第289話 安定の屋上オチで九尾なのじゃ
客先常駐の仕事というのは面倒臭い。
やはり自分の会社の事務所で仕事をしている方が気分としては楽だ。何が違うって、客先の目がある。欠伸の一つを見咎められて、咳ばらいをされるのだからたまったものではない。
人間なのだから、欠伸もするし、トイレにも行くし、ブレイクタイムにコーヒーも飲むし、調子が悪けりゃ意識も飛ぶ。
そんな姿を逐一監視されていると思うと、胃が痛い。
という訳で、俺は前の会社に居る時は、極力案件は本社に持ち帰るようにしていた。客先でお仕事をするのは控えるように気を遣っていたのだ。
その点、今の会社は完全に事務所内で仕事が閉じているので安心。
なんてことを思っていたんだが――。
「すまない桜くん。客先から、システムの導入に合わせて、トレーナーを派遣して欲しいと言われてて。君、行ってくれないかね」
「……はぁ? ちょっと待ってください、こっちの開発はどうするんです?」
「それも掛け持ち」
「……いきなりブラックな展開になって来ましたね。ちょっと、どうしたんですか? 経営陣に何かあったとか?」
いや何もないよ、と、課長が悪びれることもなく言う。
曰く、客先からの強い要望なのだという。
会社としても、初めてのお客様なので手厚くサポートしたいんだとか、なんとか。
「君の同期くんはあれでしょ。人当たりはいいけど、今一つ頼りないし」
「チームでトレーニングできるレベルの人間となると居ませんしねぇ」
「分かってるじゃない」
「けど、リーダーやる人間も居ないじゃないですか」
「別に四六時中、向こうで応対しなくちゃいけない訳じゃないんだ。空いた時間に、パパッと見ちゃってよ」
「うわぁブラック。ここに来て、初めてのブラック発言に、正直ドン引きですわ」
「というのはまぁ冗談で。こっちの案件については、先方からちょっと忙しくして主担当者が会議に出られないって連絡が来てるのよ。だから、まぁ、ゆるゆると開発進めていいことになってるから」
あぁ、そうなの。
上のレベルで話としてはきっちりついてるのね。
だったら、問題ないわ。
俺は分かりましたよと恩着せがましく常駐の話を受けた。
できればやりたくなかったけど。
本当はやりたくなかったけど。
かくして、システム導入開始から二カ月間という前提で、俺は納入先の会社に常駐することになったのだった。
が――。
「うへぇ、考えうる限り最悪のブラック企業」
所謂、製造装置向けのセンサ類を取り扱う会社なのだが、四六時中電話が鳴りっぱなし。更に、お呼びがかかれば即対応・即出張、労働基準法なんぞ完全無視という有様である。定時なにそれ美味しいのという顔をみんなしている。
周りを見渡せば、全員顔色が土気色。
今にも、怨嗟の声と共に発狂して、何か事件でも起こしそうな、そんなヤバい雰囲気がある。
どうしてこんな所にシステム納入した。
少なくとも、うちと折衝に当たっていた人事部署は、もうちょっとまともだったように思うのだけれど。
うぅん、と、思わず唸り声が出てしまった。
とまぁ、当然そんな所で、俺がまともに定時に帰れるはずもなく。
「桜さん、これ!! お客さんからの稟議書を添付して登録したいんだけど、どうすればいいの!?」
「日報の入力処理の途中で落ちるんだけど、バグだよねこれ。ちょっと、どうしてくれるんだよ、時間泥棒とか勘弁してくれる!!」
「間違えて登録してた図面消えたんだけどなんとかならない!? ていうか、この社内システム、インターフェイスがクソなんだけど!! こういう誤動作引き起こすようなデザイン勘弁してくれる!?」
地獄か。
久しぶりに味わう、抜き差しならない余裕のない仕事のやり取り。
日付をまたいでまでそんなのに付き合わされて、はや二週間、俺は完全に疲れ切っていた。
休憩に、煙草を吸いに屋上へとやって来てみれば。
「おうこら、クソシステムの納入社員が煙草休憩とはいい御身分だな」
と因縁つけられる始末である。
好きで納入したんと違うわい。ぶち〇すぞボケ。煙草くらい好きに吸わせろや。
あかん、ここでキレたらあかんと思いつつ、俺は無視して煙草を吸った。
あーもう、日本の会社なんて全部潰れてしまえばいいのに。
「まぁ、しゃあないわな。売ったのはこっちなんだから。サポート契約で、ちゃんとお金も貰ってるんだから」
ちなみに、残業代もちゃんと貰っている。
システム導入を主導した人事部の方からは、うちの社員が荒っぽくて申し訳ないと、顔を合わせる度に頭を下げられる始末である。
喧嘩を売られたり、頭を下げられたり、温度差にどうにかなってしまいそうだ。
これがあと一カ月と半続くと思うと――。
「やってられん」
つっても、今更本社に泣きついて、人を変えてくださいとも言い出せない。
どうしたもんかなぁ、と、思っていた矢先。
ふと、戻る途中で立ち寄ったデスクの一角で、知ってる顔を見つけた。
「のじゃぁ、すみません、すみません。はい、納入したセンサの型式が間違っておりまして、既存の装置との互換性がないことがわかりまして。すぐに互換性のあるセンサをお送りいたしますので、そちらの方のセンサを送り返していただきたいのじゃ」
加代である。
あぁ、そういやまた最近、ちゃんとした職に就いたとか言ってたな。
ここ最近は好景気だから、仕事さえ選ばなければ、正社員になれるのじゃ。
とか、自慢げに言っていたが。
そうか、ここだったかぁ。
気の毒になァ。
「加代くん、まーたやらかしたのかね!!」
「のじゃぁ!! 部長!!」
出て来たのは、加代の所属している部の部長さんらしい。平社員に対して、わざわざ注意に出て来るとは、なかなか暇している部長である。
あ、しかもこいつ、見覚えがあるぞ。
確か以前、勤怠管理の承認方法間違えて、俺に怒鳴り込んできた奴だ。
ちゃんと渡したマニュアル通りやったのかと聞いたら、そんなもん知らんとか言って、再度マニュアル渡して教えなおしたんだっけ。ややっこしいマニュアル書くてめえが悪いとか、そんなことを言ってきて、血管浮き出た思い出があるわ。
他の管理職は、そのマニュアル見てちゃんと仕事こなしてんだよ。見にくい訳があるか馬鹿。てめえがめんどくさがって読まねえだけだろ、クソ。
だいたいインターフェイスも、ミスしないようにちゃんとしたデザイナーに――。
と、その時。
陰険部長が加代の肩に、その野太い手を載せたのが目に入った。
――あぁん。
「こんなくだらんミスばっかりして!! それでも君は社会人かね!!」
「すみません、すみません、なのじゃぁ……」
「せっかく拾ってやったというのに、その恩を仇で返して恥ずかしくないのか」
「のじゃぁ」
「……まったくこれだから最近の若い娘は。ちょっとこっちに来なさい、人前で説教するのはなんだ、個室で話をしよう」
あぁ、そう。そういうねぇ。
分かりやすい話もあるもんだね。
古臭い会社だなと思ったけれど、やってることも古臭いのな。
見れば、同じ島にいる女性社員も顔を背けている。
分かりやすいな。こんな安っぽい昼ドラ展開、俺は遭遇することになるなんて、思いもしなかったよ。
しかしまぁ、昼ドラ展開になる前に、遭遇してよかったとも思うけどね。
「ゴルァ、このセクハラ部長が!! てめぇ、女性社員になにしてんだ!! 今すぐそいつの肩から手を離しやがれボケナスが!! 〇すぞゴルァ!!」
「な、なんだ君は!!」
「てめーらの会社から給料泥棒させて貰ってるごくつぶしだよ!! てめえみたいなセクハラクソ管理職よりよかマシだろうがな!!」
「だ、誰がセクハラだ!! 私は彼女に注意をしようと思って――」
「だったら、俺にも注意して貰おうじゃねえか。おう、会議室でも屋上でも、どこでもいこうや部長さんよぉ」
俺は加代とそいつの間に入ると、全力でメンチを切っていた。
あぁあぁ、まーたやっちまったよ、俺のアホめ。
内なる自分が囁いたが、まぁ、仕方なかった。
「し、
同居狐を守るためなら、俺は幾らだって悪人になれるさ。
なぁに、クビになるのは慣れてるしな。
誰かさんと同じで。
HAHAHA。
◇ ◇ ◇ ◇
後日。
俺はクビになることはなかった。どころか、某、セクハラ部長を止めたその功績を認められて、何故だか常駐先で一目置かれるようになった。
その日の内に、こんなことではいけないと、立ち上がった女性社員たちが俺と喧嘩した部長をセクハラで摘発。更に、部長の携帯からいろいろとデータが出て来た事で、彼が不適切な関係を部下に迫っていたことが証明されたのだ。
即日、部長は懲戒処分。
彼にセクハラを受けていた女性社員たちは、会社からの支援を受けて、集団訴訟に出ることになったらしい。
なお、幸なことに、加代の奴はそういう目にはまだあっていなかった。
これが一番嬉しい話なのだが。
まぁ、こんな目にあってしまっては仕方ない。
結局のところ、加代はこの会社をまたしても自主退職することになったのだった。
ほんと、色々と運のないやっちゃな。
「いやぁ、助かりましたよ桜さん。あの部長の素行の悪さは私達も手を焼いてて」
と、呑気に言うのは、常駐先の人事部長さんだ。
今回の一件を受けて、妙に機嫌がいい彼は、俺の手を取ってにこやかに言った。
別に感謝されるようなことは、俺はやった覚えはないんだけれどもな。
ただ、自分の同居狐を守っただけで。
褒められるようなことでもない気がする。
だがまぁ、感謝は感謝として、ありがたく受け取っておこう。
俺は人事部長さんの手を握り返した。
「いやはや、貴方の派遣をお願いした甲斐がありましたよ」
「……はい?」
なんだそれ、どういう意味だ。
今一つ、真意を測りかねるその言葉に、俺が首を傾げる。
すると人事部長さんが、聞いていないんですかという顔を俺に向けた。
うん、聞いていない。
何も一切、聞いていない。
「貴方の会社に、サラリーマン〇太郎みたいに、正義感に厚い漢が居ると聞いて。是非ともそんな社員をお招きして、我が社に蔓延る悪い風を一新して欲しいと、そう申し上げたんですよ」
「サラリーマン〇太郎って」
「聞けば、色んな会社で、ぶちキレてこられたんですよね」
一回りは年齢が違うだろう人事部長から、期待の眼差しが飛んで来る。
あきらかに、そのサラリーマン〇太郎と呼ばれている社員が誰かは、言われずとも分かった。そして、そんな風に、うちの会社で扱われていることも。
今回の例外的な常駐の意図が、ようやく分かった。
おのれ課長。
「……あとで、本社に戻ったら屋上で話しようやって、メール入れといてやる」
こっちだって、好きでブチ切れてんじゃないってえの。
まったく、やれやれだぜ。
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