おまけ 後半:あの時交わらなかったもの
……無防備な今なら、簡単に殺すことができる。
魔法使いとして、
「ふぅん、
『なるほどねぇ』と呟きながら工房の中を一通り眺めて、彼女はそう言った。そこで自分もうっかり忘れていたことに気が付いた。今の自分は霊体であることに。
「あなた自身がアンデッドとなったのね。世間ではもう、そうなると“魔物”扱い。北西にある大陸では“バアルグロウ”って呼ばれてたけど、あなた知ってた?」
その魔物を前にして、ここまで涼しい顔をしているのはどういうことなのか。命を諦めたような素振りはない。襲われても対処できる自信があるということか。この女の、そういう底知れぬ部分が薄気味悪い。
「……いいや。どう呼ばれているかなど、興味はなかった」
どうやら、自分だけではなかったのだ。
こうして自身の身体を、魔法の力で変異させた魔法使いは。
方法が記されている魔導書が残されている時点で、薄々とはわかっていたことではあった。――が、こうして口に出されてしまうと、途端に自身の価値が落ちたような気がしてしまう。特別な存在ではないのだ、と言われているようで。
沸々とかつて胸の内にあった怒りを思い出そうとしたのだが――
「まぁ、今の私も似たようなものだけどね。誰かにこう言うのは初めてだけど……。――仲間ってやつなのかしら」
――――。
……仲間。仲間と言ったのか。私へと向けて。
あの時は路傍の石と同じように、認識すらされなかった私へ。
枯れ果てた植物が水を吸うかのように、心に瑞々しさが戻ってきた気がした。
なんだ? この感情は。
久しく忘れていた? いいや、こんなものは一度だって。
鎮火されていく。心の火が。胸の奥の火勢が弱まっていく。
嫉妬の炎はどこへいった。怨嗟の熱は何処へ?
思い出せない。思い出し方が分からない。余計な感情が邪魔をする。
これも長い年月、一人でいた弊害か。
「……大丈夫?」
「少し……堪えただけだ。結局私は……何においても、第一人者となることができないと知ってしまったからな」
――嘘ではない。これも本当のことだ。
「この世のありとあらゆるもので、先達というのはいるものよ。存在を知らないだけでね。私よりも凄かったゴゥレム使いだって、きっと星の数ほどいるわ」
目の前にいる天才が、“
「……“特別な何か”になる必要なんて、なかったのかもしれないな」
そんなものは、まやかしだったのかもしれない。
「セルデンだ。この身体になってからは、家の名は捨てた」
「私の名前はもう知ってるのよね。……恩人のあなたにお願いがあるの。殺してやりたい
……まぁ、私に比べれば可愛いものだ。
今まで何人も手にかけてきた自分が、それを
「それについては構わない。阻む気もない。好きにしてくれていい。ただ――」
「……ただ?」
「私のことを恩人だというのなら……一つ頼みがある。私の考えたゴゥレムを、ぜひ君の手で完璧なものとして作り出し、操ってくれないだろうか。恥を忍んで頼む。どうかお願いだ」
この身体になる前も、なった後も、自分の正しさを証明することなど一度もできなかった。途中で誰かの助けがあれば、どうなっていたのだろうか。
――それを確かめたかったのだ。
「……嫌よ」
「なっ……」
その言葉に耳を疑った。断られるとは思っていなかったのだ。どうにかして説得できないかと口を開きかけたが、その後に続く言葉が私を絶句させる。
「誰かの命令に従うなんていやだし、それに――ゴゥレムなんて操れないもの」
目の前にいるのは、確かにココ・ヴェルデで。
彼女といえばゴゥレム、そういう存在だったはずで。
それが、操れないとは? 私を
「そんな馬鹿な……! だって君は天才ゴゥレム使いで――」
「ねぇ、その天才っていうの止めてくれる? 嫌いなのよ、その響きが。少なくとも、この時の私は大嫌いだった。少なくとも、“天才”とは程遠かったから」
この頃とはどういうことだろう。やはり彼女は、ココ・ヴェルデの過去ということだろうか。しかし、本人がそれを自覚しているのも謎だ。――いや、そんなことはどうだっていい!
「幼いころから天性の才を持っていた。誰もがそう信じて疑わなかった!」
「こんな身体じゃ、ゴゥレムなんて満足に操れるわけないでしょう。少なくとも、これから六年は成長しないと。手の長さも、力も全然足りない」
自身の腕をまじまじと眺めながら、忌々しそうに呟く。
「そんなことがあったことすら、微塵も感じさせないような振る舞い。態度。……本人すらすっかり忘れていたんでしょうね。両の手を血豆だらけにして、目に涙を溜めてたような、そんな嫌な思い出なんて」
あぁ、確かに自分にもそんな時期があった。周りの、同年代の者たちが次々と技術を身に着けていくなかで、自分だけが思うようにいかず、ただ負けん気だけで我武者羅に挑戦していた時期が私にもあった。
とても長い期間だった。吐き気がするぐらいに途方もなかった。
「……君にもゴゥレムを操れない時期なんてあったのか」
「当たり前じゃない。生まれた時からなんでもできる人間なんていないわ。だから何度も何度も試行錯誤を繰り返した。より完璧な理論を求めた。必要だと分かっていたから、私は迷わずそうした」
苦しんで苦しんで、苦しみぬいた先に見えてきたものがあったと。
ココ・ヴェルデは静かに言う。私の知らない“何か”を、きっと彼女は見ていた。
……なぜ、彼女だけが? 私がそこに至れなかったのは何故だ?
「君と私は……何が違ったのだろうか」
「やりたいことを続けたか、諦めたか。それ以外は何も違わないわ。そして、そのどちらも間違いだとは言い切れない。だって、たった一つのことだけで、他にもやることは山のようにある。そうでしょう?」
それだけのこと。と言ってしまうのは簡単だ。
しかし、それができるかどうかは天と地ほどの隔たりがある。
結局は“自身がどう在りたいか”なのだろうか。彼女はゴゥレム使いとしての姿を未来の像として、ひたむきに努力をしてきたし、その結果が出たに過ぎない。私の努力が足りなかった。しかし、彼女はそれすらも『間違いとは言い切れない』と言ってくれた。優しさか、別のなにかか。それだけで、少しだけ救われた気がしたのだ。
もっと早くこうすることができていれば、何かが変わっていたのだろう。
全く違う未来が見えていたのだろう。
そこにいる私は……きっと笑えていたのだろうか。
いいや、そんなことを後悔するよりもだ。
彼女に向けて、何かできることがあるだろう。
まだ町にいたころ、ココ・ヴェルデという存在が憎かった。憎くて憎くて仕方がなかった。彼女に直接何かされたというわけでもないのに。彼女の存在が自分の人生に作用していることなど何一つないのに。彼女がいることで、私が不幸になっているとつまらない勘違いをしていた。
何も違わなかった。何も違わなかったのだ。
自分が追っていた“天才”の象徴でさえ、文字通り血の滲むような努力をしていた。違う世界の住人などではなかったのだ。それが分かった今となっては、思い残すことは何もない。
まるで憑き物が落ちたような気分だった。どちらかといえば、自分が憑くような立場だったのに。……まるで笑い話だ。
「なにか私にできることはないか?」
「……殺したい
……願ってもないことだった。
まさか彼女の方から協力を願い出るなんて。
「手伝うさ。手伝わせてくれ。……その、君の殺したいという
そう尋ねた私に向かって、彼女は皮肉気に笑いながら――
「あなたが憎くてたまらなかった、あの女――」
そして、こう言ったのだ。
「――ココ・ヴェルデよ」
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