第五十六話 『にはるん先輩が負けたぁ!?なんで!?』

「……う゛ぅ」


 ――目が覚めたのはテントの中、ベッドに寝かされ、腕いっぱいに包帯が巻かれていた。最悪なあの煙草の臭いに混ざって、普段嗅がない薬の臭いが鼻をつく。


 その不快さに加えて――身体の重さ、全身の痛み。幸い激痛に叫ぶ程ではないものの、一挙一動に気合を入れないと、直ぐさま弛緩してしまう始末。身体が不自由で仕方なかった。


「あぁ、目が覚めたか」


 どうにか手すりを掴んで、ベッドから降りようとしたところで、カーテンの向こうから声がした。――他でもない、学園の保険医であるファラ・ウィルベル先生の声である。


「……お早う。身体は大事にしたまえよ、少年」


 なんとかカーテンから顔を出すと、いつものように気怠げに椅子に座っていて。相変わらず煙草を咥えながら、藍色の長い髪を無造作に垂らして。珍しく、興味深そうにこちらを見ていた。


「意外と時間がかかってしまったよ。亜人デミグランデでも中身に大した違いはないようだ。安心したまえ、内臓はボロボロだったが、数日保健室に通って薬を飲めば元通りになる」


 わりと不穏なことを言われて、安心しろというのも無茶な話ではないだろうか。


「内臓が……。――っ!?」


 やはり最後の一撃が原因だろうなと、未だじくじくと痛む腹を包帯の上から擦ろうとしたところで異変に気付いた。


「腹の毛は!?」


 ここにあった毛一帯、まるまる無くなってるんだけど!?


「剃った。邪魔だったからな」

「剃ったぁ!?」


 唖然としているこちらを見て、ふぅーと天井に大量の煙を吐き出していた。


 治療の為に仕方がないとはいえ、自分の身体の一部がツルツルになっていたのには結構なショックを受けた。ヒトの姿になっている時はそれほど目立たなくはなるだろうけど、産毛すらない状態なのは正直落ち着かない。


 けれども、既に起きてしまったこと。毛生え薬だって尋ねれば出てきそうだけれども、その効果について考えると……いや、考えるのはやめよう。


「大会は……どうなってます?」


 ――話題を変えて、大会について尋ねる。


 試合の最中は冷静になれたと思っていても、相手の実力も計れぬままに『勝てるかも』と確信していた時点で、ぜんぜん冷静でもなんでもなかった。自分がグレナカートに負けたことは分かっている。こちらの魔法が殆ど通用しなかったことも。


 アイツに歯が立たなかったところで、『チートかよ!』と騒ぐ気にもなれない。持って生まれたものが違う、そんなことは承知の上だし――そもそも、まだグレンの上にいるようなのが、この学園ではゴロゴロしているからだ。


 ――そうなると、他の試合のことも気になるわけで。許されるのなら、観戦しておきたいと思ったのも当然のことだろう。


「君の次の試合も既に終わっている。できるだけ他の生徒の試合を見たがっていたから、なかなかに頑張ってみたんだがね。残念なことに、どうにもあっさりと勝負が着き過ぎた様だ」


 自分の次の試合は……確か、にはるん先輩とキリカの試合だったか。

 案の定というべきか、なんというべきか……。






「はああぁぁぁぁぁ!? にはるん先輩が負けたぁ!? なんで!?」


 ちょうど午前の部終了のアナウンスが終わったところだった。ざわざわと観客席から人がはけていく中で、思わず大声を上げてしまう。


 驚きに目を見開いて。口が塞がることもない。まだ意識不明で、これは夢の中なんじゃないかと疑ってしまうほど。


「なんでって……キリカちゃんの方が強かったから、としか……」

「だって、“あの”にはるん先輩だぞ?」


 普段あの態度だって、大言壮語で終わるわけじゃなく、しっかりと実力が伴ってのものだ。自分達はその実力を、間近で見ているのだから。


 それこそ、本物の竜を完膚なきまでに叩きのめすぐらいは余裕で出来そうな。そんな魔法の嵐を惜しみなく使う先輩が、クラスではあまり目立っていないキリカ・ミーズィに? 嘘だろ?


「先輩の魔法がことごとくですね……」

「食べ……?」


 そういえば、地下工房の時もそんな魔法を使っていた。教室で話していた時に見せてもらった、あの凄い複雑な魔法陣の。あれで先輩の魔法を


 そんなことが可能なのだろうか。

 ……いや、可能だからこそ、この結果なのだろう。


 ……この大会でキリカの試合を見ていないな、と今になって思い当たる。一回戦も二回戦も、ちょうど自分とは反対の会場で試合をしていたから。そして準々決勝は、この通りボロボロになってベッドの上で寝ていて――と、ことごとくタイミングを逃していた。


「準決勝戦はお昼が終わってかららしいですよ」

「早く食堂に行こうぜ! もう腹ペコなんだよ!」


 腕をブンブンと振りながら声を上げるヒューゴ。同じくここで敗退したチームメイトに引っ張られるようにして、ぞろぞろと会場を後にする。

 

 ……内臓がやられている自分としては、少しは消化のいいものを食べられると有り難いんだけど。そんなことを考えながら、同じ中央棟内部にある食堂へと向かいながら、道中でアリエスが『それにしても……』と口を開いた。


「凄かったよー、二人とも。負けちゃったけどさ」


「う゛……」

「ぐ……」


 他人の口から出た『負け』の言葉が、地味に突き刺さる。元々勝てる勝負じゃなかったんだ、という結論は出たとしても、それを納得できるかは別の話である。


「俺なんて、ただ空回りしてただけだったけどよ……」

「そ、そんなことないですよ!」


 それはヒューゴも同じこと。少しナイーブになっているというか、わりとすぐに凹むようになっていた。玉鋼はどうした、玉鋼は。ふにゃんふにゃんじゃねぇか。


 とはいえ――戻ってきて早々に、にはるん先輩とキリカの試合の話で盛り上がっていたために、自分の試合についての話がほとんどできていなかったのは事実で。


 自分でもよく把握しきれていない試合内容、俯瞰で観察できる観客の目からはどう映っていたのかと尋ねてみたのだけれど――


「テイルの試合、最後の方は何してるのか分からなかったもんねぇ」

「実況のお二人も困っていらしたし……」


 ……特に参考にもならなかった。


「なんというか、気がついたら負けてたよね」

「もう少し何かあんだろ。健闘した者に対して送る言葉が」


 オブラートに包む様子が一切無かった。

 気が付いたら負けてたって、これ以上にないぐらい傷ついたんだが。


「だって、その後の試合も印象に残っててさー」


 そうしてやはり話題は、自分の見ていない試合、にはるん先輩対キリカのカードへと戻る。


「なぁ、その試合のことなんだけど――」


「僕の……完璧なプランが……あそこでまさか……」

「――あ、噂をすればですよ」


 ハナさんが示す方向――食堂の入り口には、【黄金の夜明け】の面々が揃っていて。どんよりと落ち込みながら何やら呟いているにはるん先輩と、それを見て申し訳無さそうな表情をしているキリカ。そして他の面子は、苦笑いをしながら温かい眼差しで見守っていた(ただし、フィーリ先輩は除く)。


「こんなに弱いリーダー見たことある? キリカと交代しちゃう?」

「しませんよっ!!」


 歯に衣着せぬ物言いに憤慨していた。ぴょんぴょんと飛び跳ねてはいたけど……あのこじんまりとした身体じゃ、やっぱりマスコットの域を出ていないんだよな……。


「せっかくだし、一緒にご飯食べちゃう? おーい、やっほー!」

「――あ、アリエスさん、ハナさん」


 アリエスが盛大に手を振り声をかけたところで、ようやくキリカがこちらに気付いた。速やかに近づくと手を握り、これまた上下にぶんぶんと振って。まるで有名人に会えたファンのような様子である。


「試合見たよー、凄かったね。いろんな意味で」

「う゛……。ヒュ、ヒューゴくんとテイルくんもお疲れさま」


 アリエスがまた弱いところを突いたらしく、言葉に詰まったキリカ。『え、えぇ。ありがとう』と軽く礼を言って、逃げるようにこちらに話題を振ってきた。


「……ベスト4進出おめでとう」

「俺たちはゆっくり観戦しておくぜ……」


 勝者に労われても、逆にどう応えればいいのか分からない。とりあえず、向こうの方が頑張らないといけないのは確かなのだし、こちらも労い返してはおくけど。


「やっぱり……お腹が痛むんです?」

「いや、どちらかというと……ううん、まぁそんな感じだ」


 腹の毛が全部剃られたせいで落ち着かないだなんて、妙に恥ずかしくて、おいそれと口に出せるものでもない。


 ともあれ、なんとか九人が座るスペースを確保できたところで、落ち着いて話ができる。


 さっきから気になっていたのは、キリカの服装だった。試合のため学生服でないのはまぁ分かる。ただ、動きやすい戦闘服というよりは、ダボついたブカブカの――


「……寝間着?」

「――っ!? 違いますっ!」


 恐竜型の着ぐるみパジャマとかあったよな……。まさにそんな感じだった。


「そ、そうか……」


 なにか考えがあって、そんな格好しているのなら別にいいんだけども。そう、本人の趣味だとしても自由だ。自分が口を出すことでもないだろう。


「キリカはこれが正装なんですよ。魔法使いの恰好とはかけ離れているので、僕としては少し不満ではあるのですけど……」


「キリカちゃんも女の子だからねー」

「……?」


 女の子というならば、なおさら服には気を使うものだと思うんだけれど。フィーリ先輩の言葉に首を傾げながらも、注文した料理を受け取ってテーブルに着く。


「このままもう優勝まで突っ走ってよね! 私達も応援してるからさ!」


 入り口の時に見た対戦表を見る限り、先にキリカ・ミーズィ対ウェルミ・ブレイズエッジ。その次がリーオ・ガント対グレナカート・ペンブローグだった。


 どちらの試合も、自分達が対戦した相手が出て――そして、かたや準決勝の様子を見ていない奴が出る。


 結局、キリカの魔法についても『どうって言われても、見た通りだし……』と、両手を口の形にしてパクパクとしながらはぐらかされて。


「準決勝、決勝と、どうなるかは見てのお楽しみだね」

「…………」


 結果が全く見えない組み合わせに、自分もどこか緊張していたのだった。

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