ひねくれ黒猫の異世界魔法学園ライフ

Win-CL

第一部

1-1-1 学園入学編 【ここがパンドラ・ガーデン】

第零話 『落ちこぼれ……』

 ――ここから逃げ出したい。ずっとそう思っていた。

 こことは違う、別の世界で生きたいと。


 “普通”を知らない俺は、誰かの“道具”として生きる道しか知らなかった。


 世界を見る目が変わるのは、いつだって一瞬だ。

 そのきっかけは、どこからともなく突然に表れる。


 森の中を駆ける自分の中で――

 ――ドクンッ。という衝撃が、身体を揺さぶった。


「ぐうっ……!?」


 視界が眩しい、くらくらする……!


 今の自分とは違う、別の自分の記憶。


 学校、制服、友達――こことは違う家、家族、世界が不意によみがえってきて。情報量のあまりの多さに、脳がじぃぃんとしびれる。


「うぷっ――」


 抑えきれない眩暈めまいと吐き気。

 胃液だけが足元に零れ落ちた。辛い。尋常じゃない倦怠感けんたいかん


伊勢いせ あらた……?」


 自分の口から洩れたその名前に……聞き覚えがないわけではない。いや、間違える筈が無い。何十回、何百回と繰り返してきた


「おい、テイル! てめぇ何吐いてんだ!」

「ご、ごめ――っ」


 避ける暇なんて無かった。防ぐこともままならなかった。


 急に頭上から現れた、――兄であるエクター・ブロンクスにこめかみを殴られる。激しい痛みと衝撃からは、実の弟だからという手加減などが一切感じられなかった。


「ぐぅっ……!」


 殴られた勢いそのままに、地面に倒れ込んでしまい、依然として続く脳の揺れにうめく。


 テイル。テイル。テイル。地面の冷たさを嫌というほど感じながら、先ほど呼ばれた名前を反芻はんすうしていた。


 ――そう、テイル・ブロンクス。伊勢 新いせ あらたとは違う、


 ……知識、ではない。こんなもの、この世界ではあり得ない。自らの中にあるもので、新しく生み出されたものなんかじゃない。細かく、深く、鮮明に。言うなれば――そう、まるで実際に体験してきたかのような……だ。


 前世、生まれ変わる前の記憶? なんでそんなものが? なんで今?

 ……自分は。自分は……


「……!? ……?」


 いつ? どうやって? 大事な部分がすっぽりと抜け落ちていた。

 急に得体の知れない、いや知っているものでも十分に気分が悪い。


「親父が日が暮れるまでに済ませろって言ってんだ。……ダラダラしてると死ぬぞ、お前は落ちこぼれなんだからよ」


 そう言って、兄は身体をしならせて遥か上に伸びた木の枝に跳び上がった。


「落ちこぼれ……」


 右手に力を籠め、強く握る。長く鋭い爪、一面を覆った黒く長い毛の隙間から、顔を覗かせる肉球。それだけじゃない、目も、耳も、鼻でさえも。何もかもが、前の世界とは違う外見。


 ……自分の、テイルとしての自分の身体。


 ――この世界で、この一族で。裏稼業を生業なりわいとしている猫の亜人デミグランデの一族の末子。それが転生した自分の、いつの間にか置かれていた居場所だった。






 けれども、ある日――俺は家族の目を盗むようにして、森の中をひたすらに走っていた。……耐えかねて逃げ出した。どうしてもついて行くことができなくなった。


「……だってそうだろうよ……」


 強盗だの盗みだの――そんなの、前世の倫理観が邪魔をして。やれと言われたところで、どうしても躊躇ちゅうちょしてしまうって。そんな生活を続けていて、まともな生き方ができるのかと。


 そうして考えると、ただただ怖かった。兄弟たちは誰にも『それが危ういことだ』と矯正されずに成長してきたのだろう。自分だって、誰かに教えてもらったわけじゃない。前世の記憶が蘇らなかったらもしかすると、と考えると背筋が寒くなった。


 ……あくまで、この世界とは違う倫理観だけども、そういう“マトモな考え”ができるようになったという点では、前世の記憶というのも悪いものじゃない。


 この世界で初めて出会う固有名詞や物は流石に別だけど、その前世で覚えた知識のおかげで直ぐに意味も理解できるし。急に何ヵ国語も話せるようになったと考えればいいんだ、うん。


『――今ある居場所から逃げ出すつもりかい』

「誰だ……!?」


『なるほど猫の……なるほどなるほど……』


 突然の声。父のものでも、兄たちのものでもない、聞いた事のない声。辺りを見回しても姿は見えず、更に謎の声は続く。


『なに、私はただの魔法使いだ。少しだけ、君の応援をしてあげようと思ってね』

「…………?」


 ――頭上に生い茂る木々の葉群から、何かが落ちてきた。そこに隠れているのかと目を凝らしてみても、何の姿も映らない。


『君が本当に新たな一歩を踏み出したいと言うのなら、この腕輪を付けるといい。それが君に少しだけ、‟魔法”という名の力を与えてくれる』


 足元に落ちた金属製の腕輪。拾い上げると見た目程には重くもなく、鈍い銀色の輝きを放っていた。‟魔法使い”と名乗った男は、満足そうに説明を始める。


『とは言っても初心者のためのものだから、簡単な魔法しか使えないけどね。――右腕を構えて〈ブラス〉と唱えるだけでいい。それだけで君の身体の中にある魔力を撃ち出してくれる』

「たったそれだけ?」


 自分の前世で聞いた魔法とは少し違う、簡略された動作。魔法陣や長々とした呪文もない。……そもそも、自分の前世じゃあ魔法なんて実在しなくて、あくまで創作上のものでしかなかった。


 なので、これも自分の想像に過ぎないのだけれど……。

 それでも、謎の声は『魔法を使える』と言った。


『たったこれだけでも、魔法は魔法さ。もっと知識と技術が欲しいのなら、魔法学園に入るといい』

「魔法……学園……」


 ‟魔法”という単語も魅力的だったけど、それよりも“学園”という響き。


 ……学園? 学校?

 あれ、前世の俺って、学校に通っていたよな?


 この世界に誕生してからこの年まで成長して。そんな所に縁など全く無かったのだけれど――確かに通った記憶が自分の中にはあった。けれど、それも断片的で具体的な映像が何一つ浮かんでこない。


 ただ一つ、強く湧いた感情は――


「学園生活を……送りたい。普通の学園生活でいい……また……」


 ずっとこんな日陰の世界で暮らして、そのまま死んでいくのは嫌だった。


 前の世界よりも、ずっと厳しい世界なのは分かっている。

 ……けど、せめて“学生”として、年齢相応の人生を過ごしたい。


「――テイル」

『さぁ、ボヤボヤしている暇はないようだぞ――』


 ――新たに加わる一つの声。


 ……こっちはよく知っている。まずい、最悪だ。


「いつか音を上げて逃げ出すんじゃないかと思っていたけどよ。それがどういうことなのか、分かってんのか?」

「……音を上げたんじゃない。これ以上は、ついていけないと判断しただけだ」


 ……まただ。また、いつものように威圧的な態度で、こちらがどう反応するかを眺めている。いつだって見下して、嘲笑あざわらって――あの目つきが自分は嫌いだった。


「選択肢なんてお前には無い。黙って言われた通りのことをやってりゃいいんだ。やりたくありません、嫌です、なんてことが言える立場か? 自覚しろよ、落ちこぼれ」

「……俺は普通に生きたいんだ」


 それまではただ心を殺して、それこそ道具のように振舞っていたけれど。記憶が蘇ったおかげで、それに耐えられなくなってしまった。


「何言ってんだ、普通だぁ? 親父や俺たちを裏切って! 逃げるつもりなのかって、聞いてんだよ!」

「間違っているのは、兄さんたちの方だろ!」


 ――言った。言ってしまった。


 明確な拒絶の意志。これまで道具のように扱われてきた自分が、否定の言葉を述べた。突然の自分の反抗に、一瞬だけエクターは驚くような表情をしたのだけれど――


「……そうかよ。じゃあいい。二、三発殴って無理矢理連れ帰るつもりだったが、


 ざわりと全身の肌が粟立あわだつ。エクターから伝わってくる殺気は本物だった。まともにやりあって勝てるわけがない。自分には逃げる以外の選択肢なんてない。


 向こうがこちらの動きを予測する前に行動を始める。跳び上がって木々の枝に掴まり、葉の中に紛れるようにして逃げ出す。せめて、せめて川にでも出れば――


「前から使えねぇ奴だとは思っていたがよぉ――」

「っ――なっ!?」


 森を抜けてあったのは渓谷。流れる川は遥か下方。そこを飛び降りる飛び降りないの判断以前に――既にエクターがそこで待ち構えていた。


 いつの間にか前へと回り込まれていた。もう一度森に入るしかない。川上か川下か、どこか降りれるところを探して……っ!?


 大きく後ろに跳んだはずが、急に制動がかけられた。いつの間にか襟首を掴まれ、地面に背中から叩きつけられる。


「親父だって、お前には、頭を悩ませていた。いつまでも、足手まといで」


 言葉を区切りながら、頭や腹などを容赦なく蹴りにきて。芋虫のように身体を丸めて何とか耐えてるけども、それでも全身を襲う痛みに、意識を手放しそうになる。


「何にも取り柄のないお前が! 抵抗したところで無駄なんだよ!」

「がっ……!」


 エクターによる重たい一撃が入り、身体が浮かされる。崖から数メートル手前まで転がったところで、左腕を掴まれて吊し上げられる。


「手足を折って崖から放り投げときゃ死ぬだろ。万一、川に落ちたとしても泳げねぇだろうし。母さんには不慮ふりょの事故に遭ったとでも言っておく」


 同じ境遇で、自分よりも長く、うまくやっていた奴に、どうやれば勝てるというのか。完全な上位互換、秀でているところなど、こちらには何もない。


 何か、何か向こうが持っていない、切り札の一つでもあれば少しは結果も変わっていただろうに……。


『それが君に少しだけ、‟魔法”という名の力を与えてくれる――』


「なんだその腕輪――」

「〈ブラス〉!!」


 そう口にした瞬間、全身の力が吸い取られるような初めての感覚が自分の身体を襲い、腕輪を付けていた右腕から眩い光がほとばしった。右半身が吹っ飛ぶんじゃないかと思えるほどの衝撃が自分の身体を襲い、自分を掴んでいたエクターの左手が離れ、地面へと落ちる。


「テェェエエエエイル!! テメェよくも!」


 身体の自由を取り戻し、声のした方を向くと――左腕、左肩、頭と血を流しよろめいているエクター兄さんが、恨みのこもった瞳でこちらを見ていた。足元の崖が崩れ、岩々もろともに落下していきながらも、ありったけの呪詛じゅそを吐き出していた。

 

「絶対に! 絶対に許さねぇからなァ!!」 

「――――」


「は、はやく……逃げ、ないと……」


 他の兄たちが自分やエクターを探して来る可能性もある。

 それなのに、全身を襲う虚脱感のせいで、足を動かすことすらままならない。


「――やれやれ、普通のでいいと言っていたのに、余計な手を加えているようですね……」

「…………!?」


 今となっては、頭を上げるだけの力も残っていない。そんな自分の視界に、影が落ちた。


 ……今になって姿を現して、どういうつもりだ? 声の様子からして、敵意は感じられない……けど……。くそっ……瞼が重たい……


「持っていた魔力の殆どを、あの一発に消費してしまっているじゃないか。一…間違えれば……にな…………だった」


 この際、誰だっていい。自分をここから連れ出してくれ、と。そう口に出すこともできず、意識が遠のいていくのを受け入れるしかなかった。






 ――――。


「うっ……、朝……?」


 ――チカチカと視界が明るく点滅していた。寝ぼけた頭で、意識を失う前になにがあったのかを思い出そうとするも、目を開けた時に強烈な夕日が差し込んできた。


「うっ……ここは……?」


 この世界で初めて見る天井、初めて味わう柔らかいベッド。ここは森の中なんかじゃない。夕方ということは、それほど長い時間寝ていたわけでもないだろう。


 それから次第に記憶がよみがえってくる。

 エクターを撃退して……俺は……そのまま力尽きて倒れてしまったのだ。


 ……まさかまた、死んで転生なんてことは――


「――やぁ、目が覚めましたか?」


 ――聞き覚えのある声で、一気に現実に引き戻された。


「なんっ――」

「ここはどこなのかだとか、なんで助けただとか。そんなことより先に、君に聞きたいことがある。……魔法学園、通いたいかい?」


 いろいろとこちらから聞きたいことがあったのに、それら全てを抑え込まれ質問を投げかけられてしまった。そうした上で、自分が欲していた事がらに関しての選択肢を提示される。……もちろん、首を縦に振る他ない。


「……――はい」

「あぁ、それは丁度良かった。それと、見たところ亜人デミグランデのようですが、完全に人化することは?」


 ……今度は言葉を発さずに頷く。


 意識を集中すると、自身の身体を覆っていた黒い毛が徐々に収まっていく。腕からも、身体からも、顔からも。耳も尻尾も収まっているのは、自分の目で確認する必要もないだろう。


「……素晴らしい。これからはそっちの方が都合がいいでしょうね」


 ――今の自分としては、こっちの方が居心地がいい。


「この街から少し離れたところに魔法学園があります。私なら少しだけ“融通を利かせる”ことができましてね。枠ならいくらでも空いている、欲しいのは生きる力を身に付けたいと強く欲する意志。なんなら‟特待生”枠も余っているから、そこに入れても構いませんが、どうしますか?」


――――――――――――

 ……‟特待生”? 俺が?


 申し出を受けて‟特待生”として入学。

▹あくまで普通の学生として入学。

――――――――――――


「……いえ、そこまではいいです」


 どうせ通うのなら、日常の中で――前回とそう変わらない穏やかな時間過ごしたいと。そう思い、申し出を断る。……前世の自分は、そんな特別な扱いを受けるような人間じゃ無かったはずだ。


「……そうですか。それなら通常枠での入学、頑張ってください。――ちなみに、学園の入学式は明日です。今日はしっかり休むといいでしょう」

「あし――!?」


「なに、そう驚くことはありません。これぐらいは少しの範疇はんちゅうですから」


 いや、そういう問題じゃないって。何もかもタイミングが良いのはありがたいが、こっちにも心の準備というものがあるんだけど。


 行くあてのないまま家を出て。突然聞かされた学園の話に心惹かれ、いつか自分も通いたいと思った矢先にこの話。正直、頭が全然ついていけていない。


「そうですね……手ぶらで行っても追い返されるでしょうから、制服と一通りの道具だけは用意してあげます。腕輪も少し調子がおかしくなっていたから、直しておきましたよ。威力は抑え気味ですが、その方が君にとっても良いでしょう」


 調子がおかしかったって……。

 確かに、あの威力は尋常じゃないとは思ったけど。


 身体の中のエネルギーを根こそぎ持ってかれる感覚、未だに内臓や骨の周りがズキズキと痛んでいる気がする。事故でこんなことになったのは遺憾ではあるが、そのおかげで助かったのだと考えると文句を言う気にはならない。


「朝は店主が起こしにきてくれるだろうから、それらを持って目に入った一番大きな建物へと向かうといい。それからの案内は担当の者がしてくれるはずだ」


 何もかもがトントン拍子で進んでいく。こっちの世界の学園、というより何もかもがアバウト過ぎて訳が分からない。そんな自分の肩に静かに手を置かれ――


「――君の新しい人生の幕開けを、心から祝福するよ」


 そして強引に、人生のスタートを告げられたのだった。

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