早朝の散歩

「ねっむ……」


 大きな欠伸をした後に思わず独り言を呟いたけど、家に帰ってもどうせ寝られないんだろうな。そんな時間もないだろうし。

 何時になったかなとポケットからスマホを取り出して時間を確認すると、五時半を過ぎたところだった。どうりで腹も減るわけだ。ちなみに夕方の五時半じゃなくて朝の五時半な。


 毎朝ちゃっぴー――犬の散歩は日課にしてるけど、それにしたって毎日こんな早起きしてやってるわけじゃない。どっちかといと朝は苦手なほうだし。今日は四時過ぎに弟のうるさい寝言で起こされたから、そこから目が覚めて寝られないから散歩にでも行こうかなと思って外に出たら、ちゃっぴーもあいつの寝言で目が覚めたのか、それとも俺の足音に反応したのか、しっぽをちぎれんばかりにぶんぶんと振ってきらきらとした目をしたちゃっぴーが、リードがちぎれんばかりに息を荒くしてこちらを見つめていた。だからついでにちゃっぴーの散歩も済ますか、と思ってこうなっている。


「あ、やっぱり和希かずきだ」


 公園のベンチに座ってぼーっと小休憩していると、不意に名前を呼ばれてびくっと体が跳ねた。


「う、うさぎ先輩……?」


 声のしたほうへ視線を向けると、そこにいたのはうさぎ先輩。


「おはよー。毎朝こんなに早くわんちゃん連れて散歩してるの?」


 そういえば、俺の家とうさぎ先輩の家って割と近所だったりするんだよな。家の場所は具体的には知らないけど、朝登校する時によく途中で出くわす。


「いえ、今日は早く目が覚めたので……。いつもならまだ寝てます」

「変な夢でも見たの?」

「……まあ、はい、そんな感じです」


 弟の寝言で目が覚めたなんて馬鹿らし過ぎるから、そういうことにしておく。


 うさぎ先輩はそっかと短く返事をすると、俺の隣に腰を下ろした。


「うさぎ先輩は毎日散歩してるんですか?」

「まさか。僕もいつもはまだ寝てるよ。和希と同じで、今日は早く目が覚めちゃったから、散歩でもしようかなーと思って」

「変な夢でも見たんですか?」

「ううん、のどが渇いて目が覚めたんだけど、蒸し暑くて寝られなくなって」

「あー……」


 寝言で起こされて寝られなかったのは、うさぎ先輩と同じ理由だ。冬とか春なら二度寝してた。この時期は蒸し暑くて寝られないったらありゃしない。


「ねぇねぇ、わんちゃんの名前、なんていうの?」

「……ちゃっぴーですけど」

「かわいい名前だね。誰がつけたの?」

「……俺です」


 正確には、小学生の時の俺。茶色いからちゃっぴーなんて安直すぎる。……まあ、ココアとかチョコとか、そんなのよりはまだ人前で呼べるけど。そんな名前つけてたら散歩になんて行けねー。名前は? って聞かれて答えるの、恥ずかしすぎる。ペットの名前としては恥ずかしくないけどさ、俺は呼べない。


「もしかして、茶色いからとか? それともチャーミングから?」

「……茶色いからです」

「そっか。僕と一緒だね」

「一緒? うさぎ先輩も犬飼ってましたっけ?」

「犬は飼ってないよ。飼ってるのはうさぎ。黒いからくろすけっていうの」


 そうだった。うさぎ先輩は名前通りうさぎが大好きで、実際うさぎも飼ってるんだった。何度か写真を見せてもらったことがある。黒いたれ耳のうさぎだった。ペットのうさぎを自慢する時の先輩の興奮具合といったらそりゃあもう。うさぎグッズもたくさん持ってるし、本当にうさぎが好きなんだなぁって思ったっけ。


「でもくろすけ……は人前で呼んでも恥ずかしくないじゃないですか」


 なんとなく、先輩の飼ってるペットだからか、呼び捨てにするのは気が引けたけど、オスかメスか分かんなかったし、かといってさん付けするのも大げさかなと思ったゆえの変な間。


「ちゃっぴーも別に恥ずかしくないと思うけど……。変な名前じゃないし、それに、ペットにちゃっぴーってつけてる人って多いと思うし」

「まあそうかもですけど……」


 ペットの名前としてはありがちだと思うけど、問題はそこじゃなくて、うさぎ先輩もずばり言い当てたみたいに、安直だなぁって思われそうだなってのと、なんとなく、人前で呼ぶには今となってはちょっと恥ずかしくて。


「それにしてもちゃっぴー、本当に和希が大好きなんだね」


 自分で言うのもなんだけど、家族の中でちゃっぴーが一番懐いてるのは俺だと思う。まあ俺が拾ったからな。もとは捨て犬で、俺がちゃんと世話をするという約束で飼ってもらえることになったから。……なんか、見過ごせなかったんだよな、あの時の俺は。


 なつかしいなぁと、うさぎ先輩とちゃっぴーがたわむれている様子を見ながら、当時のことを思い出して浸ってみる。


「さて、そろそろ僕は帰ろうかな。お腹も空いたし。和希も帰らないと朝練間に合わないんじゃない?」

「あ、本当だ……もうこんな時間か」


 うさぎ先輩に言われてスマホを見ると、もう少しで六時を回るところだった。家から学校まではそう遠くないけど、朝ってなんだかんだしてるといつの間にかもう出なきゃいけない時間になってたりするよな。


「じゃあまたね、和希。ちゃっぴーもバイバイ」


 最後にちゃっぴーをなでると、うさぎ先輩は帰っていった。もともと人懐っこい奴ではあるけど、この短時間ですっかりちゃっぴーはうさぎ先輩に懐いていた。


「ほら、帰るぞ」


 リードを引っ張ると、くぅんと一声鳴いて名残惜しそうな目で見つめてきたけど、俺も腹減ったし今日も学校なんだよ。

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