第193話 大人のご褒美で九尾なのじゃ

【前回のあらすじ】


 テレビ局の新スタジオ建築の受注により、第二営業部の次長の座を射止めた桜。

 着々と、社長派に取り入られた桜は、次の男同士の夜の付き合いを見据えていた。


しゃくりゃぁ、出世するのは構わんが、わらわは一緒にいられる時間が少なくなって、ちとさみしいのじゃ」


「人の職場に断りもなくころころ現れといてそれを言うかね」


「仕事が終わったら、まっすぐお家に帰ってくるのじゃ。寄り道しないのじゃ」


「あいあい、わかったよわかったよ。しかしな、それも仕事の内だったりするからな」


「のじゃぁ?」


◇ ◇ ◇ ◇


 役員会議が終わった週の二日後。

 金曜日の夜。定時退社推奨日のその日に、そのお誘いは突然やってきた。


「桜くん。悪いんだけれども、残業を頼めないか?」


「――かまいませんが」


「ありがとう。なに、すぐ終わる仕事だ。それが終わったら、


 白戸からのあまりに白々しいノミニケーションのお誘いであった。

 しかしまぁ、回りくどい言い方をする奴だ。業種が違うとここまであれかね。俺らなんかは、今日飲みに行かないかと、もっと直截な言い方をしたものだが。


 まぁいい、断る理由もない。

 そして、その一杯おごるという言葉の中に隠された、真意という奴を俺はこの二日間、それも今日ではないかと見計らって待っていたのだ。


 ちっと舌打ちが聞こえる。

 近々、次長から降格、部署移動になる予定の現次長の、じっとりとした目がこちらを見ていた。この人もたいへんである。まぁ、もっとも、管理職の才能がないのは目に見えてあきらかなので、降格の人事は彼にとってはよいものだろう。


 人生、なにも役職を上り詰めるのが、理想の生き方ではない。


 そしてたぶんそれは、俺もなんだろうけれども。

 まぁ、しばらくは無理してなんとかやっていけることだろう。せめて、会長の命を狙う輩の正体を暴くくらいまでは。


◇ ◇ ◇ ◇


「どうだい。こういう高級クラブに入るのは、初めてだろう?」


「プログラマー時代に、気前のいいクライアントさんに何度か連れて行ってもらったことはありますよ。と言っても、ここまでの美人ぞろいではなかったですけどね」


「やだぁ、桜次長さんったら、お上手」


 白いドレスを着た、巻き毛の女の子が俺に太ももを密着させて言う。

 大学生くらいだろうか。みずみずしい肌をした彼女は、先ほどからさりげなく、俺にボディタッチをしてくる。おそらく、未来の上客さまを捕まえようと、そういう気持でサービスしてくれているのだろう。


 十八年もののウィスキーをロックで飲みつつ、俺はそれとなく女の子の内腿もに触る。やはりその気があるのだろう、まったく嫌がるそぶりも見せず、彼女はふふっとくすぐったい鼻息を俺の首に吹きかけてきた。


 浮気はダメ絶対。

 いつぞやの加代の言葉が頭を過る。

 しかし、これもお仕事の一環なのじゃ。許してなのじゃ。もみもみ。


「いやん、桜さんたら、ちょっと、それは」


「あぁ、ごめんごめん。あんまり触ってて気持ちよかったから、ついね」


「もうっ、女の子の体は繊細なんだからね」


「そうなんだ。じゃぁ、壊れてしまわないように、抱きしめて守ってあげようか」


「やだ、甘えんぼさんなのね。意外ぃ」


「そうかな」


「――この世に自分以外の人間が居なくなっても、なんとなく生きていく。そんな感じがしますよね」


「それ、褒めてるの? カエデちゃん?」


 マドラーでグラスをかき混ぜているつややかな黒色をしたショートボブの彼女が言った。右目に泣き黒子を持った彼女は、薄化粧にいかにもな美人さんという感じで、着ている衣装も飾り気もなく、どこかこういう空間には不相応にも見えた。

 しかしながら凛としたその顔だちは、間違いなく夜に生きている女の顔だ。

 そんなものなど必要ない、という、自信から来る衣装、そして振る舞いなのだろう。悪いが、俺の隣に座っている女の子よりも、こちらの娘にお相手していただきたいな、なんてことを思ってしまう俺であった。


 また、頭の中で加代の奴が怒る。

 心配しなくても、上司の女にそう簡単に手など付けられるものではない。


「どうぞ」


「ありがとうカエデくん」


 対面に座っている彼女は、水割りのウィスキーを、そっとその隣に座っている男――白戸に向かって差し出した。

 まさしく夜の遊びを心得ているという感じに、彼は出されたそれを、軽く一息で三分の一ほど飲み干すと、優しいほほえみを隣の少女に向けてみせる。

 いつもは非人間的な冷たさで満ちている、そんな彼の男としてのどうしようもないしぐさに、少しばかり口元が緩んだ。幸いなことに、それを見とがめられることはなかったが。


 ここは白戸いきつけの高級クラブ「タマモクラブ」。

 正直、耳にしてあまりいい印象のないお店だが、まぁ、そこは置いておこう。


 そんな一角にやって来たのは、なに、男同士の濃密なお付き合いのためである。

 どうして、男同士で裸の付き合いというのはできないが、裸になったような気になって、お互いの腹を探ることはできる。お互いに、女を侍らせて欲望をほとばしらせれば、どういう人間かなど、一緒にいるよりよく見えてくるというもの。


 少なくとも、白戸の奴が、仕事で見せている通りに、真面目で純情な奴だというのはよくよく分かった。

 カエデに対して、一切自分から手を出すようなことはせず、肩を触れ合わせる程度で満足している辺りに、この男の初心さと、同時に頑なさが見てとれた。

 こういう商売をしている女なのだから、強引に迫ってもいいというのに。


「やだぁ、ちょっと、桜さん。腕、近いよぉ」


「あぁ、ごめんごめん、ちょっと、酔っちゃったかな」


 俺なぞは酔ったふりして、二の腕を女の子のおっぱいに充てているというのに。やれやれ、まったく、俺より若いのか年上なのか知らないが、こんないいクラブに通っておいて、遊び方の分からない奴だ。


 ま、なんだ。

 遊び方は人それぞれだから、言っても仕方のないことか。


「カエデくん。さっきの話の続き、聞きたいな」


 不意に、白戸の奴がそんなことを言った。

 さっきの話というのは、俺の人物評についてだろう。


「あれで意味が分からないのなら、もう一度大学に入りなおした方がいいんじゃないかしら」


「参ったな。僕の将来設計が台無しだ」


 冗談じみて言う白戸だが、その様子にちょっと俺は安堵していた。

 カエデの俺に対する人物評は的を射ている。彼女の言う通り、俺は極端に人間関係に対して淡白な部分がある。

 もちろんまったく誰とも親しくないなど、そんなことはありえないが――この世の誰がどうなろうと、自分さえ無事ならばそれでいいとは、どこか心の中で思っているところがあった。


 最近、その隣のスペースにちょこなんと、キツネが入り込んできた気もするが。


「サツキちゃん。ちょっとサービス過剰じゃないかしら」


「えー、だって、お得意様のお連れ様じゃない」


「それだけじゃない下心があるように見えるけど」


「カエデさんみたいに、太い客がいないからね、私、必死なの。それに、桜さんって、私のタイプだし」


「おっ、それじゃ、アフターどうだい」


「残念。そこまで軽い女じゃありません。ベー、だ」


 サツキと呼ばれた巻き毛の女はそう言って舌を出した。

 もちろん、本気で言ったわけではないが、割とコミカルな断り方が微妙にショックだ。もう少し夢をみさせる反応で断っていただきたいものである。

 なんせ、次期ナガト建設の営業部次長なのよん。


「正式に次長になったら、お祝いにお食事くらいは考えてあげる」


「いいね。昇進祝いはしたいと思ってたんだ」


「あれ、桜くん。庶務課の娘と仲が良いんじゃなかったのか?」


 知っていて、わざとそういうことを白戸が言ってくる。

 この場でのパワーバランスというものを認識させるためだろう。


「それは言わない約束でしょう」


「やだ、桜さん、恋人いるの? ちょっと、それじゃ、さっそくだけど、アフターしちゃおうかな」


「どういう心情の変化かな、おじさん、ちょっと驚きだよ」


「本気しちゃってる。桜次長って、意外に不真面目なのね」


「ひどいな」


「浮気者ぉ」


 と、笑っていると、俺たちが座っているテーブルに影が落ちた。

 それは空いている上座に座るべき人物。


 そして、加代に、残業とまで嘘をついて、会わなければならなかった人物。


「すまない。今日は娘のピアノの発表会があってね。なかなか抜け出せなかった」


 いっとう仕立ての良いスーツ姿で現れたその男は、ナガト建設の若社長。

 そして、俺の本来の雇い主である会長の息子――三国十助であった。

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