第百三十二話 『――なんとでも言え』

「なんで……こんなところにっ……!」


 遠く離れた森で暮らしているはずの兄がいるのか。そこから学園まで、どれだけ離れているのかも、学園に来てまず一番に確認している。グロッグラーンが多少近い所にあるとはいえ、それでも馬車を使っても数日かかる距離だ。


 俺をここまで探しに来た? そんなまさか。


 そもそも大傷を負って崖から落ちたはずだ。

 あれで死んでいてもおかしくなかったってのに。


「――おっと、テメェらが誰かは知らねぇが……動くなよ?」


 ココさんたちを牽制しながら、その右手が首元に伸びる。一年の年月で傷は癒えども、痕は残っているらしい。決して滑り止めの役割だけではないであろう包帯の端が、風でゆらゆらと揺れていた。


「なんでって言ってたよなぁ……。さっぱり分からねぇか? シャンブレーのよぉ……! 商人の屋敷に忍び込んだのはお前だよなァ!!」

「っ!? なんでそれを――」


 シャンブレーの商人の屋敷っていえば、ルルル先輩との依頼で訪れた一つだけだ。誰に見つかることもなく、きっちりこなした筈なのに……!


「やっぱりテメェなんだな? ヒトの獲物を横取りしやがって……」

「ぐっ……!?」


 喉元を掴む手に力が込められる。

 やばい……このままでは、呼吸もままならない。


 そんな自分の苦しみなど全く意に介さないままに、耳元でネチネチと嘲るように笑うエクター。


「窓に小さな傷があった。あの手のやり方で鍵を開けるのはウチだけだ。もしかしたらと思ったんだが――ドンピシャだったな、バァカ」

「…………っ!」


 自分の技術を奮っただけなのに、それが仇となった形だった。――いや、そもそ

も、あれで足がつくだなんて誰が予想できた? 迂闊さを笑われながら、全身に冷や汗が伝うのを感じる。


「結局はお前は同じ家に産まれておいて、素人に毛が生えた程度の技術しかないってこった。頼むからもう生きていてくれるなよ。家の技術を中途半端に撒き散らされちゃ、こっちがかなわねェ――」


 そうして首をへし折られるかと思ったその時だった。


「テイルっ――」

「あ゛ぁ? ――っ!?」


 ヒューゴの声に一瞬だけ気を取られた隙を見て、魔法を発動した。エクターのすぐ背後に現れた。危険を察知したエクターの手が、ようやく自分の首から離れる。


 がら空きとなったその腹に、一撃を加えようとしたが――


「遅ぇっ!!」


 素早い身のこなしで躱されてしまう。ミル姉さんとの特訓のときに教わったように、大振りはせず、最小限の動きで狙ったはずだったのに。完全に掠りもしなかった。


「……ゲホッ」


 辛うじて喉は潰されずに済んだ。


 目の前には、エクター・ブロンクスただ一人。こちらにはココさんと、ヒューゴ、アリエス、ハナさん。……一応、動けそうにもないけどトト先輩もいる。アリューゼさんは、教会に残してきたのだろうか。気にはなるけど――


「……どうする? 加勢した方がいいかしら?」

「いえ、俺の家のことです。ココさんは皆に被害が出ないようお願いします」


 ……こればっかりは他人に頼るわけにもいかない。俺の家のこと、俺がはっきりと断ち切らねばならぬこと。アリューゼさんのように、対象を縛り付けて離さない禍根というやつだ。


 倒すべき相手は、自分の兄。


「今やり返そうとしたのかよ? 生意気になったもんだなぁ、おい。その様子だと飯にありつけてるようだしなぁ。ガキがぞろぞろと集まって、仲良しごっこをしてりゃあ強くなった気もするかもなぁ――」

「――っ!?」


 言い終わらないうちに、ナイフを抜いてこちらの背後に回っていた。速度で言えば、殺す気満々のミル姉さんと同じかそれ以上。ギリギリ視認できて、反応するのがやっとなレベルである。


 こちらが致命傷を受けないようにするのが精一杯。相手に致命傷を負わせるのなんて、夢のまた夢だ。


 あれだけ嫌ってた家だけど……今になって分かる。ただ単に、盗みや殺しをしてきただけじゃない。完全に裏社会に生きるもの、プロとしての家系だった。


 その実力だけは認めないといけない。

 目の前で対峙している相手を、正しく測らなければならない。


「くっ……」


 襲い来るナイフの、その一撃一撃に集中しながら弾く。合間に魔力を込めて撃ち込むが、特殊な受け方をしているのか、全く堪えた様子がない。分身を混ぜているにも関わらず、的確に捌いて反撃をしてくる。


「怯えながらコソコソ生きていればよかったのになァ!!」


 クソみたいな兄なのは間違いないが、実力だけは確かだった。


 逃げずに“あそこ”で育ってきた結果がこれか……!


 自分のような貧相な身体では、耐えきれないと思っていた。いつか、自分が殺されてしまうと恐怖していた。それは俺がそんな身体で生まれてきたのが悪かったのか。ついていけない者が淘汰される、世界の摂理だったのか。


「素人に毛が生えた程度の落ちこぼれが! 俺たちの真似事をして! こうして一年後には殺される! 無駄に先延ばししただけだったじゃねぇか!! なぁ、そうだろう、テイル!!」


 それでも――自分にだって、過ごしてきた一年がある。


 魔法学園で学んできて。信頼できる仲間ができて。

 熟練の業を持つ先輩や教師に教わった経験がある。


「俺が過ごしてきた一年は……無駄じゃない!」

「抜かせ――」


 エクターの目が――瞳孔が――キュッと細くなる。

 さっきよりも力の入った一撃が、こめかみを掠めた。


「…………っ」


 恐らくミル姉さんよりも疾い。今まで出会った中では、全力時のキリカに匹敵する速度だった。周囲の薄暗さも相まって、周りからでは視認すらできないはず。


 必死に食いついてはいるものの、とうに自分の限界を超えていた。刃と刃がぶつかり、火花が網膜に残像を焼き付ける。だんだんと自分の息が上がっていくのが分かる。集中を切らさないようにするので精一杯だった。


 ――――。


 誰かが自分の名前を呼んでいる気がした。

 はっと気がついたときにはもう遅い。


「くっ!?」

「どこで覚えたのかは知らねぇが、舐めたマネをしてくれたよなぁ……!」


 ――不意打ちの足払い。


「あの時から決めてたんだぜ……?」


 体勢を崩され、次に飛んできた蹴りによって身体が浮く。重たい一撃だった。激しい痛みとともに、魔力をぶち込まれた時と同じレベルの衝撃が内蔵を揺らした。


「付けてくれた傷はきっちり! 同じ方法で返してやるってなァ!!」


 その手に浮かんだのは、煌々と輝く魔法陣。描かれているのは極めてシンプルな魔法。魔力を高威力で打ち出す――自分がエクターに使ったのと同じもの。我流で覚えたのか、ところどころに粗が見えたが、無防備な自分を吹き飛ばすには十分なように見えた。


「テメェができることは、俺にだってできんだよォ!!」

「――――」


 ――やばい。空中じゃ避けることができない。


 目に映る何もかもが、スローになって。学園の出来事が次々と思い出されて。――これが走馬灯ってやつなのだろうか。こんな時に不思議だったのは、遡り、遡り、前世の記憶すらも再生されていたこと。


 ……笑えるよな、既に終わった人生だってのに。


 そのおかげというか、魔法が発動するまでのその数瞬が、とても長いように感じられて。まるで永遠かと思えるぐらいに静かな時間の中で、目の前の魔法陣の輝きが少し眩しいと考える余裕さえあった。


 ちくしょう、目が痛くなってきた。こんなに近くで魔法を撃つ奴がいるかよ。

 こんな――


『がむしゃらにやっていれば、今まで見えなかった世界が見えてくることもある』

「――――」


 ヴァレリア先輩の言葉が、ふいに頭をよぎる。


 ――気が付くと手を伸ばしていた。魔法陣へと手を触れていた。

 どうすればいいのか、身体が勝手に判断していた。


 あとは、意識を集中するだけ。


「――っ」


『〈レント〉』と、小さく呟く。それだけで十分だった。


「〈ブラス〉っ! ――……?」

「くっ……」 


 不発の魔法陣を空中に残したまま、自分は無事着地を果たす。勝利が決まりかけていただけに、エクターの動揺は明らかだった。


「発動しない……? なんで……――っ、何をしやがったァ!!」


 いくら吠えたところで、魔法陣に流し込んだ魔力が吐き出されることはない。陣の中をぐるぐると回っているだけだ。他でもない、


 一瞬の空白ののち、あれだけ余裕を滲ませていた表情が、驚愕から怒りへとみるみるうちに変わっていく。


「テメェ……。俺の魔法を盗みやがったな……?」

「――素人はお前の方だったな……!」


 威力はエクター自身の魔力で十分に確保されている。あとは発動のスイッチを入れるだけ。


きったねぇ魔法陣だ――」


 我流で覚えたが故に、雑な作りで。だからこそできたことだった。

 、ほんの少しだけの魔力を流し込む。


 そっくりそのまま、使わせてもらうぞ――


「――〈ブラス〉っ!!」


 魔法陣から放出された魔力の波動が、エクターの身体を吹き飛ばした。

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