第120話 青年よ現実に帰れで九尾なのじゃ

 結局のところ、俺は部長の説得に失敗し、たった一人で加代たちの待つ現代に戻ることとなった。


「それじゃあ桜くん。向こうに戻ったら、うちの家族によろしく言っといてくれ」

「あぁ、わかりましたよ」

「なんだい、来てすぐに帰るのかよ。ちったぁ休んでいけばいいのに」


 と、横やりを入れたのはスッさんである。

 いつの間にか酒でも飲んだのか赤ら顔の彼は、面白くなさそうに息を吐く。


 残念ながら、俺はこんなところでのんびりしている訳にはいかないのだ。

 別に、普段だったら放っておいても問題ないが、きっと今頃、俺のことを心配して泣いてる奴が向こうに居るのだ――。


 そう説明すると、ふぅん、と、なんだかおもしろくなさそうに鼻を鳴らして、スッさんは俺に近寄った。


「なるほど。おめえ、人外じんがい魅入みいられるだけあって、なかなか見どころのある奴じゃないか」

「――どうしてそのことを」

魑魅魍魎ちみもうりょうとは俺もさんざやりあってきたからねぇ。匂いでわかるのよ。よし、気に入ったぜ。そんなお前にこの俺から、特別なこの札を授けようじゃないか」


 そう言って懐からボロボロになった札を出すスッさん。

 南国という日本から遠く離れた地だというのに、どうしてそこには漢字で『蘇民将来』と書かれていた。


 意味は、よく分からない。


「困ったことがあったらそれを出して俺の名を呼びな。すっとんでってやるよ」

「――ありがとうございます」

「いやいや。俺はよう、男らしい男が好きなのよ。さっきのおっさんを引き留める口上こうじょうといい、なかなか若いなりにもおめえさん見どころがあるぜ」


 がっはっは、と、スッさんが俺の背中を叩いた。


「んじゃぁまぁ、あんまり長話しててもダメだし、そろそろ行くとしましょうか。スクナさん、道案内みちあんないは頼めますか?」

「まかせろい。よっしゃ、そしたらあんちゃん、俺を担いで浜まで行ってくれ」


 言われるがままに、スクナと呼ばれたちっさいおっさんを肩に背負って俺は浜へと向かった。彼に指示されるがままに進めば、ちょうど俺たちが打ち上げられていた浜辺へと戻って来た。


「したら、あとはここから海の中に向かってまっすぐまっすっぐ進むだけだ」

「――はい?」

「海からか来たからには海から帰るのが礼儀れいぎだろう。ちと、はなれた場所に出るかもしれねえが――なに、海ってのは全部つながっている。お前を待っている相手を思いながら必死ひっしに泳げば、そいつの居る所に出るはずさ」


 いやいや、それはいくらなんでもオカルトに過ぎないか。

 とはいえ俺の肩に乗る、おっさんの重さもすでにオカルトな訳で。


 ええい、ままよ。

 俺はおっさんを砂浜におろすと、水色の水平線をにらんだ。


「死んだら恨むぜおっさん」

「おうおう、いくらでも恨めよ。そのくらいの度量はこちとらもちあわせてるからな」


 救命胴衣きゅうめいどういを脱いで体を揺らす。スッさんから貰った札をウェットスーツの前を開いて胸にはさむ、そうして、波が引いたのに合わせて俺は浜を駆けると、波間に向かって飛び込んで行った。


「よしよし!! その調子だぜ!! 行けよそのまま、おめえの想い人の所へ――」


====


 どれくらい泳いだだろうか。

 不意に、頭の上の色が変わったかと思うと、白い砂ばかりだった海底に赤々としたサンゴが見えた。


 急いで顔を上げて息継いきつぎをすれば、さきほどまでの晴天せいてんが嘘のように消えて、朱色しゅいろまった夕闇ゆうやみのビーチがそこには広がっていた。


 スキューバダイビングにきょうじる観光客や、浜辺でバーベキューをしている人たちの姿が見える。


 俺は波に乗って浜へと到着すると、裸足のまま砂をって、近くの木へと移動した。

 水泳なんてここ数年やった覚えのない俺は、かれこれ体感時間で三十分近く泳いでいた疲労で、もういっぱいいっぱいであった。


「つ、疲れた。平泳ぎだってのに、えらいつかれた――」


 しかし。

 この様子。

 明らかに向こうの――さきほどまで居た島と風景が違う。

 どこが浮世離れした感じのしたあの島と違って、この島の、この夕闇の景色には、どこか現実感がある。


 ついでにいうと、空気もちょっとほこりっぽかった。


「戻って、これたってことだろうか。これは」

「――桜?」


 ふと、別れたのがついさっきだというのに、懐かしく感じる声が俺の耳に届く。


 声の方を振り返れば、そこにはTシャツに着替えた黄色い髪の狐娘が、涙をぼろぼろとこぼしてこちらを見ていた。


「――ただいま」

「ど、どこに行っておったのじゃ!! この馬鹿者!!」


 駆け寄って来たのじゃ子はそのまま俺に飛びついてくる。

 そのまま俺を浜辺に押し倒して、わんわんと泣く彼女の頭――そのふさふさとした耳のあたりを、俺は優しく優しく撫でたのだった。


「心配したのじゃ!! 死んでしまったと思っていたのじゃ!! なぜ、もそっとはよう連絡をよこさんのじゃ!!」

「わりいわりい。ちょっと、寄り道が過ぎたな。しかし、いくらなんでもお前、ちょっと驚きすぎじゃないのか」

「驚きもするわ!! お主、あれから何日経ったと思ってるのじゃ!!」


 ――はい?

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