第百七十話 『温かいものもあったんです!』

 ヒューゴの妖精魔法と、《クラック》の半ば思いつきの活用により、最大の障害ドラゴンを退けた。ハナさんもアリエスたちの活躍により助け出したし、殆ど王手とも言っていい状況。


「――これで終わりだとでも思ったか?」


 しかし、精霊は余裕の表情をしていた。本来ならドラゴンを出す必要もないぐらい、強力な魔法を使えるから? それとも自分たちがまだ魔法学院生だということを見透かされているからだろうか。


「……これが終わりじゃなきゃ、なんだってんだ」

「あまりにも有限に過ぎるな、お前らは。根本からして有り方が違うのだ。この世界の自然は私の生命力に等しい。すなわち――ここら一帯の植物全てが私の力だ」


 なんだ……?


 精霊の姿が少しずつ変わっていく。……成長している?


「壊れるまで戦い続ける人形はもうおらぬ。ヒト風情が舐めるなよ――」


 身体は先程よりも膨らみがはっきりしてきたような気がするし、頭の角も少し大きくなっている気がする。尻尾もこころなしか大きくなっている。


 これがただの見掛け倒しならよかったが……。そうでもないというのが魔力で分かる。森全体が揺れている。気の所為なんかじゃない。それこそまさに、精霊の身体そのもののようだった。


 ここまでくると『余裕がある』というレベルを超えている。今まで戦ってきたものとはスケールが違いすぎる。必死にドラゴンを倒した今の戦いが何だったのかと、脱力してしまいそうだった。


「限界があるのがお前達の悲しき性よ!」


 妖精は自然から生み出された存在だが、精霊は自然そのもの。ヴァレリア先輩の言う通りなのだとしたら、似ているようで大きく違う。――実質、無限に戦えるということじゃないか。


「最初から勝ち目なんて無かった……?」

「せっかくドラゴンを倒したのに――」


「そんなもの、幾らでも出せるわ。一匹の竜の持つ力があの程度だと、本気で思ったのか愚か者め……!」


 そうして先程倒したばかりのものよりも、一回りほど大きな身体のドラゴンが――首を三つに増やして新たに産み落とされた。


 ヒューゴはとうに魔力切れを起こして動けない。自分はまだほんの少し余裕があるが、さっきの炎で右腕に火傷を負っている。アリエスだって、ロアーと共にボロボロだ。


「こんな幕切れなんて、認められませんわ……」


 シエットはヒューゴの魔法を当てるチャンスを作るため、大きな魔法を使っていた。グレナカートもムラサキも、十分過ぎるぐらいに強力してくれていた。


 きっとなんとかなる。希望的観測すら口にできないこの状況。


「こいつで今一度捻り潰すのもいいが、我が直接手を下して――っ!?」


 精霊の言葉を遮ったものがあった。それは誰かの魔法でもない。直接誰かが殴りかかったわけでもない。ただ――ただ一つの小石。掌にすっぽり収まるぐらいの、どこにでもある、何の変哲もないただの石だった。


 誰かがそれを投げつけたのだ。


「…………ハナ?」


 こつんとも音はせず。頭部に当たったところで、身じろぎ一つしない。あれだけの戦闘を無傷でやり過ごしたのだ。ダメージなんてあるわけがない。けれど、投石を試みた者の方を見る目は、驚愕に満ちたもの。


「もっと早く……。あの時にこうしていればよかった……!」


 ハナさんだった。今となっては魔法の主導権を握られ、魔力を吸い取られている様子はないものの、戦う力を削がれた彼女が。精霊に対しては何の殺傷能力も持たない、小石を投げつけていた。


「あの時……?」


「こうしていれば……? いいや、あの時もそうだった。だから妖精たち私たちがお前を守ったんだろう? ずっとそのままでいれば良かったじゃないか。お前を傷つけるような奴らを恐れることはない。お前にはいるだろう。――私たちこそが!」


 あの時というのは、過去にハナさんの住んでいた村であった事件のことか。今のようなことが、村で起きたときのことの話をしているのだろう。 


「私を押し込んで、封じ込めていて何か変わったか? 変わらなかっただろう? 共同体みたいなものだったんだ。意識は掴めずとも、感情は少なからず流れ込んでくる。辛く、悲しく、ジメジメとした暗い感情が。逃げ出したいという心の叫びが!」


「違います! 温かいものもあったんです! 友達ができたんです! 仲間がいるんです!! もう私の仲間を傷つけるのはやめてください!! これ以上傷つけるのなら……私は貴女を絶対に許しません!!」


「――――っ」


 一瞬の空白。


 ――ほころんだ、のか……? 無慈悲に命を奪いに来るような、圧倒的エネルギーの化身のような精霊が、ショックを受けた? そこまでつぶさに観察していたわけじゃないが、ハナさんのことを真正面から見ているのは今が最初――


 どんな表情をしている。

 それは怒りか。悲しみか。……悲しみ?


「その友達が何をしてくれる? 仲間が何をしてくれた? 現にお前は怪我をしている、血を流している。……ずっと傷ついていた、涙を流していた。守られていないじゃないか。前のように私たちといれば――」


「私が欲しいのは庇護ひごなんかじゃないっ!!」


 …………。


 ――ヴァレリア先輩が『言い得て妙だ』と言った意味が分かった気がした。

 ともすれば、あの人は最初からこの精霊の存在に気がついていたのだろうか。

 はっきりとじゃなくても、ぼんやりとでも。


 揺れる。揺れている。

 ハナさんからぶつけられる。言葉の一つ一つで。


「怪我をしたっていいんです! 傷つくのだって平気です! 私が……私は――」


 二人のやり取りはもう、“それ”にしか見えなかった。


「私はもう、守られるほど弱くはありません! 戦おうと思ったんです、分かってください! ここではテイルさんが、アリエスさんが、ヒューゴさんが、私を同等に扱って、頼ってくれたんです! これからの私は――みんなを守るために強くなるんです!!」


 親子喧嘩にしか見えない。なんだろう、さっきまで命がけの戦いをしていたのに。なんで俺たちを殺そうとしていた奴が、娘に反抗された“母親“のような表情をしているんだ。あれだけ『有り方が違う』と言っておいて、どうして――


 ふわりふわりと宙を浮いていたのが、ゆっくりと高度を下ろして。そうして地面に足を付ける。言われたことを反芻しているのか、ショックを受けつつもハナさんの方へと歩を進めていく。


「……だから……私は不要だと?」

「そんなことは言っていません! 貴女が邪魔だとか、貴女のせいでだとか。そんなこと、生まれて一度も考えたことはありません」


 ハナさんの中では最初は『あの子』と呼んでいたし、それは単純に妖精も精霊も同じように考えていただけなんだろうけど。精霊から見れば、ただ一方的に“子”としてしか見ていなかった存在だ。手を振りほどかれるのは、どれだけ痛みを感じることなんだろう。


 それは、俺が親父との縁を切った時と同じ種類のものか。……いや、比べられるものじゃない。俺とハナさんじゃ、比べ物にならないぐらいの違いがある。


「――ただ、手伝って欲しい。私自身の手で、自分の居場所を作れるように。今だって、少しずつだけれど……私の周りにいてくれる人ができた。だから……」


 こういう自分の中の大きすぎる力に対して、こうも優しく手を差し伸べられる。

 それがハナさんだった。自身の過去も相手の過去も受け入れて。


 繋いだ手こそが、ハナさんの力。


「貴女も……私の仲間でいてください……!」

「ハナ…………」


 抱き合う二人。


 それに合わせたかのような、絶妙なタイミングで降り注ぐ声。

 ――学園長の、訓練終了を告げるアナウンス。


『サバイバル訓練、終了ー!』


 終わりは実に呆気ないもんだ。全員がその場に座り込んだ。全員が疲労困憊、立っているのもやっとだった。ルナにいたっては、ようやく今になってシエットから魔力を供給されたらしい。地面に頭を擦り付ける勢いで、謝っている。


「終わっ……た……? やったー!!」

「目標どおり、全員残って合格できたな! テイル!」


「あぁ……なんとかな……」


 ばらばらと音を立てて崩れていく三頭のドラゴン。これで本当の本当に訓練の終わり。想定外の戦闘が二度、三度。こんなものが、実際にあってたまるかよ。


 ……まぁ、精霊との戦闘なんて、したくてもできるもんじゃないし。そういう意味では、とても貴重な訓練だったんだろうけど。それも結果論。


「あれって結局……親子喧嘩みたいなものなのかな」

「……どこも事情を抱えてんだろ。珍しくないさ」


 ウチのが特殊な例だから、下手なことが言えず。当たり障りのないこちらの言葉に、アリエスは『……そだね』とだけ返した。


『あれ、先輩たちは』とあたりを見回すと、手を振りながら木々の間に消えていくのが見えた。二人――というか、実質ヴァレリア先輩がミル姉さんを担いで帰るのか。なんでだ。行きは魔法で来たって言ってたのに。……まぁいいか。


『生き残った全員、お疲れ様! 直ぐにこっちへ呼び戻すからね!』


 ぐるりと足元に広がる黒い渦。

 抵抗する力が残っているやつなんて、一人も残ってやしなかった。

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