第百七話 『私に卒業しろってのか?』

 正面にはホールの入り口。右手には食堂へと続く廊下。


 中央棟に入って利用するといえば、大概は二つの内のどちらか。

 けれども、そのどちらの入口へも向かわず――今はぐるりと反対側に回る。


「……二階に上がる階段はこっちだったよな?」


 記憶を頼りに、人気ひとけのない廊下を一人進む。

 確か学生大会の時、観戦席へと上がる為にここを通った記憶があった。


 会場を見下ろせるように、ホールの内側を囲むように設置されたその席を眺めながら、二階、三階と上がっていく。ひたすらに続く階段。だいたい六階ぐらいの高さまで来ただろうか。


「こっから先には初めて入るな……」


 あまり上の席に座っても、距離が遠くてあまり良く見えないのと、そもそもそこまで歩くのも億劫おっくうに感じてたせいで、一番上まで上がるのはこれが初めてで。そこに外通路へと出るための扉があるのなんて、全く知らなかった。


 扉を開けると、まだ日は高く。眩い日光に目がくらむ。

 数秒、目が慣れるまで待った。


 風に吹かれる中で、誤って落下しないよう気を付けながら、外縁に沿ってぐるりと回ってみると――体育座りで佇んでいる人影が一つ。


「先輩……」


 縁にもたれかかるようにして、座り込んでいる。

 日の光が当たらない、影の中にいた。


「あれ? 私、どこに行くか言ったっけ?」


 すっとぼける先輩の問いに、首を横に振る。

 そんなこと、言われる暇すら与えてくれなかっただろうに。


「なんとなく……ですかね」


 確信は無かったものの、あれはきっとカメラのレンズに反射した光だと、そんな予感がしていた。学園を見下ろして、卒業する生徒たちを遠目に撮影していたのだろうか。


「そっか。私の下でいろいろ手伝ってるうちに、コツを掴んだのかな?」

「まぁ、そうかもしれないですね」


 許可をとろうかとも思ったけど、やっぱりやめて。黙って、先輩の隣に座る。

 ずっと日が当たっていなかった部分は、ひんやりと冷たい。


 暑い日は、ここに避難してくるのも悪くないなと、そんなことがふと頭に過ぎったところで、先輩がぽつりと言った。


「……ありがとね。助けてくれて」

「そりゃあ、あの状況だったら助けますって」


「それに……自分よりも、ヴァレリア先輩の方が活躍してましたし」

「……?」


 ルルル先輩は、一瞬だけ何を言っているんだという表情をして。

『それでも、テイル君が私を助けたことは事実だよ』とフォローしてくれた。


「……で、なんでこんなところにいるんですか。卒業式まで学園に顔も出さないで。式が終わったら、また早々に姿を消して。わりと探してたんですけどね」


「なんだかねー。このまま学園を出ると思ったら、少し悲しくなっちゃって」

「…………」


「私と【真実の羽根】で過ごした二年間――。ううん、この学園にいる間ずっと。誰かに復讐する事ばかり考えていたのかなって思うと、ね」


 そう言う先輩の表情は暗く沈んでいて。少し考えるように、体育座りのように立ている膝に頭をコツンと乗せる。どこか活力が失われていて。ヤーン先輩も、ルルル先輩が学園で過ごす上での大切なピースだったのが痛いぐらいによく分かった。


「いろいろなイベントの準備だったり、私が調査してるのを手伝ってくれていたのも、ぜーんぶその為で。誰に対しても、本当の自分を出さないままに、ずっと過ごしていたのかなって」


 まるで全てを吐き出してしまうように、先輩の言葉の奔流が止まらない。


「本当は何があったのかなんて、分からないけど。本当に先輩が間違っていたのかは分からないけれど。少なくとも私は、私が正しいと思う行動を取ったつもりだよ。私は最後まで、私の正義を貫けたと思う」


「やっぱり、卒業するんですよね」

「……ずっと学園にいても、母が心配するしね」


 ようやく落ち着いたのか、『ふぅ』と息を吐く。


「卒業したら、まずは家に顔を見せてから、それからいろいろな街を見て回ろうかなって。やっぱりシャンブレーの時みたいに、世界中で起きている不正や過ちを正したいって思うの」


 不正の臭いを嗅ぎつけては、潜入して証拠を見つけて、白日の下へと晒す。

 その準備だったり手際だったりは、本業(ではないけど)の自分も舌を巻く程。


「そこに有能な助手が、一人いてくれたらなぁ……って思うこともあるんだけど」


 そこで一旦、目を伏せて。そうして、こちらの視線をちらりと伺う。

 ……付いてきてくれって言われているのだろうか。


 先輩の言葉を借りるなら、そう――自分の中の、“天秤”が揺れる。


――――――――――――

 このまま学園を辞めて、ルルル先輩と学園の外に……


  そういう生き方も、悪くはないかな。

▷ ……まだ、やらなくちゃいけないことが沢山あるよな?

――――――――――――


「……俺が」


 口を開こうにも、どうにも重たい。

 それはルルル先輩の期待に応えることができないからなのか。

 いや、自分でも名残惜しいと思っているからだろう。


 それでも――


「俺が先輩の代わりに、昔なにがあったのかを調べないと」

「――そっか」


 自分には、まだやらないといけないことがある。


 それは、ヤーン先輩とヴァレリア先輩の間に何があったのかを知ることでもあるだろうし。もちろん、強くなることだって。


 まだ世界中を旅したいだとか、どんな仕事をしたいだとか、そういうものは何一つとして無くて。ただ『こうしないと』という漠然としたタスクが並んでいるばかり。


 アリエスもヒューゴも、そしてルルル先輩も、自分の未来の姿が、漠然としたものでも見えている。それは、とても羨ましいことだ。学園に半ば逃げてきたような自分とは違って、視線は遠く前を向いている。


 こんな俺にだって……目の前のこれらが全て片付けば、将来何をしたいのかも見えてくるのだろうか。そんなことを考えているから、ルルル先輩の手を取りそうになる。


 ……これだって『逃げている』ってことなんじゃないのか?

 そんな気持ちで、先輩の隣にいていいのか?


 それだったらせめて、卒業したときに。

 改めて自分自身の胸を張れるような男になりたいと思った。


「それじゃあ――」

「っ!?」


 急に頭を抱え込むように抱き着かれた。少し――どころじゃなく、かなり驚いたけど――されるがままに膝上へと倒れ込む。柔らかく、甘い香りが鼻孔をくすぐった。


「あれ、猫にならない」

「……なってほしいなら、なりますけど」


 膝枕をされる形になって。下手に頭を動かすこともできず、視線を前へと向けたままに返事をする。ヒューゴたち、まさかここに来ることはないよな?


 こんなところを見られた日には、それこそ居たたまれなくて学園から出ていかないといけない。あれ、これ結局ルルル先輩について行くやつなんじゃ?


「……先輩だったら、新聞を貼り出すぐらいはするんじゃないかと思ってたんですけどね。やっぱり……学園長に止められて?」

「ううん……。個人の復讐なんて、記事にすることじゃないし。それに、やっぱりそれが本当に真実かどうかがわからないから、ね」


 悩んで、悩んで、悩み抜いて。そうして先輩は答えを出した。

 私的な感情に突き動かされないよう、己を律して動かないことを決めた。


 それでも、その噛み締めるように続ける言葉の端々から、悔しさが滲み出ているのが分かる。


「先輩はきっと……このまま誰からも思い出されることもなくなる。それって、とっても悲しい事だと思うから。本当は、私がやらないといけないことなんだけど。これ……、渡しておくから」

「…………」


 その写真には、ソファに横になってヌイグルミを編んでいるヤーン先輩が映っていた。こちらに向けて微笑んでいて。あの時の復讐に燃える魔物の姿の方が、偽の姿だったのではないかと思えるような。


「もし真実を知ることができたら、【真実の羽根】の部屋にあるファイルにでもこっそり挟んでおいて。できれば、記事の形にしてくれると嬉しいかな。嘘の記事を残しておくなんてこと、私にはできないから、テイル君にしかお願いできないの」


 映像の記録というのは、実に便利なものだと思う。


 昔、図書室のローザ女史も言っていただろうか。一度形にしてしまえば、忘れても大丈夫だと。そのためにメモをとっているのだと。先輩の撮ってきた写真も、それを見て、いつか誰かがその時のことを思い出すのだ。


『それじゃあ、そろそろ行こうかな』と先輩が言うので、自分も上体を起こして立ち上がる。見つけて皆のところに連れていくだけのつもりだったのに、思っていた以上に長々と話し込んでしまった。


「テイル君が卒業したあとでもさ。もし、また会えたなら。その時は、私にちゃんと教えてね。その時まで、私のことを忘れたらダメなんだから」


 困ったように眉根を寄せながら、口元に人差し指をそっと当てる仕草に、思わず視線を奪われて。心中を悟られないように、咄嗟とっさにそっぽを向いた。


 ――――。


「…………いないですよ、先輩」


 胸ほどの高さがある塀の向こう。眼下には広々とした学園の敷地があって。

 隅々まで見渡せるため、生徒の動きが手を取るように分かる。


「ルルル先輩のことを忘れたりなんて、するわけないじゃないですか。……俺だけじゃない、先輩を忘れる奴なんてこの学園にはいません。その証拠に、ほら――」


 正門の方では、まだ生徒がたむろしていた。

 卒業生も、在校生も、馬車にまだ大半が残っているようで。

 皆、一様に


 ――それが誰なのかだなんて、考えるまでもない。


「アルル先輩ー!!」


 学園中に向けて、大声で名前を呼んでいる生徒……ありゃあ、誰だ?


「エレンさん……」


 機石魔法科の一年生。エレンと呼ばれた、桃色の髪をした生徒。

 赤髪の生徒が行方不明になったときに、先輩に相談に来た生徒だった。


 その隣には、彼女よりも十センチほど背が高い、赤髪の女子生徒もいた。

 それなら、あれがきっと行方不明になっていた、ウィムという生徒なんだろう。


 ヤーン先輩が、復讐を無事に終えていたらどうするつもりだったのか、なんてことは分からないけれど。それでも、無事に戻ってこれたのなら、それは重畳というやつで。


 他の生徒たちならともかく、当事者である彼女たちなら、ルルル先輩が解決の為に動いていたことは知っている筈だ。そしてあの調子じゃ、先輩に感謝の言葉をかけることも出来ずに、この日を迎えてしまったことも。


「あらあら、声が届いてないみたいですねぇ? 私に任せてくださいっ!」

「げ――」


 その後ろから出てきたのは、ルルル先輩と特に仲が良かった記憶のある、ウェルミ先輩で。恐ろしいことに、既に機石メガホンを構えていた。


「アルル先輩ー! みんな先輩のことを待っているんですよー!? 早く出てきてください!!」


 あまりの大音量に、ビリビリと空気が震える。

 ちくしょう、あんなに大声出さなくても聞こえるってのに。


 身を乗り出して、文句の一つでも言ってやろうかと思っていると。


「……もう、ウェルミったら」


 ルルル先輩は少し困ったような、それでいて嬉しそうな表情で『これは……急いで行かないと大事おおごとになりそうだね』と笑っていた。






 ――そうして、長いようで短い一年が幕を下ろした。


 始業式までの間、少しだけの休みの期間が設けられ。ヴァレリア先輩が学園に残っているため、普段と変わらない景色が流れていく。あっという間に始業式の日が訪れて、新入生が学園の中を遠慮がちに歩く姿も目にするようになった。


「なんともまぁ……ウチは面子が変わらないよなぁ」

「スゥ――ハァ――。あー……そりゃあ……卒業する気がないからにゃあ……。んふふふ……ふぅ……」


 身体を鍛え始めたからか、飯が美味いからか。

 知らない内に少しずつ背も伸びていた。


 ……それでも、ヴァレリア先輩には遠く及ばないけど。


「【黄金の夜明け】の先輩たちとの別れなんて……。それはもう感動的で」

「おいおい! そりゃああれか? 私に卒業しろってのか?」


「……いや、先輩とはそれほど感動的な別れにはならないと思うし」

「なんだなんだ……。つれないねぇ、うちの後輩は! あーあー、悲しいなぁ!」


「ここに新入生って入れないんですか? 先輩」

「まだまだ手のかかる後輩が四人もいて、これ以上増やせないんだよ。んふふふ」


 ……もちろん、休みの日だって修行は続けている。


 姿を消す魔法は、未だに分身止まり。一応、詠唱ナシで使えるようになったけど。魔力を打ち込むのは割と応用が効くようになって。今では、拳からだけではなく肘や足からも打てる。


「ま、半分は冗談で。実際、一つのグループに四人もいれば十分だからにゃあ」

「半分は本気なのかよ……」


 暖かくなって、新学期が始まって。

 特に実感がないままに二年に上がっても、学園の様子はなにも変わりないし。


「いやいやいや、先輩見てくださいよ! 俺だって、かなり魔法が上達――っ!?」


「なんか今、凄い音がしなかった!?」


 ……ごくたまに、どこかが爆発を起こしている気がしないでもない。


 状況を確認しに廊下に出てみると、遠くから誰かが『一年生の教室らしいぞ!』と叫んでいた。……おいおい、まだ始まって二日目だぞ。


 一癖も二癖もある先輩たちがいなくなっても、どうやら新入生たちもこれまた曲者が揃っているらしい。始業式では大人しいのばかりに見えていたけども。


 この学園がおかしいのか。それともこの世界がおかしいのか。

 減っても新たに継ぎ足されていく鬼才天才、奇人変人。


 ……俺の、異世界での、ドタバタな魔法学園生活は――


「まぁ、少なくとも退屈することはないんじゃないか?」

「……そうみたいですね」


 きっと、まだまだ続いていく。





【ひねくれ黒猫の異世界魔法学園ライフ 第一部 了】

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