第七十八話 『幸せお待ちどおさん』

 ――日が落ちるのはまだ先、やるべきことは全て済ませた。

 あとはシャンブレーの街から離れ、情報を出すべき所に出すだけ。


「…………」


 依頼もここまでくれば九割がた終わり。宿に置いてあった荷物を回収して出ていくだけなのだが――先輩がなかなか部屋から出てこない。


 右へ、左へと先輩の部屋の前をうろうろ。

 ……また様子を見に行くと、面倒な目に遭うだろうしなぁ。


「そりゃあ男に比べりゃ、身支度に時間はかかるもんなんだろうけど……ん」

「ごめんごめん。待たせちゃったね」


 ようやく、ひょっこりと先輩が顔を出した。『何をしていたんですか?』と尋ねようとしているのが表情に出ていたのだろう。先輩は『いろいろと準備してたから』とだけ答えて、荷物をいそいそと肩にかけた。


「美味しいごはん屋さんがあるんだっけ。ちょっと早いけど、食べてから帰ろっか」

「そんなに悠長にしていていいんです?」


 書斎の窓からは飛び降りて出たために、鍵はかけていない。……というより、二枚におろした魚をそのまま水槽に戻したのは失敗だった気がしていた。なんで戻したんだ自分。気が動転していたんだろうか。


 窓の外から捨てるなり、どこかに隠すなりしておけば……。別になにか物を盗ってきたわけではないので、ただ単に鍵をかけ忘れて、外に逃げ出したと勘違する可能性も――いや、ないか。


 ……とりあえず、身元がバレるヘマはしていないとは思うが、不安要素があるわけで。だからこそ、足がつく前に逃げたいのだけれど。


「いいのいいの。今になって騒いだところで、依頼はほぼ終わってるんだし」

「…………?」


 どこか含みをもった言い方に、首を傾げながらも宿を出たのだった。






 ……短い期間だったけど、そこまで居心地も悪くなかった。

 山の斜面につくられた街。海の側で気候も良好。

 猫の姿であれば、あちこちに動きやすいし。何より魚が美味い。


 そう考えると、こうして街を歩いていて名残惜しい気もしなくもなかった。

 学園を卒業したら住んでもいいかな、ぐらいには。


「近くまでいけばすぐに分かるって言ってたけど……ここか?」

「――へぇ、“壁の穴”だって」


 店の名前だった。……壁の穴? いったいどういう意味なのだろう。

 とりあえず、周りにほかの店もないみたいだし、入らなければ始まらない。


「らっしゃい! ――お」


 恐る恐る店内へと足を踏み入れると、つい先日見た顔が。


 店の雰囲気は悪くない。天井は高く、白い土壁で囲まれていた。

 テーブルの数は――七、八ぐらい。ちらほらと埋まっているぐらい。


「よお! 来てくれないかと思ってたぜ。今日はタダで振る舞ってやるよ」


「タダ!?

「いいんですか?」


 強面の店主がわざわざ厨房から出て迎えてくれる。礼をし足りないとは言っていたが、まさか料理を無料で振る舞ってくれるのは予想外だった。


「危ないとこを助けてもらったからな。ほら、座ってくれ」


 窓に近い席に案内された、適当な料理を注文する。肉野菜といろいろあったけども、やはりここは魚料理だろう。


「んー! いいお店ですね!」


 先輩がぐるりと店内を見回し、感嘆の声を上げる。


「だろ? 昔、自分が前に働いた店の名前をそのまま使わせてもらったんだが、ここに店を構えたのは五年前だ。もともとは三百年も前から続いている店なんだぜ」


 ――三百年とはまた、途方もない年月だった。

 もうそこまでいったら、老舗もいいところじゃないか。


 そんなに昔にこの世界がどんなものだったか、なんてまるで想像がつかない。自分のいた前世だって、三百年もさかのぼれば、確か江戸時代も真っただ中のはずだ。そこまで歴史には興味が無かったけど、それぐらいなら分かる。

 

「何人も弟子を入れ、料理のわざを仕込んでは、そいつらが世界中に散らばり店を出す。そうして三百年、今の今まで。始まりは確かアヴァンでな」

「“食の街”アヴァンっ――!?」


 ルルル先輩が勢いよく席から立ち上がった。

 どうやら、その街の名前に覚えがあるらしい。


「……アヴァン?」

「アヴァンっていったら、“食の街”って呼ばれていて、『世界中の食がそこに集まっている』って言われるぐらいすごい街なの! 海を渡った先にある大陸の街らしくて、私も話で聞いたり本で呼んだりしかしたことないんだけどね? なんでも、街を東西に渡る一本の大きな道があって、その脇にずらーっと屋台が並んでるんだって。すごくない? 右を見ても左を見ても、美味しそうな料理がある街って!」


「わかったから! 座って! ください!」


 若干興奮気味に説明する先輩を、なんとか座らせる。

 半分ほどしか理解できなかったけど、ようするに料理で有名な街ってことだろ。


「人生で一度は行ってみたいなぁ……。今も本店はあるんですか?」

「さぁなぁ……。なにぶん、俺もあっちの方までは行ったことが無いからよ」


 ここからだと何週間もの間、船で移動しなければならず、そこから先も陸路が長いこと続くらしい。いつかは他の大陸の依頼とか、受けにいったりすることがあるんだろうか。


「――今となっては、それなりに名が通った店になっちゃあいるが、最初は裏路地の片隅だとか、人目のつかないような場所でひっそりとやってたんだぜ」


 聞けば、“壁の穴”というのは『隠れ家』という意味なんだとか。料理を作るその匂いだけで客を呼び寄せていたのだと、どこまで本当なんだか分からない話をする。


「一番始めの店主の言葉に『世界で一番幸せなのは料理人だ』ってのがあってだな」

「おやっさんの話は、ここからが長いんだ――あでっ」


 一番若い店員――坂で荷台を引いていた男だった――が、飲み物を持ってきてくれた。今は客が少なく、手が空いているのだろう。テーブル横の棚に肘をつき笑っていると、店主から激と拳骨ゲンコツを飛ばされていた。


「てめぇはさっさと下ごしらえを済ましてきやがれ! そんなことじゃあれだ、どこかの学園で料理人してる兄貴に追いつけねぇぞ!」


「――――」


 その言葉に、思わず先輩と顔を見合わせた。


 詳しい話を聞いてみると、この店での修行を終えてからは魔法学園で働いているというのだから、予感は確信へと変わった。どうやら自分の思っているよりも、世間というのは狭いものらしい。


「――で、人生で幸せな瞬間っていったらよ。男でも、女でも。子供でも、年寄りでも。“美味い飯を食った時”だって相場は決まってんだ」


 いい人生はいい食事をすることだと、そんな話をどこかで聞いたことがある。


「それがなんで『料理人が世界で一番幸せ』なんです?」

「それを作るのが俺たち料理人だからな。いつでも美味い料理を作り、そして食える! 料理人になって、一番良かったことだよ」


『はっはっはっ!』と豪快に笑う。


 強面で腕っぷしの強そうな風貌は、料理よりも力仕事の方が似合っているようにも見える。それなのに――


「俺たちはこの店で。“幸せのおすそ分け”をしているだけなんだ」

「…………」


 顔に似合わず、ロマンチックなことを言いやがって。

 ……けれども、不思議とそれを笑おうだなんて気は起きない。

 単に聞こえのいい言葉だと、嘲笑あざわらうことはできない。


 ――見せかけの言葉ではない。それは本音だった。

 自分の夢として、強く根付いている者の言葉。


 本気でそう思っているからこそ、ここまでの店を続けているのだろう。

 本気でそう思っているからこそ、全力を注ぐことができるのだろう。


 今の話の中で、十分にそれが伝わってきたのである。


「はいよ、幸せお待ちどおさん。……んん?」


 ――料理を持ってきた店員の視線が、テーブルの上から窓の外へと動いていた。

 それにつられて、自分も同じ様に外を見る。


 何かが飛び交っている? いや、落ちているのか?

 舞い落ちている、それも大量に。


「お、おい。なんだぁ、ありゃあ……」


 ……鳥の影? ――じゃない。


「――紙だ」


 空から、大量の紙が降っていた。

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