第687話 インフルエンザで九尾なのじゃ
冬は寒さと病気の季節。
それは、古の時代から言われていることであり、人間が冬に結びつけたイメージ。
そう、全ての終焉を冬に喩えるように、四季の終わりが冬に現されるように、それは人間たちにとって脅威なのだ。
そして、実際に俺たちはその脅威に晒されていた――。
「あかん、あかん、あかんてホンマしかし!! ワイ、昔からこう先っちょの尖った奴はほんとあかんねん!! マジでかんべんしてやしかし!!」
「……のじゃぁ、ちょっとチクっとするだけなのじゃ。我慢するのじゃダイコン」
「人間、我慢できることと我慢できへんことがあるで!! 口から、口から摂取するタイプのではあかんのかい――なぁーーーーっ!!!!」
ぶっすりと腕に注射針を打たれるダイコン。
情けない絶叫と共に気を失うダイコンホールディングスの顔。
とてもじゃないが、社員には見せられない顔と醜態をさらすと、彼は前のめりに台に倒れこんだ。
そんな彼の身体から、手慣れた感じで注射針を抜き取る加代ちゃんナース。
てきぱきと注射を完了すると、彼女は注射針をダイコンの腕から抜いて、パッチを張り付けるのだった。無駄のないその動き、まさに熟練の技である。
流石加代さん。
出張ナースも見事なお仕事ぶりである。
それでいて命のかかわる大事な場面ではミスをしない。
まさにプロフェッショナルオキツネ。
ふっ、ドンキでナース服を見たときに感じた、俺の直感に間違いはなかった。
「はい、それじゃ、次は桜なのじゃ」
「やだーっ!! おちゅうしゃやだーっ!! ぜったいいたいやつーっ!! それ、ぜったいにいたいやつだからやだーっ!!」
いやいやと首を振る俺を、後ろから羽交い絞めにするものがあった。
誰だと振り返れば、そこにはナース服に身を包んだ偉丈夫。
黒ナース騎士シュラトの死んだ顔があった。
うん、なんで着せた。
今のご時世、男性でも看護師やってる時代だろう。
なんでナース服着せた。
そらシュラトも怖い顔してこちらを見てるってもんだわな。
「桜どの、すまない。これも俺の仕事なんだ、許してくれ」
「……いや、むしろそんな格好をお前にさせてしまった、世界を許してやってくれ」
熟女のナース服はそれはそれで需要がある。
けれども、男のナース服には需要はない。
まったくない。ほぼない。
ちょっと特殊な御趣味をお持ちなお姉さま方のツイッターの中くらいでしか需要がない。そんなニッチな格好をさせてしまって――本当にすまない。
俺とシュラトが視線で会話する。
この時、俺と彼は心の底で何かを分かりあった。
分かりあったが――。
「シュラト!! シュラト、おねがい!! やめて!! ほんと、俺、注射とかマジで無理だから!!」
「観念してくれ、桜どの!!」
ぐいぐいと俺を押す手は止まらない。
ちくしょうシュラトオメー、いつもは仕事てきとーな癖になんでやる気になってんだ。
お前もうその格好だけでクビになるの確定なんだから、そんな真面目にやる必要ないだろう。ほんと、これだから真面目は困るよ。ほんと。
そして、そんなぐいぐいと押すなよ。
お前、一応異世界の騎士なんだからさ。
力強いんだからさ。
痛いんだからさ。
もー。
かんべんしちくりー。
「ほれ、みっともないぞ桜よ!! お主、さっきダイコンのことを養豚場の豚を見るような目で見ておったではないか!!」
「あれはあれ、これはこれなの!! 人が注射されるのはよくっても、自分が注射されるのはよくないの!! そういうものなの!!」
「……えぇいもう、いい加減にせんか!! 往生するのじゃ!!」
ぐいと俺の腕を引っ張り、注射台に押し付ける加代さん。ちゅぅと注射針の先からワクチンを少しだけ出すと、彼女は怪しく微笑んだ。
やめてやめてと戦慄した次の瞬間には――。
ぷすり。
「あふぅん!!」
「はい、力まないのじゃ。すぐにおわるのじゃー。いいこいいこなのじゃー」
俺の静脈に静かに流れ込んでくる液体。
その冷たさを感じながら、俺はしばし気をやった。
つぷんという音と共に俺の腕から注射器が抜ける。
ほわぁという声も同時に喉を抜けた。
終わってしまえばどうということもない。
どうということもないが。
どうしてこうも怖いのかお注射。
三十にもなって、まだこれなのだから、一生ずっとこうなのだろう。
ダイコンもなんかそんな感じだしね。
「まったく、インフルエンザの予防接種くらいでおおげさな」
「気合が足りないぞ、桜どの、ダイコンどの」
「……あぁ、そうだな」
けど、仕方ないじゃない。
冬は人間にとって死の季節。
その季節と共にやって来るインフルエンザの注射もまた死の使者なのだから。
「インフルエンザにかかってしんどい思いするより、ちょっとだけちくっとするのを耐える方がマシなのじゃ」
「……マシとかマシじゃないとかじゃないんだよ」
理屈じゃないんだ加代さん、注射ばっかりはよう。
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