死神姫の再婚 ─愛深き復讐の女神─

小野上明夜/ビーズログ文庫

ためし読み

 シルディーン王国北の辺境、アズベルグ地方。

 北にある傭兵国家ラグラドールより招聘された傭兵たちの通路として以外、なんの価値もないと蔑まれてきた土地である。水捌けの悪い土地は年中じめじめとしており、長い冬の季節には硬く凍りついて交通を断絶する。食料自給率が低い上に交通の便も悪いため、冬期の食料確保に失敗して餓死する農民も多かった。

 だが、それゆえの利点もあった。旨みのない土地は誰も欲しがらないため、東のオーデル地方や西のレイデン地方のように争いの種にならない。良くも悪くも外部からの接触が少なく、それゆえに人々はますます国教〈翼の祈り〉の教えに閉じこもり、保守的かつ排他的になっていくのだった。

「ですけど、よそからの接触がないことが、この素晴らしく陰鬱な景観を守ってくれていたのですわよね……」

 アズベルグ内でもさらに北、黒い森のそのまた奥にある「ライセンの石屋敷」の一階にて、「死神姫」ことアリシア・ライセンは前向きな発言をした。ただし没落した名家の子女として生まれ落ちた結果、貧しい境遇を積極的に受け入れてきた彼女特有の前向きさである。安く手に入るからと愛読してきた恐怖小説そのものの光景を喜ぶ感性を持たない人間には、共感しにくい。

「……そういうところは、お変わりないですね」

 ライセン家に仕える御者であり、輿入れの際アリシアを生家まで迎えに行ったロセが遠い眼をする。顔立ちも胸の隆起も地味な、取り立てて人目を引くところのない平凡な少女の思わぬ図太さを、最初に体感したのも彼だった。

「お前は最初からこの土地を気に入ってくれていたものな、アリシア」

 なつかしそうにつぶやいたのは、アリシアの夫であるカシュヴァーン・ライセンだ。マントの裏地の紺以外黒でまとめた衣装も、実年齢より十歳上に見られる強面も、初めて妻と出会った時から変わっていない。

「はい! それに初めてお会いした時から、カシュヴァーン様のことが大好きでした!!」

 広間の奥、二階へ続く大階段の上から下りてきたカシュヴァーンのことを思い出してアリシアは頬を緩ませる。眼鏡をかけてなお怪しい視力しかない彼女であるため、細部はまるで覚えていない。自分を大枚叩いて買ってくれた旦那様、ということさえ分かっていれば、当時のアリシアはためらいなく大好きだと言えたのだ。

「そうだな。しかし当時の俺は愚かなことに、お前の愛らしさをまるで理解していなかった……」

 カシュヴァーンはカシュヴァーンで、アリシアの身に流れる名家フェイトリンの血筋以外に興味がなかった。初対面の花嫁に恨み言を言われると予想し、半ば意地悪く期待すらしていたのに、実際の反応は全開の笑顔にて「旦那様、お買い上げありがとうございます!!」だった。

「いえ、私こそ、カシュヴァーン様のかっこよさが見えていなくて……」

「そんなことはない。俺のほうが、お前の可愛さを見る眼を持っておらず……」

「うん、お互い限定の視力は昔よりはるかに落ちてるからね? この話はもういいよね? ま、それぐらいいちゃいちゃしてくれたほうが、俺の未来の花嫁も早く産まれてきそうだけど」

 笑顔でたしなめる銀髪の少年は、二人のできた「息子」であるルアークだ。最初は暗殺者として「両親」の前に現れた彼は、仲間となってしばらくも、軽薄な仮面で本心を隠し続けていた。現在はある程度開き直り、名実共に息子となる欲望を隠さない。

「ルアーク、息子が産まれる可能性もあるんだからな?」

「うふん、その時は、ルシアナの出番かなって」

 何度か披露してきた女装時の偽名を名乗り、しなを作ってみせるルアークをカシュヴァーンは軽く小突く真似をした。

「俺としては、お前がこうして俺たちの側にいてくれれば、在り方などどうでもいいんだが……まあいい。こういう風に考えられるようになったのもお前のおかげだな、アリシア」

 剣だこの目立つ節くれた指が伸びてきて、アリシアの亜麻色の髪を優しく撫でる。粗野に見られがちなカシュヴァーンであるが、最初に触れられた時からずっと、この指はアリシアの髪の流れを乱さない。

 アリシアがそう褒めれば、カシュヴァーンは「お前の髪の触り心地がいいからだ」と笑ってくれる。妻の肌と髪の艶の良さだけは、彼も早い段階から認めていた。周囲を不安にさせるほどの夫馬鹿に成り下がった現在は、妻に触れているだけで気力を回復するほどである。

 しかし今のカシュヴァーンの表情はアズベルグの空のような薄曇りだ。この地の冬の名物である稲妻を想起させる苛烈さは最近なりを潜めているが、抜けるような青空は遠い。季節は正に、アズベルグでは貴重な春を迎えようというのに。

「だが、俺は……お前と違って、子供の頃からずっと、貧しく閉鎖的なこの土地が嫌いだった」

 疲弊した顔には、左眼を縦に分断するような傷口がやけに目立つ。この傷と、出かけるために装着を始めた黒革の眼帯程度しか、見た目上の変化は見受けられない。

 しかしその心に、魂には大きな変化があった。メイドの血を引く成り上がり、悪名高き「アズベルグの暴君」が本来持っていた繊細さと誠実さを、まさかの金で買った花嫁が取り戻してくれた。

 だからこそ、今の状況がこたえているのだ。

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