第百六十五話 『その驚異的な“伸びしろ”っ!』

 ――これで終わりか? なんて、そんなわけがない。


 たとえ『やればできンじゃねェか』という言葉が、称賛からきたものだったのだとしても。ミル姉さんのことだから、これで終わりにしてくれる筈がない。どうせ『もっと楽しめそう』ぐらいの意味合いでしかないのだ。


「グレナカートとはまた違って、面白い奴だよお前はァ!!」


 ほらぁ! 凄い嬉しそうじゃねぇかっ!


 こちらに標的が移ったのはいいことだ。グレナカートを完全に戦闘不能にさせられたら、いよいよ全滅してしまいかねないから。けれども、依然として危機的状況なのは変わらない。


「その驚異的な“伸びしろ”っ! いいぞ、テイル・ブロンクス――!」


 こちらへと振るわれ、突き出される五本のやいば。この目で繰り出されるのを確認してから避ける。後手に回ってなお、余裕を持って対処できる。


 とはいっても、左腕一本だからか。万全の状態だったらこうはいかない。


「見ていて飽きないっつーのは良いことだ。常に変化して、周りを引っ張っていくだけの、“何か”があるってことに他ならねェ」

「……カチカチと爪を鳴らすのを止めてくださいっ」


 嬉しそうで嬉しそうで。瞳を輝かせて襲ってくる、その狂戦士っぷりが尋常じゃない。こちらとしてはいい迷惑なんだっての……!


 幾つもの軌道を描きながら奔り抜ける刃を、ひたすらに躱していく。未だにこちらには、一筋の傷すらつけられていなかった。あのミル姉さんと戦っているのに、だ。


「……これなら、もしかすると――」


 ……いけるんじゃないか? 相手の攻撃が当たらないのなら、それこそ一方的にこちらから仕掛けられる。ミル姉さんが言ってたよな。俺の生まれは、この亜人デミグランデの身体は幸運なんだって――。


『戦闘という一瞬の判断が明暗を分ける状況では、持てる選択肢が圧倒的に違うんだぜ? 攻撃か防御か回避か逃走か――よりどりみどりだ』


「俺の早さが……ミル姉さんにも通用する……!」


 ――と思いきや、ミル姉さんの爪が耳を掠めた。


「――うぉっ!? 言った傍からかよ……!」


 反撃を受けないよう、接近して攻撃を加えて即時離脱。自分のように機動力を活かして戦うには最適の、ヒット&アウェイ戦法で攻めようとした矢先だった。


 ……成長はしているんだけども、まだ完璧じゃない。こちらから仕掛けようとすると、動きが甘くなってしまう。その一瞬の隙を突いてくるミル姉さんの技量が、異常なだけなんだろうけど。


 それでも、時間を稼いでいただけの成果はあったようで――


「……チッ。そうこうしている間に、一人戻ってきやがった」


 …………っ。


 静かな風が、直ぐ真横を通り抜けた。

 白く長い髪の毛が、まるで彗星の尾のようになびいて。

 大きく揺れたのは、腰に携えた刀剣の鞘。


「ムラサキ……!」


 何かの花の匂いがふわりと香ったかと思えば、次の瞬間には数多の火花が散る。


 その剣閃は、ミル姉さんに十分ついていける速度で。負傷していてもなお、驚異的な身体能力を見せつける。グレナカートのときとはまた違った連携で、右腕を失ったままのミル姉さんを押し始めていた。


「――――」


 なにか事情があって言葉を話すことができないのは知っていた。非常に連携しにくいのは分かるが、心強いことは確かだ。


 回避に関しては神経を張り詰めているから反応できるが、攻撃に関してはまだ甘い。そのことを共闘していて痛感する。


「――はァ、そうかよ。そんじゃあ、ちっとばかし戦い方を変えるか」

「爪を収めた――?」


 左手が普通の手へと戻されていた。今は戦闘中だぞ。


「人様には便利な便利な、“指”ってもんがあんだろうがよォ」


 ワキワキと指を動かして。この状況で刃を収めることになんの意味があるのだろうか。――そう思った次の瞬間だった。これまで通りのヒット&アウェイ、通らないかもしれない攻撃を放ち、向こうに捕捉される前に回避に入ろうとした。


「――っ!?」


 ガクンと、衝撃とともに身体が引き止められた。


「服を……!」

「掴むにはこっちの方が適してるからなァ」


 ――そのまま、力任せにあっちへこっちへ振るわれる。揺れる視界。もがけど自由の効かない身体。地面に叩きつけられるかと思ったのだが、そうじゃない。


「ひぃっ!?」

「…………っ」


 びたりと視界の揺れが止まったかと思ったら、眼前にムラサキの刃が近づいていた。刀の盾として使われて。構わず切り捨てるような薄情なヒトではなかったことに感謝したい。もう足を向けて寝られねぇな!


 ――と、ミル姉さんの暴挙はそれだけには終わらなくて。


「投げっ――!? うわぁっ!」


 木々の密集する中を、思いっきりにぶん投げられて。『猫化した方がよかったか』と頭を過ぎったのは、背中になにか柔らかいものが当たってからだった。


 ムラサキにぶつけられ、二人で体勢を崩してしまった。

 ……しまった、と思ってもあとの祭り。


「ムラサキっ!!」


 起き上がった直後だった。光弾が自分を掠め、そばにいたムラサキに直撃したのは。とっさに防御をしたからか、最初から少し威力を抑えられていたのか――。


 ふっ飛ばされ、樹の幹に叩きつけられ。悲鳴も上げずに、ぐったりとするムラサキ。血は出ていないから、致命傷ではないだろうけど……!


「ほぅら、仲間の援護も届かねェぞ!!」

「地形を活かした戦い方ならっ――!」


 いいように盾として使われて。彼女の負傷は俺のミスだ。


 木々の間を飛び渡りながらの戦闘は亜人デミグランデの――黒猫の敏捷性ならでは。ホームグラウンドと言えるべきこの場所で、なんとか勝機を掴んでやる。


 ――いける。身の回りの全てがゆっくりに見える。

 幹が揺れ、葉が落ちるのも、何もかも。


 ゆるやかな流れの中で、唯一激流のようにミル姉さんの攻撃が襲ってくる。それでも、この環境ならば回避できないレベルじゃない。


「上下左右にちょこまかと――」


 唸りを上げて魔力の弾が吐き出される。標準はこちらを常に追い続けている。これも本来なら掠るぐらいはしていただろうけど、今は違う。銃口を見ていれば回避できる。


 あとは攻撃だ。このままじゃ、ミル姉さんは止まらない。一撃では駄目でも、なんでも同じ場所を攻撃し続ければ――。いつか壊れたり……するよな?


「あまァい!! テメェは縦横無尽に飛び回ってるつもりだろうが――範囲が狭くなってんだよォ!! こんなもの、予測すりゃあ――」

「っ!!」


 ――と、そんな希望を持つ前に、腹部から衝撃が走った。


 切れ味鋭く、触れただけで対象を切り刻む爪。

 爪よりも自在に動き、自らの間合いから逃がさない五指。

 そして、遠距離をカバーするには十分過ぎるほどの魔力砲。


 幾度も驚異を印象付けられていたからか。手にしか注意がいってなかった。それは認めざるを得ないかもしれない。だから――


「足――!?」


 ここで蹴りが飛んでくるだなんて思いもしなかった。


「ダァレが手しか使わねェって言ったんだ、あ゛ぁ゛? 使えるもんはなんでも使う。今までが、そうしなくても十分だっただけの話だ!」


 空中に投げ出され、息をつく間もない。

 ガラリと変わる戦闘スタイル。

 片腕でなんでそこまで動けるんだ!?


 ――枝だ、枝を掴め。


「テメェの専売特許を奪って悪いな」

「早――」


 まるで自分のように、木々を蹴って一気に跳躍してきた。見てから反応するにも、間が無く、距離が無い。爪よりも遥かにリーチの長いその足を――俺は避けることができない。


「――まぁ、か」

「ぐっ――!?」


 とっさに両腕で庇ったが、あまりにもマトモに受けすぎた。


 速さスピードとは、すなわち重さ。それにパワーが合わさって。鉄の棒で殴られたような衝撃が、骨の髄までダイレクトに襲ってくる。ミシミシと痛む。腕を折られないように、とっさに後ろに飛ぶのが限界だった。


 自分の身体があまりにも軽すぎる。超人的なパワーによってふっ飛ばされて痛感する。自分の取り柄である速さを犠牲にできない。これでいいと分かっていても、あまりにも脆い。背後にあった木に激突し、肺の中の空気が全部吐き出されてしまったような錯覚を味わう。


「が………かはっ……」


 ……落ち着け。落ち着けば息はできる。パニックになるのが一番マズい。

 ピンチでも冷静に。ゆっくりと――息を吸うんだ。


「――はぁっ……! ハァ……。ハァ……!」


 どちらにしろ、暴走して出力が桁違いになっているミル姉さんに、まともに攻撃することができないのだ。蹴りを受けてしまったから分かる。――勝ち目がない。痺れた腕ではどうすることも――


「さァて、あと二人ィ――!」

「――飛んだっ!?」


 なんと足元から魔力を噴き出しながら飛んでいるではないか。いったい何万馬力なんだよ!? もうなんでもありだな、機石人形グランディール……!


 飛んでいるから大丈夫、だなんてのはミル姉さんの前には通用しない。


 二人が乗っているロアーを、凄い勢いで追いかけていく。空中戦でのチェイス追いかけっこが始まった。流石に地上での機動力には劣るが、それでもまだ自在に動けている方だ。


 ――このままじゃあ、アリエスとハナさんが……!


「あ゛ァ……?」


 ――何かがおかしい。いったい何が起きている?


 空中にいるミル姉さんの動きが徐々に鈍っていく。学園長がミル姉さんを止めた時のような、――時を止める魔法なんかじゃない。足元から噴出し続けている魔力の、その出力は変わっていない。


「どうなってんだこりゃあ……」


 徐々に、徐々に速度が落ちて。

 それはやがて、ゼロになった。


 ミル姉さんの魔力よりも強固な力で、その場に縛り付けているよう。

 何が起きているのか分からず、戸惑う中で――


「――かかった!」


【知識の樹】の仕掛け人トリックスター

 アリエスが大きくガッツポーズをした。

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