おまけ ~ハナ過去話(中編):逃げた先の居場所はどこに~
――深い、深い、森の奥。
このあたりは、昼の間もお日様の光がなかなか入らなくって。いまの時間帯――夜ともなれば、ほとんど真っ暗に近い状態です。私は普段からお庭のように通っていたので、迷うこともありませんが――そうでない村の人が追ってくることは……まず無いはず。
ここなら、私しか知らない場所もある。私にしか入れない場所もある。
……誰にも会わないように、誰とも接しないようにするには、この森の中にいるのが一番。ここにいればいい。ずっとここに。誰も傷つかずに済む。……誰も傷つけずに済む。そう、私が我慢をすれば……これ以上ひどいことにはならないはず。
もう……誰も死なずに済むはず。
村の人を殺してしまった妖精さんの姿はない。
……いつもお話をしてくれる妖精さんたちもいない。
「これから……、どうやって生きていきましょう……」
森の中でも、しばらくは食べ物には困らないでしょうけど……。
果実を付けた樹木のある場所も分かってます。食べられる野草も、探せば
食べ物を探すのに集中し過ぎて、森から出ないように気をつけないと。
私を見つけることができなければ、きっといつかは諦めてくれるはず。
……とりあえず、今日はもう疲れました。
夕食の前だったからお腹はぺこぺこだけれど、ご飯は明日にします。
「このあたりには確か……――あ、ありましたありました」
地面に直接横になると土
自分という存在の、ちっぽけさを感じながら。
――その夜は、静かに眠りに就いたのでした。
「う、ううん……?」
すっきりと寝覚めの良い朝。どこかで小鳥の囀りが聞こえて。朝日が枝葉の隙間を縫って、辺りを照らしていました。新芽がキラキラと輝いていて綺麗です。そして――その風景の中に、懐かしい姿が。
「妖精さん……! おはようございます! どこに行ってたんですか?」
「――――」
目の前の小さな葉っぱに、小さな赤い果実が何個も置かれていました。
よく食べていた、私の好きな美味しい果実。
「これを……わたしの為に?」
ふわふわこくこくと頷く妖精さん。『ありがとうございます』とこちらも頭を下げて、果実を一つ摘み上げた。舌に乗せて、お口の中へ。奥歯で噛み潰すと、すっぱい味が口の中に広がる。そしてほのかに甘い後味。中に小さな粒粒のタネがあって、ぷちぷちとした食感がなんともいえません。
「――ありがとうございます。美味しかったですよ」
全部いただいたあとで、もう一度お礼を言う。妖精さんはふわふわと嬉しそうに左右に揺れて。私の心の中も、少しだけ温かくなった気がして。やっぱり皆さん、とても優しいです。
これまでも生活に役立つことを教えてくれた。今だって、困った私を助けようとしてくれる。私を仲間だと思ってくれるのは、やっぱり彼らだけ。
結局その日の食事は、ちびちびと果実を
静かに過ごした。野生の草食動物は身を隠すのが上手。自らの気配を消すのも上手いし、誰かの気配に対しても鋭い。私もできるだけ真似しようと思いました。
とはいえ、夕方までずっと外を歩いていれば汗だくです。服は仕方ないとはいえ、身体もべとべととしてきます。ここは森の中、お風呂だなんて贅沢は言えません。とはいえ、この森の中にも川が通っていたはず――
「たしか、ここからそう遠くはないと思うのですけれど……」
生きていくのに必要な水分も、果実からだけではいつかは限界がきてしまう。そう考えた私は、飲み水のことも考えて川へと向かいました。
そうして辿り着いたのは、森の皆の憩いの場。様々な動物たちが、飲み水を求めて集まっていたのでした。
…………。
妖精さんたちとは違って、少し警戒されています。彼らからしたら、私も危険を
少しだけぶるると
一通り喉を潤したあとは、邪魔にならないように下流へと降りて身体を拭きました。――もともとの暮らしと、そう変わりはありません。
少し不便になっただけ。でも、それだけ。
……生きていけないわけじゃない。
「村の人たちは……どうしているんでしょうか」
森の中に、闇の帳が落ちて。昼から夜になったら、今度は月の明かりが辺りを照らします。ほんの少しだけ見える夜空には、真ん丸お月様と点々とした星々の瞬き。溜め息と共に出てきたのは、村の人への心配。
私の意思ではないとはいえ、殺してしまったサンデュさん……。村のまとめ役だったのに……私が……。あの場から直ぐに逃げ出してしまったけれど、他の人も同じような目に遭っていないとも限らない。
……だって、“あの子”の姿をあれから見ていないのだから。
「……妖精さん?」
「――――」
私の呟きが聞こえたのか、いつの間にかふわふわと私の傍を飛んでいた妖精さん。話を聞いてみると――今日は森の外にいる住人たちの様子を、みんなで眺めていたらしいです。
「――――」
「そうですか……」
……誰も怖がって森に近づかない、とのこと。仕方ないです。私だって、私の身を守ってくれたものだとはいえ、あの時のことは怖くてたまりません。そう……ですか。それでいいです。きっと私にも近づきたくないはず。ずっとこのまま、私がここにいればいい。
がらりと変わった私の人生。
――いや、最初からこうなることは決まっていたのかも。
そうして何日も、何日も細々と過ごしていた。
果実や野草だけでもお腹は膨らむ。妖精さんの協力のおかげだった。
誰かの顔色を窺うこともなく。森の一員として、様々な植物に詳しくなりながら。なんだか、こっちの生き方の方が私には合っているのか。清々しい気分さえしてくる。けれど――いつだって悪いことは突然にやってくる。
「あ、あれ……?」
――眩暈。身体に力が入らない。もしかして病気にでもかかったのかしら。なんだか思考もぼんやりとして。自分の身体に何が起きているのか、よく分からない。昨日食べたのは何でしたっけ。果実と野草と……。
その前の日も、その前の日も、果実と野草。――それだけでは、身体の機能を十分に維持するだけの栄養が摂れないのは明らかだった。分かってはいたんです。いつかはこうなるかもしれないと。それでも見ないふりをしていた。
その日は、少し休んで動けるようになったけど……。これまでに比べると、ずっと行動範囲が狭くなった。次の日も同じ。お日様が昇っても直ぐには動けない。酷い日には、一日中寝たきりの時もありました。
私がぐったりとしている間も、妖精さんたちは食べ物を持ってきてくれて。空腹に苦しむことだけはありませんでした。それに森に入ってから今まで。森の中にいるかもしれないという魔物にも、一度も遭遇していません。それだって、妖精さんが私の知らないところで守ってくれていたのかも。――それが半分正解で、半分間違いだったことを知ったのは、次の日のことでした。
――目を覚まして一番に目に入ったのは、鮮やかな赤色。
茶色い毛皮から覗かせたそれは――
「ひっ……!」
動物の死体。息をしていない。一緒に川で水を飲んだ、あの動物たちのリーダーの死体だった。魔物に襲われたのか、脇腹に深い傷がある。可哀想に、痛かったでしょう……。あんなに優しい目をしていたのに。もうその瞼は
なんで、どうして。
とても悲しくて。悲しくて。
妖精さんにどうにかして治せないかと相談しても、ふるふると首を振るだけ。
自然の摂理は厳しいもの。森の中は弱肉強食。弱いものから死んでいき、強気ものの糧となる。そんなことは分かっているつもりでした。それでも……悲しい。どうしてこんなに、悲しいことが起きてしまうんだろう。
それよりも……。なぜ妖精さんは私の元にこの子を……?
首を傾げながら穴を掘り、丁寧に埋葬します。
けれどそんなおかしな出来事は――何日も続けて起こるのでした。
毎朝、大小様々な動物が枕元に置かれていて。その度に私は穴を掘って埋める。祈りながら、汗と涙を流して埋める。死後の世界でも、健やかにいられるように。
くぅぅぅ………。
――そして、体力を消費するとお腹が空いてしまう。目の前にあるのも、今となっては食材のようなもの。そう考えた瞬間、恐ろしい気付きと共に後悔が溢れてきた。
「――ご、ごめんなさい……」
これは――妖精たちが私の為に用意しているのだ。
最初の子は魔物の犠牲になったのが明白でしたけど……。他の子まではそうとは限らない。そのことに気づいてしまったのです。ここでも、私がいることで傷つくものがいるのかもしれない。そのことが、とても重たく伸し掛かってきます。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
お腹がいくら空いていても、私はこの子たちを食べることはない。食べられない。手を伸ばそうとしただけで、途端に気分が悪くなってしまう。村の中にいたときには、ここまで拒否反応が出ることもなかったのに。
「すいません、妖精さん……。私……食べられないみたいです」
「――――」
妖精さんはがっかりしたように
私のためを思ってしてくれたことだから、責めることはできません。
せめて森にいる動物たちを、私に食べさせようとしないで。そう伝えると、分かってくれたのですけど。――それは、食料としてわざわざ傷つけないという意味で。私のことを襲いにきた魔物は、また別の話。……悲しいことに。
じゃあどうすればいいの? 襲われないようにするには……。
――――。
「高い……けど……」
――頑張って樹の上に登りましたが、やっぱり怖いです。落ちたら痛いし、怪我をしてしまうかも……。幹にすがって、落ちてしまわないように。蔦を自分の身体と、近くの枝に巻きつけて眠ることにします。
……うとうととして、眠りに落ちて。無意識に、しっかりと蔦を握っているのが癖になっていました。離したらまた、自分ではない誰かが傷つくのが怖いから。
そんな夜を何度も越えると、生きていること自体が怖いものに思えてくる。
世界は暗く。重く。そして冷たい。まるで真っ黒な泥のよう。
このまま私が生きていくことが正しいのか、どうなのか。
答えの出ない問いが、頭の中をぐるぐると回り続けて。
「やぁ、何やらただならぬ気配がすると思えば――」
――そんな私の目の前に、突然に誰かが現れました。
「誰ですか……!?」
「僕は……ヨシュアという。とある学園の学園長をしていてね」
その学園長さんが、なぜ私の目の前に現れたのだろう。そう訪ねようとした瞬間に、また新しい人影が現れて。今度は……小さな“あの子”でした。とても力の強い、危険な妖精さん――。
「――この子になんの用がある。早々に立ち去れ」
「お願いです……私に構わないでください」
……このままでは、この人の命まで危ない。既に彼女だって敵意を見せている。だというのに、彼はそんなことを全く意に返していない様子で。
「いやいや、“精霊”に好かれるだなんてね。君は特別な“何か”を持っているようだ」
「精霊……?」
それは初めて聞く言葉でした。妖精のようで、また別格の響きを持っていました。首を傾げる私に説明もせず、彼はこちらへと手を伸ばしてきます。信じられないことに、隣にいる彼女を無視して――
「どうかな。是非とも僕に、君の居場所を――」
「――去ね!!」
『危ないっ』と声を出す暇もありませんでした。彼女がここまで躊躇なく、危害を加えようとするとは思ってもいなかったから。けれども、それすらも
「馬鹿な……!」
「――これぐらいなら、気にすることもないだろうと思ってね。見たまえ。彼女の魔法は僕には届かないようだよ」
魔法――手足のように動かしていた蔦が、ピクリとも動かない。それどころか、それを操っている彼女も、まったく身動きが取れないでいるようだった。
「分かっていないのかな。君の存在が、彼女を一番苦しめていることに」
「五月蝿い……! 貴様はいったい……何者だ……!」
信じられないことが起きていると目を見開いて。彼女がそう問いかけるけれど、学園長と名乗った彼は楽しそうに指を鳴らす。すると、みるみるうちに“精霊”の彼女の身体が薄れていき、苦悶の声を上げながら姿を消してしまったのでした。
「さっきも言っただろうに、とある学園の学園長と。――まぁ、付け加えるなら“魔法使い”であることぐらいかな。とびきり優秀な、だけどね」
いったい何が起きたのだろう。起きているのだろう。
突然のことの応酬で、頭が追いついていかず。
耳にしたばかりの言葉を、そのまま尋ねることしかできません。
「魔法使い……?」
「そうさ。君も何度か目にしているはずだよ、魔法の数々を」
聞けば、妖精さんたちの使っていたような不思議な力の総称らしく。私がみたもの以外にも沢山の種類の魔法があるそうでした。
「君の恐れている力を制御するための魔法もある。……どうかな。もう一度、今度はちゃんと言わせてもらおう。――君を、僕の学園に招待したいんだ。君はいつか彼女が起き出すまでに、力を付ける必要がある。そのための施設だと思ってくれていい」
「あの……起き出すって……? “精霊“”は消えたんじゃないんですか?」
確かに今、目の前で消えていったはず。だけれど、“学園長”は笑顔を崩さずふるふると首を振ります。残念だけれど、不正解だよ。と、まるで先生であるかのように。
「消えないさ。妖精と似たような存在ではあるが、彼女たち精霊は自然のエネルギーそのものだ。森に生ける全てのものの母とも言える存在――この世界に自然がある限り、彼女が本当の意味で消えることは無い。今は君の中で眠っているだけさ」
それはいつになるのかは分からない。早ければ一年もしないうちに起きるかもしれないし。長ければ永遠にこのままかもしれない。と、私の胸元を指して言います。……私の中に、彼女がいる。私の感情の動きで、どうとでも変わるとも。
彼女がまた起き出した時に、私が何も変わっていなければ……? 弱い私のままだったら……? そんな不安が次から次へと口を突いて飛び出していく。そんな私に対して学園長は、何度も魔法を使って眠らせ続けることは可能――だけれど、それは決して正しい選択とは言えないと諭してきます。
「学園には――君とは少し違うが――同じように魔法を極めようとせん者たちが多く集まっている。もちろん、妖精と話せる者もいる。君と同年代の子が殆どさ。もしかしたら、友達だってできるかもしれない。いつか学園の外で、旅をする仲間だってできるかもしれない。第二の人生を……歩みたくはないかい?」
こんな私に……友達が?
そんなこと、一度も考えたことがなかった。
両親が死んでからは、そんな余裕を持つことができなかったから。
「誰かを傷つける恐怖に怯えるのは仕方のないことだ。しかしそれは、“優しさ”と呼ぶことを僕は知っている。君の優しさが大きく育ち、いかなる困難も乗り越えるができると、僕は信じているよ」
そう言って、再びこちらに手を伸ばされて。
私はその手を取るべきか、迷っていました。
「そこが君の、新しい居場所にならんことを」
“居場所”――それは私が一番欲していたものだったのでしょう。村に一人で住んでいたときから、自分の居場所を作るのに必死になっていた気がします。その言葉に後押しをされて、私はついにその手を取ったのでした。
「……わかりました。よろしく……お願いします」
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