茹でたてのとうもろこしと庭に咲いた向日葵

 カノンの部屋に行くと、暑いからかドアが開いていて、ドアの前まで来ると部屋の中が丸見えの状態だった。そんな状態でカノンは何をしていたかというと、シャーペンを片手に何やら真剣な表情で、床に広げたフルスコアに見入っていた。


「カノン、母さんがとうもろこし茹でたから、食べないかって」

「ほんと? 行く行く」


 その横顔に声を掛けるのは気が引けるなと思いつつも、意味のないノックをした後に声を掛けると、カノンは年相応の笑顔を見せた。こういうところを見ると、そういえばこいつって年下なんだよなと思う。背が高いせいか、楽器が上手いせいか、たまに年上のような感覚でいる時がある。


「どっちがいい?」

「どっちでもいいよ。兄さんが先に選んで」


 二つ以上あってカノンと一緒に選ぶ時は、一応年下だから先にカノンに選ばせようとするんだけど、いつも答えは決まってて、お互い食い下がらないから先に選ぶのは俺になる。分かりきってるなら最初から俺が先に選べばいいんだろうけど、それはちょっとな。それに、いつまでも押し問答するのは面倒だからとはいえ、年上の俺が根負けして先に選ぶのは大体俺っていうのもどうかなぁとは思ってはいる。けど、カノンもなかなか引き下がらないからな。毎回やるのはやっぱり面倒だ。


 ざるに入った二本のとうもろこしを両方手に取ってみて、こっちのほうが粒が多いだろうと思うほうをカノンに渡す。イタリア語の「ありがとう」を日本語で言い直して、カノンは早速鮮やかな黄色い粒にかぶりつく。わざわざ言い直さなくてもいいのに。イタリア語で会話するのはさすがに無理だけど、挨拶くらいならなんとなく理解できるし。


 美味しそうに咀嚼するカノンの横顔を思わず見つめていたのは、イタリアの血が入っているからか、整った顔立ちをしているからつい見惚れていたのと、白い肌が日光に透けそうで、一瞬でも目を離したら、その間に光に吸い込まれて隣からいなくなってそうな気がして。じっと見ていると、だんだん透けてきているような錯覚に陥ってくる。


「オレの顔に何かついてる?」

「あ、ああいや……。お前、ずいぶん白いなと思って」

「そう? 兄さんも白いと思うけど」


 言いながらカノンが突然俺の半袖を捲ってきたからびっくりする。……でも、こうして見ると焼けたな、自分。吹奏楽部は基本的に屋内で活動する部活だけど、夏休み中もほぼ毎日学校に通ってたら多少なりとも日に焼ける。改めて肩や足と比べると、露出している腕は日焼けして黒くなっていた。


 日焼けというと、小学生までは毎年真っ黒に焼けてたっけ。中学生になってからは吹部に入ったのもあって、真っ黒までいかなくとも日焼けとはほとんど無縁になった。小学生までは毎日のように友達とプールに行ったり、海に行ったりしてたから、そりゃあ真っ黒にもなるわけだ。水着の境目の肌の色の差がすごかったっけ。


 そういえば、中学生以降、学校の授業以外で泳いだことがない気がする。だって、吹部に夏休みという夏休みはないし。ああでも、中学二年生の夏休みに、友達に誘われて海に行ったっけ。それっきりだな。


「ねぇ兄さん。せっかくの休みだし、海にでも行かない? プールでもいいよ」


 庭に咲いた向日葵をぼんやり眺めながら無心でとうもろこしをかじっていたら、突然カノンがそんなことを言い出してどきっとする。


「海かー。混んでるだろうし、行きたいとはあまり思わないな。暑いから泳ぎたいとは思わなくもないけど」

「そんなこと言ったらどこにも行けないよ」


 休みの間は部活のことは考えずにリフレッシュしておいでって観田先生は言ってたけど、夏休みだし、お盆も近いし、どこに行っても人が多いんだろうなと思うと結局家に引きこもってしまう。おまけに暑いしな。せっかくの休みだし、何かしたいとは思うんだけど、今日もこうして家の中でだらだらしちゃうんだよな。昨日もそうだった。


「んじゃ、お昼食べたらプール行くか」


 カノンの言うことにそうだな、と思ったのと、俺のことだから、休みだからといってどうせどこにも遊びに行ったりしないんだろと鴨部かもべからチケットを押しつけられたのを思い出して、言ってみる。案の定、カノンは好物を目の前にした犬のように目を輝かせた。……さて、どんなイタリア語が飛び出すかな。


「Evviva!! 行く行く! 行くよ兄さん! Grazie!!! Grazie mille!!!」

「分かった、分かったから、少し落ち着け。……そういやさっき、部屋に呼びに行った時に真剣にフルスコア見てたけど、あれはいいのか?」

「全然いいよ! 家にいればいつでもできるし! それよりプールだよプール!」


 早速準備しに行ったのか、カノンはイタリア語で歓声を上げながら階段を駆け上がっていった。たかがプールで何をそんなに、とその興奮っぷりに若干呆れたけど、ああ見えてもあいつは高校一年生だしな。去年までは中学生だったっていうと、思っているよりも子どもに感じる。


 カノンと一緒に出掛けるのは、いろいろとカノンが目立つからあまり乗り気ではないんだけど、貴重な夏休みだし、一日くらいは悪くないよな。

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