第202話 ババを引くのは誰で九尾なのじゃ

 臨時役員会議に呼ばれた。

 それは俺の次長への人事異動に関しての会議ではなく、明らかに例の第二営業部で起こった問題に関して、責任の所在を明らかにする場であった。


 どうして、俺が呼ばれたのか。

 そして針のむしろのような心地で、この場所に立っていなくてはいけないのか。

 すべて、合理的に説明することのできるものはどこにもなかった。


「君に責任を取ってもらいたいと思っている、桜くん」


「――はい?」


「今回の第二営業部で起こった業務遅延、および、それに関する監査にまつわる全ての責任を、君に負ってもらいたい、そう、私たちは考えている」


「――どういうことですか? 私は、今回の一件にまったく関係のない人間ではないですか」


 関係ないということはないだろう、と、笑ったのは社長だ。

 白戸がその言葉に合わせるようについと視線を俺から逸らしたのが見えた。


「そうだな、今回の案件の見積もりについて、不正に情報を改ざんすることができる人物がいたとしよう。彼は、そう、でね、そういうデータの改ざんが得意だった――我々の監査の目も通らない、そんなレベルで」


「プログラマーを魔法使いか神様みたいに思っておられるようだが、そんなのは小説の中の世界の話だ。見積もりを不正に改ざんするなら、会計屋の方が筋が通ると、俺は思いますがね」


「おっと、怒らせてしまったかな。すまない、これはちょっとしたジョークだ」


 本気でそんなことを考えている訳ではない。

 そんなことを平気で言い出すほど、自分も世間知らずじゃないさとばかりに、三国社長は俺の前で手を広げてみせた。


 この辺りの説明は自分の責任範囲ではないとでも言いたげに、彼の視線が白戸へと向かう。社長の意をくみ、話を引きついだ時期部長は、その場に立ち上がると、俺のほうにここ最近は見せたことのなかった、冷たい表情を向けた。


 感情のこもっていない実にいやな顔だ。

 どうすれば、そんな能面のような顔をできるのか、不思議に思う。


「今後、官公庁から入る監査についての主担当者になってもらいたいということだ。君のクレーム処理能力を買っての抜擢だ」


「クレーム処理もくそもないでしょう。明らかに真っ黒――問題になるのが分かりきっている案件だ」


「そういう仕事だからこそ、君の能力が問われる」


「黒いものを白いと言わせるのが仕事だっていうのかい。たしかに前職で難しい交渉は何度もしてきたが、俺は別に客に対して不誠実に仕事をしてきた訳じゃない」


 胸を張って言えることだが、俺は適正な価格で適正な仕事をしてきたつもりだ。

 その中には、当然、余裕という意味で、ある程度の利益はのせてきた。


 しかし、労働の対価に対してあまりに不釣り合いな条件で、仕事をしてきたつもりはない。前職でもそうだし、今の職場でもそれは変わらない。


「悪いけれども、俺はあくまで仕事人だ。そういうのは専門外だよ」


「社命だやりたまえよ、と、言っているのだ、社長は」


「それでトカゲの尾っぽきりですか」


「うまくいけば、相応のポストは約束しよう」


「明らかにうまくいかない――出目の分かりきったさいころを振るギャンブラーがいると思いますか?」


 ギャンブラーでもそんなものは振らないだろう。

 話しているうちに、どうしてこんなことになったのか、なぜ、こんなことを言い争っているのか、と、なんともいえず情けない気分になってきた。


 とどのつまり、この臨時役員会議では、生贄として誰をこの仕事に捧げるかを話し合っていた訳だ。第二営業部、そして、社長派の人間で、最も切り捨てて惜しくない男となれば――それは俺になるのは仕方ないだろう。


 しかしなんだって、こんな役目を押し付けられる。あんまりもいいところだ。


「出目が分かりきっていても、誰かがやらなければならないことがある。第二営業部はの管轄だ。だから、でけりをつけてやりたい」


「そんな風に思われていたなんて、なんとも光栄だな」


 社長からの直々のお声がけも無視して、俺は白戸を睨みつけた。

 おそらく、この件について、俺を売ったのはこの男だ。


 実質的に第二営業部を回していたのはこの白戸だ。彼が今回の件について、絡んでいないわけがない。

 そして、彼の昇進を阻むようにして起きたこの不祥事である。


 状況からして、我が身可愛さに、俺を人身御供として建てるように言ったのだろう。彼ならば、うまくやる――ではない、彼ならば切ってしまっても問題ない、と。


 恨むぜ白戸。


 こんなことになるのであれば、彼に接触するのではなかった。

 後悔に背中が汗ばむのを感じた。前の会社で、突然首になった時もそうだったが、どうしておればかりこんな目に合うのか。


 厄介な星の下に生まれてしまったことを呪うしかない。

 案外俺もどこぞの駄女狐のことをどうこう言えないくらいに、俺も仕事運はないほうのようだ。今夜はあいつに慰めてもらおう。


「――いつの間に身内にされたのかは知らないが、俺はあんたの親父の肝いりだぜ。それをこんな捨て石にしてしまっていいのかよ」


「捨て石になるかどうかは君次第さ。それに、親父――会長からも許可はとってある」


「ぐだぐだ言うのは性じゃない。わかった、やれというならやってやる。だが、覚えておけよ――うまくいったら、それ相応のポストをって話を」


「あぁ、もちろん。白戸くんを一つ飛ばしに、取締役にしてあげてもいい」


 それだけ難しい仕事ということか。

 まぁ、どこぞの採掘現場で働いていたことを考えれば、所詮はデスクワークだ。ブラック労務くらいはなんてことはない。

 

 それに失敗したとて、会社にいなくとも彼らの関係を調べることはできるだろう。


 机をたたいて、あくまで不本意であることを表明してから、俺はその場に立ち上がる。役員たちのぎょっとした目が集まる中で、俺は天井を見て深呼吸をすると、再びその視線を、正面の社長、そして副社長へと向けた。


「この仕事、謹んでお受けいたします」


「――うむ」


「君なら、そう言ってくれると思っていたよ」


 かくして、異業種で初めて経験するデスマーチに、俺は足を突っ込むことになったのであった。


◇ ◇ ◇ ◇


「桜、お帰りなのじゃ。お風呂にする、ご飯にする、それとも、わ・ら・わ?」


「――どれも準備できてない状況で、よくそういうこと言えるな」


 ごろりフローリングの床に寝転がって、今週発売の漫画雑誌を眺めている加代。お疲れなのだろう、完全に尻尾を出しっぱなしにして、耳も垂れた状態でたれ狐という感じにその場にうつぶせになっている。

 そんな彼女の背中にまたがって、よっこらせとその肩を揉む。


 パートジョブか、それともアルバイトか、なんにせよ、疲れにつかれた彼女の肩は、だらしのないポーズとは裏腹にがちがちであった。そんな彼女のそれを、優しく丁寧にもみしだいていく。

 ひくひくとその頭の先の耳が動いた。


「のじゃ、気が利くではないか、どういう風の吹き回しなのじゃ」


「いやなに、これから、いろいろと迷惑をかけると思うと、ねぎらっといたほうがいいかなと思ってな」


「――厄介ごとなのじゃ?」


「まぁな」


 加代がごろりと俺の股の下でひっくり返る。そうして、こちらを見上げてきた目は、なんとも優しいものであった。


「のじゃ。男には、そういう難しい仕事をやらねばならぬ時があるものなのじゃ。桜よわらわが全力サポートする故、思う存分やってみるのじゃ」


「えぇ、お前のサポートって言われてもなぁ」


「のじゃ。うまくいかなかったらその時は、いつぞやのように――」


「中小企業ならいざしらず、大企業が相手なんだ、そこは勘弁してやってくれ」

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