第661話 デッサン力で九尾なのじゃ

「決めた、私は漫画家になる」


「なら、僕は消防士」


わらわは看護師」


「小学生なの!!」


「きゅるくるくくーん!!(特別意訳:この作品のマスコット)」


 〇原、〇原、本気になったら〇原。

 CMじゃないっての。いきなりあんた何を言い出すかと思えばまたしょーもない。漫画家になるだって。なれるものならなってみろってんだいこのトンチキ。


 休日の一幕。


 親父とお袋をデートという名の買い出しに追い出して、居間でテレビを見ながら茶をしばいていた俺と加代は、突然部屋に入って来たシュラトにそんな茶化すようなレスポンスを返した。


 え、なにこれという感じで固まるシュラト。

 異世界転生人に〇原ネタはちょっとハードルが厳しかったのかもしれない。

 それでなくても、彼が珍しくやる気になっているというのに、ちょっと冷たかったかもしれない。


 反省。

 俺はちょっとばかり自分の行いを顧みて、彼の大切な決意に対して不誠実だったかなとそんなことを思った。


 ただまぁ、今まで不誠実に生活をしてきた人間に、今更何を襟を正す必要があるのかというそこんところはあったが。


 なにはともあれ――。


「シュラト。仕事をしたいと言うのはひきこもりのお前にしてはいい兆候だ」


「のじゃ、自分の新しい可能性にチャレンジしてみるというのは悪いことではないのじゃ。もともと働いていない訳だし、なにもしないよりはよいのではないか」


「なの。シュラトお兄ちゃん、経験はお金で買えないものなの。失敗しても、元からお兄ちゃんには失うものなんて何もないから、怖いことなんてなにもないなの」


「きゅるくるーん(特別意訳:ようやくはたらく気になったかこのごく潰し)」


「私が失敗する体で話を進めるのやめてくれないか!!」


 いや、十割失敗するだろう。


 お前、漫画家だよ。


 だいたい小中高生が一度は目指して挫折する漫画家だよ。

 作品を一つ作り上げるだけでもたいへん。さらに、それを人に読んでもらうのも大変。PDCAサイクル回すのも一苦労で、とても難易度の高い漫画だよ。


 そんなん失敗するに決まっているじゃないか。


 よしんば、シュラトが天才漫画家――某〇クマンの主人公たちみたいに最高に才能に溢れていたとしよう。それでもお前、彼らだって天才たちが蔓延る漫画界の中で、過酷なランキングレースを戦っているじゃないか。


 そんな戦いに身を投じる覚悟はあるのか。

 ちょっと思い付きで、俺でもできると思ったんじゃないのか。

 継続は力なりと描き続ける気概もなく、さっさと筆を折るんじゃないのか。


 そんなの感じない方がどうかしている。


 まぁけど、先に言ったとおりだ。

 何もしないよりはマシ。


「シュラト。お前は生きているだけで、この地球上の酸素と炭水化物と水と脂肪とタンパク質を消費する、うんこ製造マシーンだ。それが漫画を描くことで、ちょっとだけ人間に戻れるのだから、何も気兼ねすることなんてないぞ」


「ひどい言いようじゃないか!! 流石にニートから苦情がくるぞ!!」


「ニートに人権なんてないのじゃ!!」


「加代さん!! 加代さんが一番言ったらいけない奴!! 就労意識はあるからニートじゃないけど、実質的にニートと変わりない加代さんが言うと地雷な奴!!」


 とにもかくにもやってみんさい。

 俺は無茶苦茶にけなしながらも、シュラトの奴を励ましたのだった。


「……まぁ、けど、ほんと漫画家は難しいと思うよ。絵の上手い人なんて、世間にはまたぞろいる訳だし、そこに加えて話を造るうまさとかも必要になってくるし」


「話は原作をつければよかろう。昨今、漫画原作なんてWEB上にまたぞろ」


「それ以上、言ってはいけない」


「のじゃのじゃ。絵に特化するというのならそれもまた生存戦略というもの。どれ、それではシュラトがどれほど書けるのか、ひとつここはお手並み拝見」


 すっと紙とペンを取り出す加代さん。

 流れるような所作でそれをシュラトに渡す。


 受け取ったシュラトはすぅと息を深く吸い込んで目を綴じると、画竜点睛か一気呵成か、凄まじい速さでペン先を走らせた。


 おぉ、この気迫の入った筆致、筆運び、そして――。


「壊滅的な!!」


「デッサン力!!」


「なの!!」


「きゅるーん(特別意訳:なんじゃこりゃ)」


 ふぅ、と、やり切った感じで俺たちに紙を差し出すシュラト。

 派手にペンを走らせた割りには余白が目立つその真ん中には、ちょこなんと黒い豆粒のような何かが描かれていた。


 なんなのか。

 少なくとも、読者にそれが判別できるほど、彼のデッサン力は高くなかった。


「……これは、猫?」


「……いや、熊なのじゃ?」


「……ゴキブリさんなの?」


「くぉーん(意訳:名状しがたい何か)」


「のり!!」


 のり。

 いい笑顔で答えるシュラト。

 えっ、という表情を向けると、彼は再びキメ顔をしてこちらに言う。


「のり!!」


 いや。


 のりを描いてこれはあらへんやろ。

 この躍動感は。


 逆に、これでのりならデッサン力とか表現力とかそれ以前の問題だよ。

 ちゃんと四角くして、それっぽくしろや。


「あるいはおはぎ!!」


「自分でも何描いたのか分からないのかフォックス!!」


「のじゃ!!」


「なの!!」


「きゅーん!!(特別意訳:だめだこりゃ)」


 やっぱり今回もシュラトの就職は難しそうです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る