第百三十九話 『ちょっと本腰を入れて』

「――水だ! 水をくれ!」

「うわ、酒臭っ!? 試験だったんじゃないの!?」


 部屋の中にはアリエスとヴァレリア先輩だけ。どうやら、妖精魔法科の二人はまだ来ていないらしい。……とにかく、誰か居てくれてよかった。少なくとも、酒に溺れてぶっ倒れたまま放置される心配は無くなった。


 酒臭さに鼻を摘むアリエスに、ニマニマとしてこちらを眺める先輩。

 頼むから。どっちでもいいから、すぐに水を用意してくれ。


「あっはっは。間に合わないと考えて、とうとうヤケになったかぁ」

「なってねぇ!」


 あんまり声を出すと気分が悪くなってきそうだけども。素行が悪い奴だと誤解されるのも、それはそれで気分が悪い。なんだかんだで、真面目にやってんだけど。


「別に学園を退学になったって……この部屋の隅っこにだったら、ひっそり住んでいてもいいんだからな」

ちっがぁうっ!」


 いい加減にしてくれ! 哀れみの籠もった目でこっちを見るな!


「別に試験がダメになったわけでも、どうでもよくなったわけでもないからな! 試験中に、先生に酒をぶっかけられただけだよ!」


「先生に酒を……?」

「んふふ……。あの先生ならやりかねないなぁ……」


 窓から中庭に飛び出す。

 室内で水浴びをするほどワイルドじゃないし。


「はい、水」

「助かる。……できればあと何杯か貰えるか」


 水がなみなみと入ったバケツを、アリエスから受け取って。それをそのまま頭から勢いよく被った。身体についた酒をざっくりと洗い流さないとな。やっと酒の匂いから開放されつつあった。


「はい次」

「おう」


 ――二杯、三杯。次から次へと。まるで行水だった。

 猫の亜人だけれども、水浴びはそれほど嫌いじゃない。

 ……やっぱり身体が汚いと不快感があるし。


「――――」


 素っ裸になるわけにはいかないので、服を来たままで水浴びをして。あらかた洗い流したあとは、乾かさないといけない。――ここで身体を変化させることのできる亜人ならではの便利な方法がある。


「あれ、猫になっちゃった」


  ざばざばと水を浴び、意識がはっきりしてきたところで猫の姿になって。ブルブルと全身を振るったのだけれど……水気が全然飛ばなかった。


「あれ……」


 そういや猫はこうしないんだっけ。ああやって水気を飛ばすのは犬だけか。全身がぐっしょりと、自慢の毛並みをだらだらにして、途方に暮れかけていた時――先輩の妖精がこちらへふわふわと飛んできた。


「何やってんだ。ちゃんと乾かしておかないと風邪ひくぞ?」


 ぐるぐる、ぐるぐる。まるで自分が台風の目の中にいるかのように。

 温かい風が回り回って吹き付けてくる。まさに天然のドライヤー。


 え、なに。このいかにも『魔法の世界!』みたいなの。

 もっと早くから味わうべきことだったんじゃないか?


 ホカホカでふかふかの、さっぱりとした状態で室内へと戻ったところで――


「あの……ヒューゴさん……」

「あ、やっと来たんだ」


 ハナさんの声と共に扉が開く。

 どうやら妖精魔法科ウィスパーの方の試験も終わったらしい。


「そんなに気を落とさないで……」

「終わっ……た……」


 案の定と言うべきか。部屋に入ってきたヒューゴは、普段の赤みがかった肌が嘘のような青い顔をしていた。


「(あ、ダメだったんだ)」

「(そりゃそうだろ)」

「(馬鹿だけど面白いなぁ、ヒューゴも)」


 一瞬で交わされたアイコンタクト。満場一致だった。


「で! で! どうだったの?」

「私は合格だったんですけど……ヒューゴさんが……」


 完全に意気消沈。弾ける火花のような明るさはどこへやら。むしろなんで一瞬も勉強しないであんなに自信があったのか。逆に怖いぐらいだったぞ、あの時は。


「わ、悪い夢だ……俺は悪い夢を見てるんだ……」

「数日間はみっちり補習があるそうです……」


 ハナさんは何も悪くないのに、ヒューゴに合わせて凹んでいた。ぜんぜん気にする必要ないんだぞ! むしろ皆で馬鹿に……するのも流石に可哀想過ぎるか。はっきりと笑い飛ばせるのも、この中ではヴァレリア先輩ぐらいだった。


「ま、当然の報いというべきか……」

「完全に自業自得だなぁ、あっはっはっは!」






「――今日は図書室にでも行ってみるか」


 新生された【真実の羽根】の面子と顔を合わせながら、あれこれと調べ物をするのもしゃくだし。そもそもがこちらの動きを詮索されるのが嫌いだし。どうせなら、どうだと突然見せつけてやったほうがスカッとするだろうし。


「何もしてない奴らに笑われることほど腹が立つこともないからな……――ん?」


 そこにあったのは――机にかじりついて、目を血走らせてなにやら熱心に本を読んでいるクロエの姿。わりと必死な様子で……いったいなにがあったのだろうか。


「クロエ……?」


「ん……。何か用かしら」

「俺も調べ物だよ。珍しいな、そこまで焦ってるなんて」


 この時期で、わざわざ図書室にまで来て……勉強?


 あれ、なんだか心当たりがあるぞ。

 そんな奴をつい最近、というか先程まで見ていた気がする。


「もしかしてお前も試験の結果が……?」

「そんなわけないでしょ!!」


「わ、悪い……」


 ギラリと口元に牙を覗かせて威嚇された。あまりの迫力だったので、思わず素直に謝ってしまった。どうやら、学力には自信がある方らしい。


「――《特待生》は試験なんて無いわよ」


 なんだよそれ、羨ましいなぁっ!!


「ちょっと、ゴゥレムに使おうと思っていた材料の方に問題がね……」


 勉強については何も心配することがない代わりに、今の力を入れているゴゥレム制作の方が難航している様だった。クロエの持っている本のタイトルを見せてもらうと、そこには見慣れないものの名前。


「月鳴石……?」


 どうやら鉱石の一種らしい。名前からして、月に関係のある石らしいけど……。


「材料の一つとして手元に置いてあったんだけどね。“赤い月”の影響なのか、全部ダメになっちゃったのよ。加工を後回しにしていたのが迂闊だったわ……」


 カリッと長い爪を噛む。どうやら余程、後悔しているらしかった。

 その悔しさを隠すためなのか、気持ちを切り替えようとしているのか。

 クロエは持っていた本をパタンと閉じて、席を立つ。


「まぁ、どうせそこまで完成を急いでるわけじゃないし。来年また用意すればいいだけよ。新しいのを取りに行くっていったって、大半は同じ様にダメになってるだろうしね。こればっかりはお手上げよ」


「はぁ……」


 肩を落として去っていくクロエの背中を見て、なにか手はないかと考えた結果――






「――――」


 【知識の樹】に戻ると、ヴァレリア先輩の姿はなく。ヒューゴがアリエスとハナさんに挟まれて勉強していた。世の男子が羨む状況になってるぞ、今のお前……!


「す、すまないお前ら……。ちょっと手伝って欲しいことがあるんだが」

「お、俺は無理だぞ……」


 まさに両手に花というやつか。本人はそれどころじゃないみたいだけど。


 ハナさんは優しく、アリエスは厳しく。

 ……そのスパナみたいな工具は、何に使うつもりなんだろうな?


「……ヒューゴはそのまま勉強してていいぞ」

「別に私達は大丈夫だけど、わざわざ改まっちゃってなに?」


 ――ざっくりとロランたちとの出来事を話す。


「ルルル先輩が残したネタだとか、そのまま風化させるんじゃなくてさ。ちゃんと供養してやりたい思いもあるんだ。そこから、先輩の凄さを分かってもらえりゃあそれでいい」


 なんだかんだいって、既に七不思議のうちの三つを埋めることができたわけで。今の新人たちには、先輩が遺したものの凄さを知ってほしい。


「過去に飛ぶ噴水……。ちょっと本腰を入れて調べてみるぞ」


「それって……学園の七不思議の?」

「確かに候補に入っていたのを憶えてます……」


 過去に戻るだなんて、本当にあれば凄いなんてものじゃない。現実で考えればただの夢物語だったとしても、魔法の世界ならそれぐらいあってもおかしくはない。完全にガセのネタなんて、一つも無かったんだから。これだって真面目に調べてみれば、面白い話の一つや二つでも出てくるに違いないと思った。


「過去に……?」


 なにかに気づいたような顔をして立ち上がったのは、さっきまで死にかけていたヒューゴだった。死んでいた瞳に光が宿っていく。……というか、そこまで勉強がキツかったのか?


「ということは……試験の日の前にも戻れるってことだよな!?」


 全員が『あぁ……』と声に出さないまでも考えていただろう。

 なるほどそう来たか……。

 お前のために調べるんじゃないんだぞ、と言うべきか否か。


「え……。私、また試験を受けるの嫌なんだけど……」

「まだ本当にあるとは限らないですし」


 苦笑する女子陣は気にも留めず。勉強をしなくて済むのなら、なんでもするぞと言わんばかりにテンションの上がるヒューゴ。いくらなんでも現金過ぎる。なにも成果が得られなかった場合、地獄の補習が更に辛くなる。……なんてこと、考えちゃあいないだろうなぁ。


「おっしゃあ! まだ終わっちゃあいないってことだよな!?」


 すでに終わっていたんだけどな。完全に終わってたんだけどな。

 ここからまだ逆転の目があると知ったこいつの爆発力は凄い。

 ……手放しで褒められたもんじゃないけれど。


「なんで男ってのは簡単に夢見ちゃうのかなぁ……」

「うふふ。大変ですね」


「この俺が……絶対に見つけてみせるぜ!!」

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