とため息を一つ吐いて、魔神へと杖を突きつけた。


 間髪入れずに飛んだいかづちの槍。

 それは魔物の眉間へと、寸分違わず深々と突き刺さった。


「――――!!」


 絶叫を上げた魔神が身体を揺らすも、無数の有刺鉄線に絡め取られた姿勢のまま抜け出すことはできず――遂には宙空に固定されたままに絶命した。


 …………。


「これは……」


 しゅうしゅうと煙のように死んだ魔神の身体から出ており、至近距離にいたニハルは慌ててマントで口元を覆う。毒のようにも見えたそれは、高濃度の魔素だった。魔素も酸素もそう変わらない、人体に対しての適正な濃度というものがあり、それを超えると毒にもなりうる。


(こんな濃度の魔素を身体に有していて動ける生物……? ありえないでしょう)


 流石にこれは異質過ぎると、ニハルが後輩たちへ『近づかないで』と声をかけようとしたが――すでに魔神の身体はバラバラと崩れ始めていた。色を失い、地面に落ちた死骸はパラパラと灰へと変わっていく。


 やはり生徒が手を出していいものではない。

 ――が、この状況でどう動いたものか。


(それよりも……。まずは“こっち”ですね)


「タァァァミィィィルゥゥゥ!!」

「あいてっ」


 ニハルはずんずんと近づき頭を杖でポカッと殴った。


「まったく!! ボクじゃなければ死んでましたが!?」


 キリカもタミルも、無鉄砲に危険なことをするような性格ではないことをニハルもよく知っている。特にタミルの場合は、扱う魔法ゆえに“そういう嗅覚”が特に鋭い。全く得体の知れない相手だろうと、その力量を測ることができての行動だろうけれども――それとこれとは別の話。


「ま、まぁまぁ……。ニハル先輩だからやったんだし――」

「だから怒ってるんですよぉ!!」


 ――だから、これはあくまでも先輩に対しての扱いが酷かったことについての叱りである。要するに、いつもの【黄金の夜明け】のやり取りだった。


「しかし……この手応えだと、先生たちも手こずりそうですね……」


 廊下という狭い場所で、相手がなにか仕掛けて来る前に片付けることができたが、場所によってはどうなるか予想がつかない。ここまで得体の知れない、外見からして醜悪な魔物は見たことがなく。


 後輩たちの手前、なんとか余裕の表情を浮かべてはいても、本心では一刻も逃げ出したいニハルだった。これがもっと数が多い状態で、刻一刻と状況が悪くなるようなら、一目散に逃げ出していただろう。それぐらい警戒するのが妥当だと、聡明な頭脳で判断していたのだが――


「今はまだ大丈夫みたいだけど……このままだと、いつ生徒に被害が出るか分からないよね……」

「もしかして、パンドラ・ガーデン閉鎖の危機……!?」


「……未曾有の事態ですからね。問題が大きくなれば、学園側がそれなりの責任を負う可能性もあります。最悪の場合、生徒たちをそれぞれの家に帰し、学園を閉鎖することだってあるでしょう」


 だからこそ、冷静に判断した上で導き出したのは、いち早く安全な場所に逃げることだったのだが……キリカもタミルもやる気は十分のようで。『実力があり過ぎるのも玉に瑕ですね』とニハルは嘆息する。


「そんなこと、絶対に嫌だよ!」

「私たち、もうすぐ卒業なんだし、ね」


「このまま他の魔物を倒しに行こう。みんなで――ううん、二手に分かれた方が効率いい。ニハル先輩なら一人でも大丈夫ですよね?」


 キリカヤタミル、そしてその後輩たちも弱くない。

 すでに早い段階で、ニハルが守ってやる対象ではなくなっていた。


「……君たちはボクの実力を過信し過ぎています」


 ニハル自らが魔法の基礎を叩き込み、決して楽ではない依頼だって実践してこなしてきたのである。【黄金の夜明け】は学園の中でも有数の優秀なグループだと、学園の誰もが認めている。


 後輩たちが強くなるのを見るのは楽しかった。こうして『自分たちの身は自分たちで守れる』と言われ、少し寂しい気持ちもしたが、嬉しくもあった。ならば彼ができることは、そう多く残されていない。


「……ヘマをするんじゃありませんよ。貴方たちならやれるはずです。後輩きみたちは、先輩の戦いをよく見ておくことです。これもいい学びの機会でしょう。――ただ、くれぐれも口を酸っぱくして言いますけれど……」


 ニハルは慢心しない。慢心させない。

 訓練や試合とは違う。

 すでにこの学園の中は戦場となっているのだから。


「決して油断しないように。これまでに見た魔物とは、どうやら一味違うみたいですからね。特に体液等を浴びないように注意してください。キリカも、タミルも、魔法の相性は良いとは言えないでしょうからね。……それでは、あまりゆっくりもしていなれないですし、一足先に失礼しますよ」


「もちろん、いつも先輩に言われてることは忘れてないよ」

「私達だけでもできるってこと、見せてあげないとね」


『まったく……“先輩”というのは楽じゃありませんね』と、ブツブツ文句を言いながら、ニハルは騒ぎの大きい方面へと走っていったのだった。

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