第五章 第二話


 数日後。


「お〜っ、ロンドン来たよ〜! ひっさしぶりだよ〜!」


 パディントン駅にとうちやくしたハルトマンは、列車から下りるとびをした。


「大声を出すな、ずかしい!」


 おのぼりさんに思われないかと、ドキドキしながら注意するバルクホルン。

 二人は、クリスにマルセイユのサイン入りブロマイドを渡すため、きゆうを取ってロンドンに来ているのだ。


「トゥルーデの方が大声じゃん」


 ハルトマンはくちびるとがらせる。


「ともかく急ぐぞ。バスの乗り場は……」


 バルクホルンは地図を広げる。

 ブリタニア時代には、ロンドンへは車で来ることが多かったので、市内の交通もうには習熟していない。

 今回も、飛行場の将校が車を出そうかと言ってくれたが、そこはバルクホルン。

 私事で軍の車両を使うことは敬遠したのだ。


「え〜、せっかくのロンドンじゃん。少し羽ばそうよ〜」


 真っぐクリスのところに向かおうとするバルクホルンに、ハルトマンはねる。


「いいや、明日の夕方までに基地に帰るためには、一刻もにできん! ていうか、貴様は始終、羽伸ばしっぱなしだろうが!」


「明日の夕方までにロマーニャに!?」


 かなりの強行軍である。


「はあ〜、そう分かっていたら、基地でてたのに〜」


 と、ハルトマンはこうかいするが、もうおそい。

 そもそも後悔というものは、たいてい遅い。


「我々がけている間に、ネウロイのらいしゆうがあったらどうする?」


「シャーリーたちがやっつける?」


「すちゃらかリベリアンにたよるなあああああっ!」


 バルクホルンはいつかつすると、もう一度地図に目を通す。


「……ふむ。地下鉄の方が早いか」


「ねえねえ、ハロッズだけでいいから〜。アフタヌーンティー、しようよ〜」


 ハルトマンはていこうの姿勢を示すべく、その場に座り込む。


「……やれやれ」


 とうとうバルクホルンはあきらめた。

 引き分けだったとはいえ、サインはマルセイユからハルトマンが勝ち取ってくれたようなもの。

 あまり強いことも言えないのだ。


「お茶だけだぞ」


「わ〜い!」


 もちろん、お茶だけで済むはずがなかった。



「貴様! どれだけ買い込めば気が済むんだ!」


 一時間後。

 二人の手には、かかえ切れないほどの荷物があった。

 リーネにたのまれた、フォートナム&メイスンの紅茶。

 ルッキーニのリクエストの、ルバーブのジャム。

 ミーナへのお土産みやげの、最新録音ばんのロンドンフィルのレコード。

 シャーリーが欲しがっていた工具に、エイラのあやしいくろじゆつ用具。

 しかし、何と言っても一番量が多いのは、ハルトマンが自分のために買ったお類である。


「ええと、あとは……」


 キョロキョロと周囲をわたすハルトマン。


「ひとの話を聞けええええええっ!」


「だってさ、まだ全員にお土産買ってないじゃん。宮藤にとか……」


「う」


 バルクホルンが宮藤を引き合いに出されると弱いことを、ハルトマンはよ〜く知っていた。


「まず部屋を片付けないことには、これだけの荷物が入る余地がないだろ?」


 ブツブツぼやくバルクホルン。


「なことないって。部屋、半分はガラガラだし」


「私の領域へのしんにゆうを前提とするな!」


 結局。

 坂本と芳佳には扶桑料理にも使えるたらもの、サーニャにはピアノ用のがく、何も欲しいと言わなかったペリーヌのためにはガリア印象派の美術の本を二人はこうにゆうする。


「こ、今度こそ! クリスのところに向かうからな!」


 両手にかみぶくろげ、よたよたと地下鉄の駅に向かいながらバルクホルンは宣言する。

 と、その時。


「待てい!」


 呼び止める声。

 バルクホルンとハルトマンはり返った。

 そこに立っていたのは、古いカールスラント空軍の軍服を着た3人の老人だ。


「おぬしら、501のウィッチじゃな!?」


 白ヒゲの老人が、バルクホルンに問いかける。


何故なぜ、それを?」


 今まで会ったことのない老人に言い当てられ、ちょっとけいかいするバルクホルン。


「ふふふ、ロンドンっ子の目はごまかせても、わしらの目をあざむくことは不可能!」


 白ヒゲの老人は胸を張る。


「わしらこそがあの、ブリタニア全国民がストライクウィッチーズの専門家と認めるカールスラント退役老人組合なのじゃよ!」


 と、小太りの老人。


「な、な、な、なのじゃ〜!」


 もうひとり、ねこのやせた老人がひざをガクガクいわせながらえた。


「そして、その胸こそ! 豊満かつ張りのある501の乳!」


 ビシッとバルクホルンのむなもとを指さす白ヒゲの老人。


「その形のいい胸が、おぬしらがストライクウィッチーズであることを語っておるわい!」


「うう、まぎれもないぞ! 501のウィッチの乳じゃ! ありがたや〜っ!」


「ス、ス、ストライクウィッチーズの乳は、世界一いぃぃぃぃぃぃっ!」


 面識がないのに乳識はある。

 おそるべき、カールスラント老人の眼力だ。


「帰ってきた〜! 乳が帰ってきたぞ〜!」


「まさに乳帰るじゃの〜」


「ち、乳〜っ!」


 退役老人組合は、ハルトマンとバルクホルンの胸にせまる。

 ハルトマンの方はごたえがなさそうなので、主にバルクホルンの方に迫る。


「ハルトマン」


 バルクホルンは手提げぶくろを置いた。


「ん?」


せんめつするぞ」


「らじゃ〜」


 バキ、ゴキ、ドスッ!

 三老人、え無くげきつい


「け、敬老精神のないむすめたちじゃ〜」


「ちょっとしたお茶目じゃというに〜」


「乳〜」


 たたまれた老人たちはうめく。


「……だまれ」


 バルクホルンはかかとでとどめをした。


「さあ、今度こそ、クリスのところに向かうぞ」


「はいは〜い」


 と、荷物を持とうとするハルトマンだが、ふと、何かが足りないことに気がつく。


「あれ?」


 最初から持っていた、茶色の小さなかばんだけが見当たらないのだ。

 そして、あの鞄の中には……。


「どうした? 急げ」


 地下鉄駅の階段を下りながら振り返るバルクホルン。


「……クリスへの……お土産みやげが……ない」


 ハルトマンはほうに暮れた表情になった。


「サインが……ない」


「何ぃっ!」


 バルクホルンがめ寄る。

 わざわざロンドンまで来たのは、マルセイユのサイン入りブロマイドをクリスにわたして、喜ぶ顔を見るため。

 今回のミッションで一番重要な品が、手元から消えたのだ。


「どっかに置き忘れたかも」


もどる!」


 二人は来た道を逆に辿たどって、どこかに鞄が落ちていないかうようにして探す。


「手分けして調べるぞ! お前は通りのこっち側! 私はあちら側だ!」


「うん!」


 二人はその後、フリート・ストリート、ケンジントン・パーク、バッキンガムきゆう殿でん前、ロンドンとう、さらには寄った覚えのないイーストエンドまで探し回るが、茶色の鞄は見つからない。

 そして。


「……仕方がない。時間だ、戻るぞ」


 夕焼けに染まるビッグベンを見上げ、バルクホルンはため息をついた。


「ええっ! でもさ、荷物……って、それにまだクリスにも会ってないじゃん!」


「列車のダイヤの関係がある。今から帰らないと、明日中にロマーニャの基地に着かない」


 り返ったバルクホルンは、笑ってみせる。


「プライヴェートなことで、みんなにめいわくはかけられんだろう? な?」


「トゥルーデ……」


 めずらしく泣きそうなハルトマン。


「本当に……ごめん……」


「気にするな」


 バルクホルンは親友のかたたたいた。


「……怒ってない?」


「ああ」


 バルクホルンはうなずく。


「当然だ。お前に荷物を預けたのは私。つまり、ひいては私の責任だ。お前がどんなに注意力さんまんで、忘れっぽく、ちゃらんぽらんで、ずぼらで、たいで、責任感のないウィッチか、忘れていた私が、すべて悪いんだあああああああっ!」


「わ〜っ! ものすごく怒ってるじゃん!」



 結局、マルセイユのサイン入りブロマイドは、ロンドンのきりの中に消えた。


「クリス! 悪い友達を持ったお姉ちゃんを許してくれ〜!」


 帰りの飛行機の中でも、バルクホルンのたんむことがなかった。

 幸いだったのは、とつぜんたずねておどかすつもりだったので、クリスがことのてんまつを知らずに済んだこと。

 まえもつてマルセイユのサインを持っていくことをれんらくしていたら、相当ガッカリしていたはずである。


「トゥルーデ、そこは悪いお姉ちゃんを許してって言うとこじゃ……」


 なごませようとするハルトマン。


「……だまれ」


「はい」


 針のむしろだった。



  * * *



 さて、日も暮れたパディントン駅近く。

 けい中だったひとりのじゆんが、パブの主人から、子供が拾ってきたという荷物を預かっていた。

 その茶色の小さな鞄は、公園のベンチに置かれていたそうだった。


「忘れ物?」


 巡査はタグをかくにんする。


「ふむ。持ち主の名は、ゲルトルート・バルクホルン? カールスラントの名前だなあ」


 巡査がそうつぶやいたところに。


「今晩は」


 ナース服にカーディガンをまとった女性が通りかかり、巡査に声をかけた。


「どうかなされたんですか?」


「やあ、ウィステリア」


 ウィステリア・ピースは、ブリタニアの501基地で、ロフティング医師とともに隊員の健康管理に当たっていたナース。

 ぐうにも、この巡査のむすめの幼なじみでもある。


「いやあ、最近、忘れ物が多くてねえ」


 巡査は警棒で頭をく。


「署内に保管する場所を確保するのにも、一苦労だよ」


「……この方、知っています」


 タグの名前を見たウィステリアの顔がほころぶ。


「それに、知り合いの先生が担当していたかんじやさんが、この方の妹さんなんです。よければ、私が連絡して、妹さんのところにお届けしましょうか?」


「おおっ! それはありがたい。わしもいろいろ、いそがしくてな」


「では、お預かりしますね」



 こうして。

 サイン入りブロマイドは、無事にクリスのもとに届けられたのだった。


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