第10話
森の木々と足もとの草が揺れていた。おだやかな陽射しとやさしい風。彼女の待つベンチをさがして僕は歩く。
いつものように彼女は公園のベンチにすわっていた。その横顔は、どこか思いつめているようで。かたくなで。不安げにうつむいている。
僕はベンチの近くまで行って、歩みをとめた。
「はるか、ごめん。ずっと待ってた?」
指でピンと弾かれたように、彼女は顔をあげる。長い黒髪を揺らしながら立ち上がった。
「相田くん、来てくれたんだね……」
彼女は胸の上で手を握りしめて、かすかに笑った。あまりにもはかない笑顔だったから、彼女の姿が空気に溶けてしまうかと思った。
「もう会えないかと思ってた」
風の音で彼女の声が消えそうになる。
ざわざわ、ざわざわと。
僕の決意がくじけそうになる。
「どうして黙ってるの? やっと会えたのに何も話してくれないの?」
僕はまっすぐに彼女の顔を見て、ゆっくり口を開いた。
「今日は、別れを言いに来たんだ」
「えっ?」
「ごめん。もう、会えない。いや、会わない方がいいんだ」
生まれて初めてする、本気で本当の、さよなら。静かな声で告げる。
「どうして?」
彼女の目から、涙がこぼれた。
「わたしのことが嫌いになったの? 他に好きなひとができたの?」
「バカだな。そんなんじゃないよ。君以外のひとを好きになんかなるもんか」
「じゃあ、どうして?」
両手が上がり、思わず彼女を抱きしめてしまいそうになった。君を手放したくない。そうさけんでしまいそうだった。
わかっていた。覚悟はしていた。
初めて心から愛したひとなのだ。別れは容易じゃない。彼女を今ここで抱きしめたら、僕は二度と自分の世界へ戻ることができないだろう。
けれど、それじゃだめなんだ。彼女を幸せにするのは、僕じゃない。
涙がでそうになるのをぐっとこらえる。
僕は一歩ずつ、うしろに下がって、彼女から距離を置いた。
「どうか泣かないでほしい。会えなくなっても、僕はいつも君を想ってる。はるか、僕を好きでいてくれてありがとう。さよなら……――」
君の面影が遠くなる。
少しずつ消えていく。
風が君をさらっていく。
「相田くん、待って。わたし……」
君の声を聞きながら、僕は目を開けた。
*
目覚めてみると、僕はひとりぼっちだった。彼女の声が耳元で聞こえたと思ったのだが、空耳だったようだ。
「戻ってきたのか……」
ベッドの中で何度も、彼女の残像を視線でなぞる。そうすれば、現実でも彼女に会えると思った。けれど、頭の隅っこでは、ちゃんとわかっている。そんなこと、あるわけがない。会わないと決めたのは、僕が先なんだからって。
でも、やっぱり。少しだけ、つらくて苦しい。
彼女の名をつぶやく。
「はるか……」
唇をきゅっと強く噛みしめて、声をあげないように僕は泣いた――。
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