幕間 ~愚かな狩人~
――ムーンショットは森の中を駆けていた。
彼女は生まれながらにして狙撃手である。遠方から敵に狙いを定め、動くことなく死をもたらす狩人である。そんな彼女がこんな短期間に全力疾走を繰り返しているなど、これまでには全く無かったことだった。
先ほどは、ミルクレープとテイルという追手から逃れるため。
そして今は――これから目覚めるであろうアカホシに会って話すためだった。
向こうも目覚めれば、自分たちの気配に気づいて動きだすに違いない。『なんだか、とても長い間眠っていた気がする。みんなの姿が見えないけど……』だなんて、間の抜けたことを開口一番に言うのだ。
ムーンショットはそう信じて疑わない。
信じている。望んでいる。
『そうであってくれ……』という言葉が、口から洩れる。
彼女にとって、アカホシは特別な存在だった。
魔族を倒し、世界を救うために造り出された
ムーンショットもそのうちの一体だが、『世界を救う』という使命感には燃えてはいなかった。ただ、アカホシの力になりたい、と。彼をサポートするために、自分という存在があるのだと考えていた。
それは創造主がそうプログラムしたのか。
彼女自身が、アカホシに触れることで意志を強めたのか。
真実は――創造主のみぞ知ることだった。
「――――っ!?」
先ほどから鳴り響いていた地鳴りが、限界まで大きくなって。とうとう“竜の墓場”から、轟音と共に巨大な“それ”が現れる。
「アグニ――!」
アカホシの兵器であり、魔族殲滅の要となっていた機石の竜。火山の底に棲んでいたといわれる炎王竜を参考に造られたからだろう、アカホシの熱量にも耐えうるほどの熱耐性を持っていた。
羽ばたき一つで木々をなぎ倒し、口から吹かれる炎の息吹は、魔物の大群すら一瞬で片付けてしまう。太い両腕から繰り出される薙ぎ払いを含め、周りにも被害を出してしまう可能性があったので、使いどころは限られていた。
ムーンショットは、彼女たちは知っている。
その力がどういったものなのかを。
正しく振るうことで、世界を救えることも証明した。
それが――敵に回ることなんて、考えもしなかった。
「…………? どこへ向かっている……? いや――」
そんなことはどうでもいい。
しかし、勢いよく飛び出したアグニに対して、ムーンショットは興味などない。彼女にとって重要なのはアカホシだけ。そして――彼女はアグニと共に飛び出した一つの人影を見逃しはしない。
「アカ……ホシ……」
アカホシ。アカホシ。アカホシ。
いったいこれまで何度その名を呼んだことだろう。
そうして、今も。何度も何度も名前を呼ぶ。
言葉が、自らの足を、速めていく。
これをヒトは“想い”と呼ぶのだと、彼女は過去に誰かから教わった。
テスラコイルのような高度な探知機能が備わっていなくとも分かる。アカホシも近づいているのだ。全力のムーンショットと同じ速度で。何を考えてそう動いているかなど、誰にも分かりはしない。――が、ムーンショットの顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
何分の間、森の中を走り続けたことだろうか。
それは永遠に思えたか。それとも、刹那に思えたか。ムーンショットにとっては、どちらでもよいこと。何年も耐えて待ち続けた末に――念願の再開を果たした。
「――――」
仲間だった者たちの、そのどれもとは違う赤い髪は、激しく散る火花のよう。
――いつもの顔がそこにあった。
十数年前、クルタで暴れたときの後遺症。修復機構に損傷があったのか、顔の半分はひび割れてはいるが――そんなことは関係ない。
それでもアカホシという事実は変わらない。
ムーンショットにとっては、何も問題はない。
あの瞬間から何も変わりはしない。
彼女が大切に仕舞い込んでいた記憶のままだ。
「よかった……。アカホシは……アカホシのままだ……!」
それが――彼女たちにとっては普通のことであり。
それと同時に、異常なことだとは気づかない。
成長はしない。老いもしない。
けれどそれは、人形だからだ。
ヒトならば、時代と共に内面が変化する。外面が変化する。
……ならば、人形は?
内側がどれだけ変わっていようが、外面は全く変わることがない。
ヒトによっては、それが怖いという。
変わらないことが怖い。
変わらないように見えていることが怖い、と。
「私は信じてたぞ。お前は大丈夫だって。私だけが信じ続けていた」
「…………」
――アカホシは一言も返事を発しない。
彼にとっては何度も、何度も。何百回も、何千回も、何万回だって聞いた声だ。テスラコイルやミルクレープ、他の者たちに比べれば倍以上は聞いているはずだ。それもそうだろう。ムーンショットが心を開いていたのは、彼にだけだったのだから。
「お前は壊れてなんかいない。あんなものは、一時的なものに過ぎないって」
「…………」
ただ真っすぐを、ムーンショットの方を見ているだけ。
見ているだけで、何か言うわけでもない。
「どうしたんだ……?」
「…………」
答えない。
「いつものように、笑いかけてくれ……アカホシ」
ムーンショットの胸の内に込み上げてくる感情の波。これが、“悲しい”という感情だと呼ぶのなら。きっとヒトの身なら泣いているのだろう。涙を溢れさせ、目じりから幾つも滴を
それができない。なぜならば
だから、掠れそうな声で『アカホシ……』と名前を呼ぶ。
その言葉に応じて――ようやくアカホシは口を開いた。
……携えていた剣を抜きながら。
「誰……だ……?」
「――――っ!? そんな……」
忘れてしまったのか。他の奴等ならまだしも、私のことを。
ムーンショットの内に浮かぶは、怒り、ではなく絶望だった。
信じた。信じていた。……信じていたのに、裏切られた。
否、勝手に縋っていたのだ。ありもしない幻想を
現実を目の当たりにしなければ、幻想を諦めることすらできない。まさに月を撃とうとしている者にはぴったりだ、とテスラコイルならば笑うだろう。彼女の知らないところで笑っていたのかもしれないが。
「嘘だと、言って……くれないか……」
「…………」
――答えない。
かつて彼女たちを纏めてきた、彼女たちのリーダーは。
かつて彼女に笑いかけていた、特別な存在は。
表情は無機質なものだった。
何を考えているのか。何も考えていないのか。
「何も、何もなくなってしまった……」
今までの時間が、なにもかも、消えてしまった。それだけなら、どれだけマシだったことだろう。空っぽの箱には、また新しい物を入れてしまえる。目の前のアカホシが違うのは、中身が歪んでガラッと変わっているということである。
かつての仲間を。大切に想っていた、想われていた仲間を。
今では敵と認識して刃を向けているのだから。
『――撃て』と、ムーンショットの内で声がする。
それは過去にクルタで聞いた、ミルクレープの声だったのかもしれない。
あの時と状況はそう変わらない。撃たなければ、自身の身が危ないのだとムーンショットは分かっている。今度はアグニによってではなく、アカホシ自身の手で切り払われてしまう。
分かっている。分かっているのに。
――彼女は銃を構えることができない。あの時は、アカホシ自身ではなくアグニによって打ちのめされたから。きっと今にでも刃を収めてくれると、そんなことはあり得ないのに願っていたから。
「――アカホシッ!!」
「――――ッ」
灰色の空の下。機石の竜を恐れ身を潜めていた鳥たちが、森から一斉に飛び立つ。新たな脅威の存在を、間近に感じて。これから始まる、凄惨な戦いを予感して。
賢明な野生動物たちが去っていく様を、視界の端に認めて。
そんな彼女の身に降ったのは――容赦のない、一太刀だった。
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