第211話 パチンコのナゾで九尾なのじゃ

 副社長はまさしく、加代の言った健啖家の評に恥じない、見事な食べっぷりを俺に見せつけてくれた。


 ヒレカツを二枚重ねて食べる老人なんてそうそうお目にかかれるものではない。

 もうそろそろ定年も近いだろうに、この食欲、そしてこの力強い咀嚼力である。


 こらしばらく介護は必要なさそうだな。


「どうした、お前さんも食べんのか?」


「あぁ、はい、いただきます」


 さてさて、何か大事な話があるのかと思えば、普通に食事である。

 三国社長と会う時などには、こう――いかにも社会派小説的なやり取りをするというのに、まったく一心不乱に目の前の爺さんはかつ丼をかっ食らっている。


 時々、思い出したようにおしんこをかじるのも忘れない。


 うぅむ。

 なんだか、せっかくこうしているのが勿体ない気がしてきた。


「若い部下とサシで飯を食う。これも大切なコミュニケーションだからな」


「ソウデスネー」


 本気でこの爺さん、飯食うだけのために俺を呼びつけただけだ。

 なんだか拍子が抜けた感じでそばをずるりとすする。


 ざるそばだってのに、分厚いおあげさんが載せられたそれ。

 ひょいと横に油揚げを除けて、ワサビとねぎの入ったタレの中にそばを入れると、ずずいとそれを喉の奥へと吸いこんだ。


 はぁ。こんなことなら食事を断って、家でのんびりとしておくんだった。


 喉をずるりと蕎麦が通り抜けていく。

 すると副社長が食べる手を止めて、そのぎょろりとした目を俺に突然向けて来た。


 若いくせに通な食い方をするなと、好々爺が笑うのに苦笑いを返す。

 まぁね、と、首肯でそれに応えると、俺は気にせずそののどごしを楽しんだ。


 まぁ、こんな時間にやってる大衆食堂にしては、悪くない蕎麦だ。


 と、そんな時だ。

 喉を通る感触に意識をやったついでに、ふと、俺は胸ポケットに妙な違和感があることに気が付いた。


 はて、何か入れていただろうか、と、胃の中に蕎麦が納まると同時にそこに手を差し込んでみる。すると――。


「あぁ、これは」


「どうした?」


 パチンコ玉。


 件の、会長襲撃の際に俺が回収したそれが胸元には入っていたのだ。


 そうそう、そうだった。

 警察に証拠品として提出したが、俺の指紋以外は出てこなかったと言われたそれ。

 証拠として使えないのなら、ちょっと返してもらえないかと頼んで、つい先日、それを受け取ってポケットにしまい込んでいたのだ。


 まぁ、うん、だからどうしたという訳でもないのだが。


「なんだ銀玉か。お前さん、ギャンブルもやるのか」


「えぇまぁ。若人は金の使い道がないものですから」


「健全だな。ワシもよく社長――今は会長か。三国さんと一緒に打ちに行ってたぜ」


「アケボノ会館ですか?」


「なんで知ってる?」


 面食らった副社長が、割り箸をどんぶりの上に置いてこちらを凝視した。

 そんな目玉が飛び出るくらいに驚かなくてもいいだろうに。


 この辺り、かいつまんで俺は副社長に、ゴルフ場での出来事と共に、この球の経緯を説明した。


「ふーむ、アケボノ会館の銀玉ねぇ」


「もしかして、そのパチ屋に恨まれるようなことを会長はしたんですか?」


「それはない。ワシと社長は向こうにしてみれば太い客だったからな。おかげで月末に、電気代が払えないとカカァをよく泣かしたもんさ」


「ははは……」


 ふと、背後から視線を感じる。

 うちには泣かすカカァはいませんが、怒るオキツネ様はいらっしゃるんだよな。


 目ざとくギャンブル話に反応した加代が、釘を刺すようにこちらを睨んでいる――見なくてもなんとなくそれが気配で分かった。


「しかし、アケボノ会館も潰れて何年にもなる。どうしてこんなものが出てきたか」


「会長襲撃に何かしら関係あるのかと思ったんですがね」


「と言っても相当に古い店だ。あの店を知ってるのは――うちの会社じゃもう、ワシと三国会長くらいだがなぁ」


 なら、外部の犯行だろうか。

 当時の常連客の中で、三国会長と副社長を憎んでいる人間がいた。


 それが、積もり積もって、こういう形で――。


 いやいや、それは流石に論理の飛躍という奴だろう。

 考えすぎだ。


「なんにしても、一度、アケボノ会館の関係者に会って話してみたいとは思ってるんですがね。会長は多忙で、相手をしてくれなくて困ってるんですよ」


「ほぉう」


 そのなんだか間延びした副社長の声に、妙ないやらしさを感じた。

 それはちょうどいい、とでも言いたげなニュアンスだ。


 なんだこの爺さん。

 やっぱり何か目的があって、俺を食事に誘ったのか。


「はーい、お客さん、空いてるお皿はおさげするのじゃ。余ってるお揚げはいただくのじゃぁ」


「お前本当、こういう時でもまったくブレないな」


 副社長と俺の会話の中にするりと入りこんで、加代の奴が食器と油あげをかっさらっていく。代わりに出された、湯呑に入ったお茶をすすりながら、副会長はにんまりと今日一番の愉悦に満ちた表情を俺に見せた。


 嫌な予感はしない。

 ただ、あまり、よい予感もしない。


「その話、ワシが会長の代わりに引き受けてやってもいいぞ」


「本当ですか?」


「ただし条件がある」


 条件。


 はて、なんだろうか。


 もしまた直属の部下になれというのなら、それは流石にお断りだ。


 俺は今の仕事でも手いっぱい。

 これ以上の権限を与えられたら、パニック起こして精神的にダウンしてしまう。


 また、本当に副社長が男色家で、これからどう――なんてのもそこはきっぱりとお断りさせていただく。


 俺はノンケなのだ。

 そして、出世のためになんだってするような男ではない。


 はてさて、どんな条件が飛び出してくるのやら。

 落ち着いたふりをして、俺も湯呑に手を伸ばす。


 茶柱が残念に横向きに浮いているそれを眺めて、ふぅと一息、口から息を吹きかけると、ゆっくりと口の中へと注ぎ込む。

 緑茶の苦みが口内に広がったその時だ――満を持して、副社長が口を開いた。


「お前さん、ワシの孫娘と見合いしろ」


「ブゥーーーーーーッ!!!」


「のじゃァーーーーッ!!!」


 噴出さずにはいられない。

 そして、狐も皿を落とさずにはいられない。


 それはなんとも予想だにしなかった副社長からの条件だった。

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